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【詩】見栄をなくすと生きやすくなるのではないか

独身40代男性で特に勤務地に関係ないビジネスをしているのであれば、もはや東京に住んでいることってなにか意味があるのかなと思ってしまう。

私の場合は車の運転ができないのできめ細かく交通網が発達した都心は確かに便利だ。しかしそれは「毎日のように遠出する人」の場合だ。近所のスーパーとかコンビニにしか用事がない人ならそれは大した問題にならない。

そして実家がある人は実家に戻ってしまう方が良いのではないか。
一人暮らしによって得られることとは「多少汚くても生きている」ことだったり「一人暮らしをしていようが突然なにか変わるわけではない」という点だ。

きれいなモデルルームのような部屋に住みたいという人もいるかもしれないが、どうやら自分はそういう欲求はあっても優先順位がかなり低いらしい。少なくとも今検討することじゃないという感じだ。

確かに東京近郊での友達はいるのだが、毎週会うわけでもない。
月に1回である。

それであれば別に実家に戻ってしまったほうが良いということになる。子供部屋おじさんとか子供部屋おばさんとか言われているが別に気にすることがあるのだろうか。そんな風に言う人達が、自由に使っていい部屋を与えてくれるわけでもない。

カンケー無いのだ。
そんなカンケー無いことを聞いて生きていくことをしたいのだろうか?

自分が気持ちよく生きていける環境というのは人それぞれ違う。
別に実家に戻ってあまりお金を使わずクラスのもありだと思う。

ちょっと試してみようと思っている事がある。
それはある特定の月に6日間実家で暮らして1日家に戻ってくるというもの。
これで不便がなかったら、特に都会に住む意味がなくなるので撤退すればいいという話になる。

差し当たり子供部屋が子供部屋すぎるので鍵をかけられるようにしたり、リモートミーティングの音声が漏れないようにする必要がありそうだ。その簡易的な工事を行えばとりあえず突然会議中にガバっと扉を開けられる可能性は無くせる。工事費は2万円相当だ。家賃・水道光熱費・1人用の食事代で15万以上は節約できる格好だ。これはなかなか魅力的だ。

とはいえ、都会に自分の部屋を持つというのは1日なにをしても本当に自由という利点はある。ただし、それに伴って出費は増える。どちらが良いのだろうか。

きっとこれはどちらにも相応の利点があるというだけだ。
結局今年どれだけジウンでなにができるようになるか次第というところはある。

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