【詩】つよつよの人の言葉を真に受けない

世の中には虎のようにつよつよの人がいます。
色んな人がいて良いのですよ。それで人間世界の全体としての体裁は保たれますからね。

ただ自分の性質を見失ってはいけないと思うんです。
そのつよつよの人の言う通りのことを自分ができるのか。

なんか誰でもこんなことできる、って言う人は「世の中の人材特性」を知らなすぎるような気がしているんです。割と簡単に自信は失うし、割と簡単に死を想ったりするパターンの方もいらっしゃいます。

あと知性や力が及んでいないケースっていうのもあります。
だから「その人のその状況においては簡単にできるんだね」というのが実態なんじゃないかなと思うんです。

で、自分はつよつよなのか。
よわよわなのか。
そこを見ていくことになるわけです。

誰も自分がよわよわなんて認めたくない。
できれば目を背けていたい事実なんです。
それを理解してしまったらなにか別の行動が必要になるかもしれないですしね。

毎日どんな場所でどんなことをやるにしてもつよつよの人っていうのも実際いるのでしょう。逆によわよわの人もいると。

仕事・家庭・健康みたいな軸で見たときに、どれかは良いけどどれかは駄目みたいな普通の人もいると思います。でもまあ、それも意味のある比較なのか。比較自体が意味のないような気もしてきます。

で、割と状況というのはなにかきっかけがあれば一変します。

つよつよだった人もよわよわになるし、よわよわの人もつよつよになることもあります。もちろん、変わらずずっとステイという人もいると思います。

あくまでその時の気分、感情、状況を統合してつよつよになったり弱弱になったりしていると思うんです。その一瞬を切り取ったもの、という感じですね。

人間の一生を考えても順調だったときとやることなすこと全て裏目というときもあったと思います。

ということも考えるとつよつよの人、というのは単に今の人生の中での絶頂期にいるとも言えるかもしれません。そんな人の普通にできる、という言葉は真に受けるにはリスクがありそうですよね。

よわよわの人もリスクに敏感になりすぎて、チャンスを普通に失っている可能性もあります。でもそのほうが心が落ち着くのでしたらそのほうがよいのかもしれません。

心の安定というのは一番欲しいものだと思うからです。

欲望に身を任せたものを得るよりも、ささやかな日々の生活に居心地の良さを感じる。そんな穏やかな心境になる状態を作りたいものですね。



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