【歩き旅と思索】仏教とのつながり

初めに言葉があった

そこから人間の世の中が始まった

これは間違いない

聖書の指摘するとおりだ

一方で、その言葉が生まれる以前から世界はあった

それは恐竜が地上を闊歩していた時代であり、微生物すら登場する以前の原始地球の時代である

世界は、言葉がとらえる範囲を超え出ている

言葉に依りすぎることなく、世界をとらえようとする姿勢の一つに、仏教があるようにみえる

「無分別智」という発想がまさにそれだ

その視点からは、自と他という絶対的な区別は発生しない

絶対者、唯一神という概念も生まれない

あらゆる存在が一つであり、ゆるやかにまとまっている

私も草木も獣もみな存在するものであり、そこに上下はない

こうした見方には対立がなく、正邪がない

平和、安寧が根を下ろしやすい

日本の仏教は「葬式仏教」と揶揄されて久しいが、まだまだその真髄は学ぶべきところがあるように思う

禅宗しかり、浄土宗しかり。

40を過ぎ、今更ながらそれを感じる

私は趣味で歩き旅を20年ほど続けているが

道中でつくづく感じるのが、なぜか上記の内容だ

人間も、上空を旋回するトンビも、野原にポタポタ落ちている栗の実も、たいして違いのない存在物にすぎないのだ

私のような一介のサラリーマンに過ぎない者とはいえ、意識せず培った経験知を言語でまとめあげたものが仏教の各経典であるように感じられ、その奥深い世界観に圧倒される
旅を続けることが、そのまま仏典を読み解くことにつながっているかのように思え、感慨を覚える

さて、日本はそろそろ大型連休だ

久方ぶりに、旅に出たい

発見が、楽しみだ


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