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ウクライナ有事が私に突きつけたこと

24日から始まったロシアによるウクライナ侵略をニュースを見るとただただ唖然となるだけだ。

いまの心境をつづっておきたいと思い久々にこのnoteを書いているということだ。

1.困惑と無力感

私はロシアの友人もたくさんいるし困惑することだらけだ。

こういう戦争をテレビやスマフォの画面越しに見ていると、90年代イエローモンキーが歌ったJAMという歌が頭をよぎる。

要は、僕は何を思えばいいのだろう、僕は何をすればいいのだろうということだ。

もちろん、反戦の意思を持ち続けて平和を願う精神が重要なことはわかるし、私自身も切にそれを願うばかりだ。

しかし、じゃあ何が自分にできるのだろうと思うと、事実上何もできないのだ。

TwitterをはじめとしたSNSを見ると、ロシアを非難する言説がたくさんあるが結局のところそんなものは今まさに起きている戦争への抑止という観点では何の意味もなさない。

多くの日本の平和主義者が日本語でロシアに即刻侵略をやめろと書いているが、これもかなりむなしい行為だ。

これを英語で書こうが、ロシア語で書こうが大した意味をなさないのだろうが、

色々思いあぐねた結果、結局できたことはFacebookの背景写真にウクライナの国旗の写真を載せることだけだったのである。


2.結局口だけの西側体制

次に思うのはアメリカや、ヨーロッパ、そして日本をはじめとする西側諸国の信じる価値観は脆弱なのではという思いだ。

そもそも、今回の惨劇は、ソ連崩壊後にNATOの東方拡大による東側陣営の取り込みがロシアの安全保障に危機感を抱かせたことだともいわれている。

真相はよくわからいない。それすらも建前で、ロシアの野心の大義名分にされただけかもしれないからだ。

長年我々、少なくとも私は、民主主義と国際協調こそが自国の安定をもたらし、健全な市民生活の礎になると信じてきた。

しかし、もし自分がウクライナ人だとしたら現在の結果はどういうことだろうか?平和と安定を目指すはずのNATOへの加入、また長年欧米が推し進めてきたNATOの拡大が今まさに自らを危機に陥れているのだ。

NATOには加盟できず、援軍を得られないウクライナが気の毒でならない。

もう一つ付け加えると、NTPによる核不拡散に対する長年抱き続けいてきていた疑問も顕在化した。

プーチン大統領は演説にて核を持っていない国は、Sub Nationなんだ見たいな話し方をしていた。要は準国家であってプレーヤーではないということだ。

核の不拡散を平和のためにという意見は一定の理解はできるのだが、結局核が地球に存在し保有する国がある事実を踏まえると、核保有は保有国を大国として機能させるためのツール、ある種の利権であるとしか思えない。

裏を返すとNTP自体が各利権の保護のための制度である面があるのではないかという思いだ。

もともと核保有国であったウクライナはブダペストでの覚書により核兵器を放棄していることは広く知られることだ。

そこにはウクライナが核を実際維持できたのか、費用面の問題、運用の問題なども背景にあったかもしれない。

しかし、NTPの核不拡大に従わず現在まで核を維持していたら今回の惨劇は起こったのだろうかというのは一つの大きな疑問だ。

そして何よりブダペストの覚書で約束された有事の際は米国がウクライナを保護するという約束が履行されていない。そこから日本が示唆を得ることは大いにあるはずだ。

結局、平和の枠組みとしてのNATOや、NTPのひずみで起きた惨劇、それこそがウクライナで現在起きていることなのでであり、西側諸国は平時は理想を売り歩くけれど、圧倒的な現実を前にはいろいろな都合で決して助けてはくれない無力な体制なのではないかと思ってしまうのである。

せいぜい、彼らが売り歩いた国際協調への枠組みの対価は、金融制裁と戦後のロシアの締め上げ程度しか期待できないのである。今現在ウクライナに必要なのは侵略を止める大きな力であることに疑いようがないにも関わらずだ。

3.日本の未来を思う

翻って、日本を思うとどうだろう。

今回のウクライナの惨劇に対して現在は金融制裁などのサンクションを各国が行い始めている。

もしウクライナ国民であるならば、金融制裁などよりも今まさにある危機と不安を大きな力で取り除いてもらいたいと思うはずだが、実際各国が行ている行動はこのあたりにとどまっているようだ。

しかし、それすらもままならない状況があるのも見逃してはならない。中国はロシアを支持している傾向にある。これは想定内としてもドイツなどではロシアへの金融制裁に異を唱えていると聞く。ドイツからしたら自国のエネルギーはロシアに依存しており、エネルギー政策は自国の安全保障の重要な要素であるから当然といえば当然だ。

このことをもとに、例えば、隣国が台湾や尖閣、また対馬などに攻め入ってきた際に我々日本人の安全はどのように担保されるのであろうかという疑問が多いに浮かぶ。

日本は戦後憲法9条を受け入れ、戦後から今までの間、解釈の変更はあれども維持をしてきた国だ。そしてNTPにも批准し、非核3原則を掲げている国だ。

その裏には有事の際に、日米安保でアメリカが日本を守ってくれることを前提に日本の平和を担保しようとしているわけだ。

しかしながら、例えば、中国が台湾や尖閣に侵略をしてきたことを想定しよう。そして、今回ロシアがウクライナを手助けする国を念頭に自身が核保有大国であることを強調している。

要は、ウクライナに軍事的支援を行えば核攻撃を辞さないという脅しだ。

同様の脅しを中国が台湾、尖閣侵攻の際に行うことを想定すると、果たしてアメリカは本当に東アジアの2国を支援してくれるのだろうかという多いな疑問が浮かぶ。

台湾は国民もいる国だが、尖閣などただの無人の島だ。

政治的建前においては、してくれるはずだということに大きな疑いはない。しかし、自国のエネルギー政策の影響で金融支援すらも躊躇する国がある世界を見ると、少なくとも核戦争のリスクを冒してまで東アジアの国を支援するモチベーションはアメリカ、ないしはアメリカ国民にはないかもしれない。

そんなことを思っていると、私は唯々、戦後80年近くも憲法9条の見直しや非核3原則の見直しの議論すらできない日本は未来に対して大きな罪を犯しているのかもしれないと思うのだ。

ウクライナに見る教訓は日本にとって決して軽いものではないのではないだろうか。


4.最後に

今回の騒動はきっと短期的にはロシアが軍事目標を達成するだろう。中長期的には、実はよくわからない。

NATOやNTPの欺瞞とも思われる価値観への疑念が広がり西側諸国の連携は弱まる可能性もある。

またロシアと中国により世界の分断がより顕著になるかもしれない。

はたまた、我々が願う現状のベストストーリーとして西側諸国がしっかりロシアを締め上げ次第に世界は通常運転に戻っていくのかもしれない。

少し先のことはとても流動的で読み切れないのが本音で、今頭の中に広がる10年後の世界は予測可能性が薄れた不確実な未来という混沌だ。

そして、現在ウクライナの中で起きていることも同様に混沌だ。

そんな混沌を思うと、不確実な世界に私は準備できているのだろうか、日本は準備できているのだろうかという疑問が浮かぶ。

目下のところ日本では、憲法9条をどうするかもさることながら有事法制や様々な面での制度の遅れが目立つ。翻って個人を思っても似たようなものだ。

冒頭に書いた通り、私にとってウクライナ有事はそんなことを思い、戸惑うばかりの事件だ。思ってみると、今までのんびりしていた自分が世界の変化を感じ取ったからなのかもしれない。

最後に、現在のウクライナ情勢が直ちに改善をし、また世界が平和に向けて歩みだせるよう切に願っていることを記載してこのnoteを締めくくりたい。

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