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他人の意見を取り入れられない人間の行動を変化させる2つの経路【おじさん小学生の譫言vol.10】

直接「こうした方がいいよ」って言われるの、本当はすごく有難いと分かっていても、どうしてもその通りにできない人間っているんですよ。俺とか。

言葉の容器と、それに注がれるもの

そもそも、どうした方がいいと言われてきたんだったか?アドバイスめいたことを、一度も言われてこなかったはずがないのに、ほとんど印象に残っていない。

「人前で楽器をやるな」「もっと喋りを勉強しろ」みたいなことは言われたことがある記憶はあるけれど、それはまあ、単なるディスりだったわけで(言われて当然なレベルではあったが)

まず前提として、他人の言葉は、自分(わたし)の感覚から生じたものではない。ちょうど納得できるだけの実感が注がれていない音声・文字情報という容器にすぎない。

だから、他人の言葉を受け取った段階で自分の脳に納得が生じているのでなければ、その言葉の容器を、自分の実感で満たすことができない。

納得できない人のデッドロック

当たり前の話に聞こえるかもしれないが、この仕組みには難点がある。不幸にも何らかの体験や特性によって、感知した情報が「他人の言葉である」という理由によって、納得ができない人間がいるのだ。

どんなに正しいアドバイスや助言でも、それが他人の言葉であること自体が気に食わない! すると、どんな言葉にも納得という実感を注ぎ込むことができないデッドロックに陥る。それはどんな人のどんなアドバイスも素直に取り入れることができないことを意味する。嗚呼、人生が終わった…

大怪我すれば、まあ…

しかし、本当に他人の意見やアドバイスを取り入れられない人間は、自分の行動を変化させることができないのか?まだ希望は潰えていないぞ!

早い話が、人の意見を聞かずに突っ走って大失敗すればいい。間違いなく実感できる何かがある。そして否応なく納得せざるを得ない。

同時に多くのものを失う。新規行動への意欲、他人との信頼関係、健全な肉体と精神、金銭や自尊心。

というか、そういった大事故を防ぐために、他人は助言や苦言を呈してくれていたのではなかったか?

分かっている!分かっているんだけど!分かっているだけでは行動に反映できないのよ!!!

もう一つの隠し通路「自分で気づいたと勘違いする」

実は大事故を起こすのとは別の方法で、自分の行動を変える方法がある。

それは「アドバイスされた事実を忘れて、自分で閃いた気になる」ことだ。

人生にとって重要な知見が他人の言葉であることだけが気に食わないなら、まるで自分が見つけだした言葉だと勘違いすることで、納得が可能になるはずだ。

だから、アドバイスした時には全然実践してなかったのに、それからしばらくして、自分で大発見したような口ぶりで(あるいは別の人のアドバイスを受けて)嬉々として行動を変化させる人というのが、たまにいるけれど

アレは決して最初のあなたのアドバイスが無駄だったわけではなくて、むしろその事実を忘れることこそがその人の行動に結びつくために必須なプロセスだったのだと思う。

そもそも自分が閃いたことの、どれほどが他人の言葉によるものではないのだろうか?

そこまで天邪鬼じゃなくても

もちろん誰もが頑なに、人のアドバイス通りにできないわけではなくて、そこには極端に素直な人から、極端に天邪鬼な人までの、スペクトラムというか、グラデーションが存在する。

その時は「なるほど!」と口だけで言いながら、結局また同じことで悩み続けたり、同じ失敗を繰り返している人でも、数年後には「他人の言葉」が、その人の中で、単なる「言葉」になって、行動を変える因子になることがある。

だから身の回りに、何を言っても全然通じない人がいても、無理に見捨てるなとは言わないけれど、遠い将来のまったく別の場所でなら、もしかしたら、その人も、何とかうまくやれるようになっている可能性がある…かもしれない、と思ってみてもらえたらと思う。本人が言うので、確率はゼロではないはず。


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