【詩】なんでみんな通勤電車を嫌がるのかようやく理解できた
2020年、電車はガラガラになった。
もはや、いつまでこの状態が続くのか、JRはやっていけるのかと心配になるほどだった。電車で座れないということは記憶する限りはなかった。ひょっとしたらあったのかもしれないが、それも私がそもそも電車に乗らないから不明だ。
2021年、電車には人が見られるようになった。
座れないかもしれない、ぐらいには人が増えてきた。ちなみにこれは山手線の状況でである。パーソナルスペースが圧迫されて、左右にプレスされるような混雑はなかったと記憶している。
2022年、電車に人がいるのが普通になった。
2019年ほどではないが、人はまあいるよねぐらいには増えた。
電車には普通に人がいる。ただしすごく混んでいるという状況はない、みたいな状態だった。
それが2023年。
完全に電車に人が戻ってきている。2019年を彷彿とさせるあの混みかただ。
今日は通勤時間の電車を経験した。
あの混み具合。
人がいっぱいだからこの電車は一回スルーしよう、というもはや予想到着時刻を下回っても現地につければよしとする考え方がではじめちまっている。
で、この状態で無理矢理入ってもいいんですよ。
でもそれは無理矢理なのでね。
吊り革を握ったらもう何もできないんですわ。
スマホでなにか映像を見ようと思っても、手が塞がっててダメですと。
そうなると何もできないわけだ。
文字通り手も足も出ない。
この時間に何か意味をもたすことはできるのか?
いや、不可能だ。
唯一可能性としてあるのは音声コンテンツを聴き続けるということだが、音声も集中しすぎてしまうと降りるべき駅をスルーしてしまったりする。
こうなるともうどうにもならない。
電車の車内掲示板が次は「⚫︎⚫︎駅」と告げている。
告げているのだが、人で隠れて見えない、見えるんだがよくわからんという状態になったりする。
そうなると音声での車掌さんのアナウンスだけが頼りになる。
それを耳で塞いでいたらどうなるか。
聞こえず、スルーということになる。
これで通り過ぎたらそれこそ終わりだ。
そんなことを考えているとマジで混んでいる電車は何もすることがないと思う。
座れなかったら何もできない。
瞑想とは程遠い無の時間が訪れる。
みんなが電車での通勤を嫌がるのはこれが理由なのではないだろうか。
今更ながらわかった気がする。
暇な時間があるのに何もすることができない時間、これを嫌だと言っているのではないか。
せめて手が自由であったら違っていたのだろう。
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