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無意味でもいいと思えることだけをやる【おじさん小学生の譫言vol.9】

今から7年前に始めたEvernoteの中身を整理している。古い順に5万件超のゴミを整理していく。

当時の自分は笑えないくらい愚かだったし、今もそうなのだろう。やれアプリ開発で1000万稼ぐとか、よくわからない本の紹介とかを集めていたが、身になったものは何一つない。

残ったのは最低限、生きていることぐらいで、何かを知ったり、何かをしようとすることの計り知れない無意味さが伝わってくる。つまり今の自分についても同じことが言えるのだろう。

何をしても無駄で、何をしてもくだらない

何かのために行動しようとしてもダメで、少なくとも自分にはそういうやり方が合わないということが、今なら分かっている。

何をしても無駄で、何をしてもくだらない。と思ってやるくらいがちょうどいい。無意味でもいいからやりたいと思えることだけをやったほうが、結局予後がいい。

7年前から現在までに残ったものは、何かを考えあぐねたということや、悩み苦しんだということでは一切なくて、単に何かをやったという事実だけである。アプリは開発できなかったが、コードはやった分だけ読める。

やったことだけが残る。そのことが腑に落ちるには、逆に死にそうになるくらい悩み抜いて考えることが必要なのかもしれない。どんなに人から何かを言われても、自分が見つけたことでなくては(あるいは自分が見つけたと勘違いできることでなくては)身につかない。もちろん、全ての人が絶対そうであるとは言えないけど…


今は何か大きな目標を持つでもなく、淡々と無意味なルーチンを消化する日々である。消化といっても、調子がよくて70%台、悪くて50%台しかやっていないので、消化不良もいいとこだ。

しかしやったことだけが残ると知った以上はやることをやるだけでいい。と信じることができるようになってきた。というか、それしかないのだった。

いい歳になったら、もっと社会的に意義をもった何かや、自分の存在意義を問えるだけの何らかの表現みたいなものに立ち向かっているかと思ったら、人生そのものに対する真剣さが基本的に足りないことを忘れていた。

ただ、7年前から現在にいたるまで、謎の理由で生きているのは事実である。なので今後も同様に、全ての企てが無意味で徒労なのだとしても、それで構わないと思えることだけをやっていく。

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