JRで車いすは乗車拒否されました問題を通じて短期的には共助を活用した最大限の自助、中長期的には公助が正しいと思った話

中立ポジションで書こうかなとも思ったのだけど、、、書いていたらこの件は批判ポジションとなった。結論、中長期的に公助を差し伸べることにだれも反対していないのだから「現状そうであること」は共助を活用しながら自助をがんばれよと思ったからだ。

珍しくはっきり意見を書いているので気分を害される方、ごめんなさい。また思慮が浅いといわれるのは覚悟の上です。

そのことに関して、何を差別とするか、自助と共助・公助のバランスを検討したうえでこういう弱者ポジションからの被害者プロパガンダの是非という観点で書いてみようと思った。

ことの発端は伊是名夏子さんなる人が事前連絡などの配慮をせずに車いすで小田原駅から熱海駅隣の来宮駅まで電車に乗ろうとしたところ、来宮駅はバリアフリー化が進んでいない無人駅だから熱海駅までで降りてくれと言われたことを差別差別差別と騒いでいる話だ。


駅員の立場からすると突然事前連絡なしに来宮まで行きたいといわれても現状対応できないから代替手段として熱海で降りてそこからバスなどで向かってほしいという主張だったのだろう。

結果は無理やり無人駅まで小田原駅の職員を数人同行させ、100Kgはあるであろう電動車いすを階段で手で運ばせたということらしい。

もちろんSNSを中心に賛否両論だけどちょっと批判のほうが多い印象だ。


論点1)何を差別とするのか

まず第一に何をもって差別とするかという話だ。実際この議論は難しいとも思うのだけど、個人の結論は何の悪意もなく昔から「そうであった」ことを差別といわれるのることには困惑をする。バリアフリー化されていないのはそれまでされてなかったから仕方ないことだからだ。そもそもバリアフリーといわれ始めたのもここ20年くらいの話だしその前に設計されたものが考慮されていないというのは多々あることでそこに差別の思想はなかったはずだ。

一方で「現状そうである」ことを理由に困っている人に手を差し伸べないこと、つまり課題や問題があるのに「いつまでもそう」であることをよしとする態度は差別として認めてもよいのではないかと思った。

ちなみに今回の件に限って言えば渦中の来宮駅はすでにバリアフリー化計画があるらしく、世の中ハンデキャップの方のためだけに回っているわけではないから突然連絡もなく特別対応しろというのは、言われるほうも酷な話でむしろ差別差別を叫んでいるほうが駅員に対する尊敬の念が欠けているのではと思った。

論点2)自助と共助・公助のバランスは?

一方で、こういう差別差別差別と語る人たちに釈然としない違和感を感じるのはおそらく、どこまでを自助できて、どこからを共助・公助で手を差し伸べるべきかのバランスが難しいからだ。

全国のバリアフリー化されてない駅をすべて一気にバリアフリー化するのは困難であることは自明の理だ。ここにハンデキャップを持つ人たちを通じた公共の利益と個人の利益の相反の縮図がある。

バリアフリー化されていない駅をバリアフリー化することでかかる社会的コストは莫大だけどそれを享受する人の数は少ない。だったら代替手段で救うほうが理にかなっているかもしれない。

また、別に電車でなくても行く方法あると考えるとどこまで自助で賄い、どこから社会的に手を差し伸べていくかのバランスは非常に難しい。

そもそも、騒いでいるこの社会党員は事前連絡せずにこういうことを何度も来り返しては差別差別と騒いでいるらしい。

この点はご自身改善できたのではとか、目的地まで行く手段が電車に限られた話ではなく、熱海で降りれば電動車いす対応のバスがたくさんあるではないかといわれるのは当然の反応と思える。

結局、現在の状況下においてどこまでをみんなで助け合えばいいのと疑問に思ってしまうのではないだろうか。

ようは、何を書きたいのかというと、健常者であってもそうでなくてもそれぞれ事情と適したやり方があるわけだからまずは自分でできる方法探せよと思ったわけです。

論点3)弱者ポジションを使ったプロパガンダの押し売りは是か非か?

このような論点と個人的な考えを述べたうえで、この社会党員といわれている伊是名夏子さんを擁護するならば、このような主張を通すことで結果全国のバリアフリー化が加速化されるかもしれないということだ。

しかしだ、、、渦中の駅はすでにバリアフリー化の計画がたっている点、またバリアフリー化に対して反対している人なんて見たことがない点を考えるとちょっとうざすぎる。

こういうのを弱者ポジションからの被害者プロパガンダ押し売りなのだ智うけどこれが是なのか非なのか判断はつかない。

けどこういう主張に辟易とする人は多いはずだ。一般的に人は正しいのだけど、別に悪意がない状態で「現状そうである」点を糾弾されるとうんざりするのはよく見る光景だからだ。

最後に、

正直今回の件もそうだがこの手の弱者による被害者ポジションは度が過ぎていると感じた。要はこういうことを飯のタネにしてるのでしょうなと疑ってしまった。

菅さんが自助、共助、公助という言葉を言ったが、世の中まず自助できることは自助するほうが良いなぁと思ってます。今回の件で言えば、事前に駅に連絡しておけよとか、熱海で降りてバスで行けよとか、目的地にたどり着けないわけではないからハンデキャップをもとに差別差別言うなよとかそんな感じです。

また、被害者ビジネスとも思えるような手法もいいのだけど、普通に困ってしまいましたといえばよかったのでは?

そういう話ならだれもが助けたいですよね。それを差別差別差別差別差別といって世の中を分断させるやり方は個人的には大嫌いです。

見ることはないと思うけど、みんな言わないだけでそう思う人もたくさんいると伊是名夏子さんには自身の行動を少し振り返ってみてほしい。要は自助を放棄しているように思える人に助け求められても同調できないわけです。

そして、最後にこういう気分悪い主張をしてホロホロしている人もいますが、今我々にできること、困っている人を見かけたら助けるという共助を積極的にやりつつ、そういう人が困らないような社会をつくる公助を進めていけたらよいなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?