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でち日報2023/11/01

月が変わってしまったぞ!なんとかしろ!(ならない)

鶏むねは分厚いので、鶏もものように火は通らない。あらかじめ叩いて延ばしておくか、2枚におろしておくべきだった。塩麹の効果がわからず終わったのでリベンジ予定(リベンジばっかりでは?)

とにかく動いたのでヨシ!これで来月はさらに簡単に確実に月例処理ができる

あれ…?ということはメールの下書きに対応したシート生成PDFを添付するところまでDL経由せず自動化できる?

問題はシート名の側の表記ゆれか…ちょっと保留

この鶏は焦がした塩麹のやつではなくて、同時進行で作っておいた蒸し鶏

当たり前だけど、経済は群れの存在を前提にしているんだよな。そして市場経済に移行する前から、贈与経済は群れ同士の経済(全体的給付体系)を生成していたんだったっけ

知らない洋楽のマッシュアップばかり聴いてたらサジェストされた

Notionより

感情を言葉にすることの多重債務

「首が回らなくなる」という慣用句があるけれど、感情を言葉にすることができないでいると、比喩ではなく身動きがとれなくなるということが、あるのかもしれない

それは愚痴を吐くとかの手前で、言葉を選んで、組み合わせを自分で作って、それでよし、言い当てたと感覚することが何を意味するのかということだと思う

それについては、幼児の相手をしていると心当たりがある。彼らは「自分の感情を言葉に」できるはずもなく、不快だけを一方的に表現しており

なんか体のでかいやつらが、状況から推測して不快を取り除くと収まる。原始的な表現は、そのように伝わったと信じるに値することによって収束する。

表現されない感情、あるいはされきらない感情は収束しない。警戒モード・泣き叫びモードが終わらないということは、体を休息にスイッチできない。それはまぎれもなく「生活苦」の一形態でありうる

わかってるけどできてないこと
わかってる…やったほうがいいとわかっている
できてない…実現していない、着手していない、継続できていない

10月18日

これは当時の日報でも書いていた記憶が

他者性をハックしすぎて実質法人になったり、ローグライクの1ランに必ず発生する「単調で退屈な序盤戦」を概念として業務に取り込んだりしているんだけど、まあこういうのは、上手くいってから紹介するほうが格好がつくものなのでまだしばらく試行錯誤がつづきます

偉そうに自分のメソッドを披露するのを保留しておくことは、恥をかくことを回避するだけでなく、すぐに仕組みを改善できる余地を考慮することでもある

この後Notionへの移行、スラムでの個人チャンネル開始など、建て付けが変化しており、ざっくり1年くらい固定して回るようになったら、文章化してもいいかもしれない程度に考えておく

「わかっているけどできてない」は、まず「わかっているならできてなくてもよい」を経由しなければいけない

そこから「わかっていないからできてない(部分もある)」「できたからといってわかっているわけではない」「わかってきたし、できていることもある」などを経て「わかっていることができている」までにじり寄る

朝食とコーヒーを淹れている間、携帯を見なくてよかった。そういうことだと思う。刺激で埋めようとしていた空白は空白ではなくて、然るべき持続が消化されていた。それを停止していたので、流れが滞るのは当然というか、滞りのそのものであるといえる

こういうブレストを衆目に晒すというやり方もあるだろうが、たとえプロの文章であっても、整形されていない長文を読むことには苦痛が伴う。最適化、パッケージングが必要で、それは自他の境界を調整することと同じ形をしている

この頃からドキュメンテーションに対して興味がわきはじめたと思われる

ただここでは、文書全体の整理というより、個別の文書のパッケージ化を言っているな


どうしてこうなった

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