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言いたいことが言えない私

 私が通っていた小学校では、週に一時間だけ、五・六年生を対象にした部活動があった。
参加する部を決める五年生最初の学級会で、私は迷わず人気のソフトボール部に手を挙げた。ソフトボールが好きだったし、得意でもあったのだ。だが各部には定員があり、ジャンケンで負け続けた私は、クラスに入部希望者が一人もいない演劇部に入ることになった。

 二十名弱いる演劇部員のなかで、男子は私と同じ学年の中村君だけ。
ずっと違うクラスなので、中村君と話したことは無い。
「中村君はどうして演劇部に入ったの? やっぱりジャンケンで負けて?」
「ううん。僕は自分の可能性を広げたいと思って演劇部を選んだんだ。だって、引き出しは多い方がいいと思わない?」
「そ、そうだね……」
中村君が何を言っているのかよく分からないが、やっぱり場違いな場所へ来たんだな、ということだけははっきり理解できた。

 「もう、またふざけて。真面目にやらなきゃ駄目じゃない」
今日も部長の星野さんから叱られる。発声練習でのやる気のない態度。演技練習ではいつまでたっても棒読み。叱られる理由はたくさんある。
いつも全力で練習に取り組み、女子部員たちの心をがっちりつかんでいる中村君とは対照的に、私は不真面目な問題部員だった。

 星野さんはショートカットが似合う女の子だ。いつも清潔そうな、垢抜けた服を着ている。
詩を書くのも得意らしく、部室にあった六年生の文集には「貝殻を耳に当てると海の音が聞こえる……」で始まる、大人っぽい作品が載っている。
お嬢さん、というのはこういう人のことをいうのだろうだろうか。それでいて部員の面倒見がよく、私たち下級生にいつも親切に接してくれる。
私はそんな星野さんにちょっと、いやかなり憧れていた。口には出さないが、中村君もきっとそうだったと思う。

「今年も『送る会』の脚本を募集します」
秋になったころ、部員たちを前に星野さんが宣言した。
演劇部は毎年三月に、卒業する六年生の送別会で、全校生徒の前で劇を披露する。普段目立たない演劇部の晴れ舞台であり、六年生にとっては二年間の集大成だ。そしてそのオリジナル劇の脚本を、部員から募る慣わしになっている。

私は、毎年「送る会」で演じられる劇は道徳的な話が多く、いかにも子供が考えたものという感じがして、好きではなかった。
部員の中には演技が上手い人がいる。小道具を器用に作る人もいる。脚本さえ良ければ面白くなるのに。そう考えた私は、家で脚本を書き始めた。
劇の脚本なんて書いたことはないが、給食の時間に班のメンバーを笑わせる話なら自信がある。演技はだめでも、脚本なら書ける気がした。
なにより私は、星野さんに褒めてもらいたかった。出来たのはこんな話だ。

 嵐に遭った漁師が無人島に漂着する。船は流された。「おーい」と叫んでもカモメの声が聞こえるだけ。男は木の枝を削った銛で魚を獲り、バナナの木の葉でパンツを作り、流木で小屋を作る。そんなサバイバルが軌道に乗り始めたころ、山から下りてきた猿に食料を奪われ、小屋も壊される。かろうじてバナナの葉のパンツだけは死守した。男は安全な場所と食料を求めて森へ入る。魔女の手先のタヌキの兄弟に「ご馳走するよ」と誘われ、恐ろしい魔女が住む家に足を踏み入れる。寝ている間に煮えたぎる大釜に放り込まれそうになるが、すんでのところで目覚めた男は、なぞなぞをしないかと魔女に持ち掛ける。もし三問続けて不正解だったら見逃してくれ。命がけのなぞなぞ勝負が始まる。劇の山場だ。魔女は二問続けて答えを外し、いよいよ勝負の三問目。答えを巡って魔女とタヌキがもめている隙に男は窓から逃げ出す。追っ手を振り切り、力尽きて男は気を失う。翌朝目を覚ますと男は大勢の人に囲まれていた。ランドセルを背負った小学生が「おじさん、変な格好」と笑う。無人だと思っていた島の逆側では、島民たちが文明的な生活を営んでいたのだ。男が「そりゃないよ~」と言って、劇は終わる。

 いま考えると、ラストシーンは、そのころ観た映画『猿の惑星』の影響を強く受けているのだが、私はなんて秀逸なアイデアとひとり悦に入っていた。

劇の配役案はこうだった。
主人公の男役は中村君。演技力に多少の不安はあるが、小太りの体型にバナナの葉のパンツが似合いそうだ。
星野さんは魔女役。裏声を出して男を追いつめる迫真の演技は彼女にしかできない。間もなく卒業する彼女の晴れ舞台だというのに魔女の老婆役とは、配慮も忖度もなにもない。
だが星野さんは日頃から、「観る人を喜ばせる劇をやろう」と部員たちに熱く語っていたじゃないか。この脚本を読めばきっと、「面白い!」と目を輝かせるに違いない。
これで、今までのやる気のない練習態度も帳消しだ。星野さんの卒業は寂しいが、劇が成功すれば、私立の中学校に進んだ後も私のことをずっと覚えていてくれるだろう。私は自信満々で星野さんに脚本を手渡した。

 「君はふざけている! なによ、バナナのパンツって。どうして真面目にできないの。私たちは一所懸命なのよ!」
期待に反し、脚本に目を通した星野さんは、見たことのない剣幕でそう言ったあと、目に少し軽蔑の色を滲ませて私を睨んだ。
思ってもみなかった反応に私は激しくうろたえる。
褒められるどころか怒らせてしまった……。どうしよう。 

「そうだけど、そうじゃない!」
気がつくと私は、大きな声を出していた。
本当は、「ふざけた話を、一生懸命書いたんです」、あるいは「普段の練習態度は不真面目だけど、この脚本は真面目に書いたんです」と言いたかったのだと思う。
だが言葉が続かず、あとは口をぱくぱくさせるばかりで、なにも言うことができない。
「なにを言ってるのか全然分かんない。とにかくこんな劇はやりませんっ」
星野さんはそう言い終わると、脚本を私に押し返し、ぷいっと向こうへ行ってしまった。
自信作にダメ出しされ、星野さんを怒らせ、いいたいことは言えず、いいことは何もなかった。

 結局、「送る会」で披露されたのは、星野さん演じる森で迷った王子が冒険の末に動物や植物と共生する大切さを学ぶという、例年と変わり映えしない道徳的な内容の劇だった。冒険ものなら自分のほうが絶対面白いのにと思いながらも、私はシーツを被って森のおばけその2を精一杯演じた。

 やがて大人になった私は、会社で上司に忖度したり、客先に平身低頭することを覚えた。だが、言いたいことが、言うべき時を過ぎてからでないと出てこないのはあの頃と変わらない。
あの時、ああ言えばよかった。もっとこういう態度を取るべきだった。もう取り返しがつかない時になって、そんな後悔ばかりしている。
そんな時私は、ぷいっと行ったまま二度と振り返ってくれることのなかった星野さんの後ろ姿を思い出すのだった。

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