見出し画像

2023年6月16日の乾杯

2023年6月16日の乾杯。幸運にもなんとかゲットできたチケットを握りしめ、おじさんとおねえさんで足をはこんだ三鷹市芸術文化センターでの「太宰を聴く」。その感想をお酒を飲み美味しいおつまみを食べながら語り合います。


👱演劇のおじさんと

👩おねえさんです。こんばんは。

👱乾杯。

👩乾杯。本日もまた美味しい物を頂きながらの二人の会話です。

💁失礼します。お通しです。

👱今日は三鷹のほうに来ていましてね。

👩お店のお名前を紹介してもよいと思うけれど、三鷹みかづき酒房さんというお店に来ています。お魚を推している感じのお店ですね。お通しになんかの白子粥がれんげにのって出て参りまして

👱・・・・。おいしい。

👩うふふふ。食べながら。今日はあれですね。三鷹市芸術文化センター星のホールで「太宰を聴く」という朗読の公演を観てきまして。

👱4作品の朗読でした。

👩TEAM NACSの安田顕さんがご出演されるというで。おねえさんが観たいということでね。

👱はい。なんか、ここでは若い団体の演劇を観ることが多いので、演劇としてそれとは雰囲気が違う舞台をみるのが新鮮でもあって。

👩そうですね。それもおひとりでね。セットもよかったですよね。

👱素敵でした。でも、思ったんだけれど、あの舞台ではそれこそ白酒師匠や喬太郎師匠の話芸を楽しんだりもするわけで、そう考えると今回の朗読会も、独特でありながら、他の話芸をみることとなにか共通点があるようにも思えて。

👩うんうん。三鷹市芸術文化センターはこれまでずっといろんな話芸を上演しているから。秀でたプロを呼んでいるから。そういうノウハウがあるから、それを使ってというのもあるよね。ただ、「太宰を聴く」は、私は知らなかったのだけれど、今回が22回目ということで凄く前から、平成12年からやっているんだよね。

👱いろんな俳優が出られていて。

👩ほんと、そうそうたるメンバーがされていますよね。凄いですよ。風間杜夫さんとかもやられているんでしょ。


👱うん。そうそう。平田満さんもだし、あとリリー・フランキーさんとかも。

👩そう、リリー・フランキーさんとかも。粋だよ。やっているのも。大杉漣さんとかもやっているよ。

👱うん、そう。ただご出演はやっぱり男優の方が多くてね。女優のかたはほとんどいらっしゃらなくて。

👩まあ、全部が全部ではないけれど、太宰作品には自叙伝的な、なんというか、自分モチーフが多いから。

👱うふふ。

👩それと今回はね、当初発表された順番を変えて読まれてたりもして。。

👱ああ、はいはい。

👩パンフレットなどにも記載されていた順番だと、「朝」、「魚腹記」、休憩を挟んで「美男子と煙草」、「黄金風景」なのだけれど、冒頭安田顕さんからお話があって彼の我が儘だけどということで順番を変えてね、「魚腹記」、「黄金伝説」、15分休憩があって「美男子と煙草」、「朝」の順番だったんですけれど、どれも滅茶滅茶よかったよね。

👱戦前の作品を前半にやって、後半に戦後の作品を読んだということになったのだけれど、私にとってはそれが分かりやすいというか。まあ画家なんかでもそうなのだけれど、若い頃の芸術家というのは割と外のものをしっかりと描こうとする方が多くて、それが、自分の形が定まっていくなかで、自分の内側を描くように変わってくる部分があるようにもおもうのね。

👩たしかに。でも、私思うのだけれどさ、あの演目だと、「朝」を最初にしたくなる、一応はしたくなると思うのよ。

👱はい。

👩「朝」ってわりと軽めの小説だから。入りにはとても良いし、流れとしてはあとに重みを持ってきたくなっちゃうじゃない。でもね、結果的にはこの順番で凄くよかった。

👱「朝」はさ、やっぱり晩年の作品じゃない。

👩うん。

👱で、その完成度というか密度というのが他の作品とはまた違っていて、

👩安田顕さんがご本人でもおっしゃっていたけれど、声に出すっていうとやっぱり自分のなにかが入る。読んでいる側、朗読している側の感情とか思っていることとか受け止め方が伝わっていく。それでいくと「腹魚記」がいろんな形で、なんだろ頭の中でうわぁって湧いたもの、「魚腹記」って元があるらしいけれど。元のというかインスピレーションを与えられた物があって、それで書いたという感じのものだったのだけれど、けっこうわかりづらいといえばわかりづらいというか、

👱それぞれがいろんな恣意に富んでいるというか・

👩そう、そうだね。恣意にとんでいるというか。けっこういろんなところに飛ぶし、それがおもしろいんだけれど。想像の余地がすごくある、想像していて楽しいという作品が最初に来ていて。安田顕さんの受け止め方がみんなそれぞれに違うのではないかと、言葉に出したらある程度やっぱり朗読側の感情が乗って伝わってしまう、そういう物として印象づいてしまう。特にそれを読んでいなくて観ているとそうなってしまうのだろうなぁと思うのだけれど。ただ、順番を変えて「朝」から入るというのは軽いというか入りやすいとはおもうのだけれど、そうではなくて、最初に想像の余地がある作品からすっと入っていって。それも凄いんだけれど、朗読がすごくおもしろいからそれが出来るのだけれど。自分で下手に読んだら寝ちゃうから。読んだあと本人がおっしゃっていたけれど、「起きてますか?」って。

👱うふふ。

👩で、一番最後に「朝」という。多分一番安田顕さんの、色々パーソナルな部分を一番こちらが勝手に重ねて楽しめてしまうのが「朝」なんだと思うんだよ。それで、照明とかも細かく変わっていてさ、たとえば朝のその白む感じとか。

👱白くしてね・

👩そうそう、全体を通してベースはやや暗くしてね。作品によって照明もちょっと、本当に微妙な違いで変わっていたのもすごく良かったし、

👱私が思ったのは、さっきもちょっと言ったけれど、前半は太宰の比較的若い頃の作品、一方で後半は太宰の晩年の作品だから、その間に戦争を挟んだ10年近くの間があって。

👩うんうん。

👱で、最初のころの作品というのは、太宰が書くことを研いでる時期でもあって、描くものも自分から外に目を向けているんだよね。で、後半は作家の自分を描くすべを見つけての作品になっていて。

👩ああ、そうだね、そうだね。またそれは朗読の妙というか素晴らしいなとおもうのだけれど、後半の「美男子と煙草」という作品の、それは太宰さんが編集さんに浮浪者を観にいくぞって言われて酒を飲まされて、連れ出されて、写真を撮られてみたいな話なのだけれど、ちょっと似ているぞみたいな。

👱太宰自身のイメージにね。あの作品の中ではある意味、太宰治がとてもシニカルに自分を観ているじゃないですか・

👩そう。だからこそ、朗読をしたときに安田顕さんがやっていたことが、編集者のせりふをけっこう記号にしていたの。で、太宰さんのせりふはすごく人間の血がかよっている、伊吹を感じる、呼吸をしている感じでやっているのがすごくよくて。

👱それを酒で流すんだよね。

👩うん、そうそう。あれは晩年の作品だから、作家の外にむいていない感じをそんな風に自分で演出するんだって。

👱自分のなかで自分を見つめていることが伝わってきたしね。

👩作品としても面白いし、その安田顕さんの演じ方がめちゃ勉強になった。だってやりたくなっちゃうもの。その、編集者も、そこを記号に、編集者A・B・Cみたいな感じでやっていたのが滅茶滅茶いいなぁって。

👱やっぱり、太宰さんのウィスキーのどぶろくっていう感覚ね、それがああやって聴くとものすごく説得力があるんだよ。

👩うんうん。でも今おじさんと私がしゃべっているものってちょっとずつ違う。私は作品があって、そのお芝居のことを言っているけれどおじさんは作品のことを言っているから。

👱うん、というか、太宰の作品があって、それを読む安田顕がスクリーンになって浮かんでくるのだけれどその表現というか現れ方が前半と後半で全然違うという。

👩ああ、なるほどね。確かに。

👱前半の安田顕さんは語り部なんだよ、物語の。でも後半は太宰さんが考えたことを演じているんだよ。

👩うんうん、そうだね。その中の演じ方が素晴らしかった。

👱それが、交互に混じってしまうと、どこか共に平板にしかみえないものが、ああやって、前半後半それぞれにかためてくれたことで、それぞれの2作品が相乗効果で空気を醸し出しているようにも見えた。

👩まあ、細かいその動き、ほんとうに細かい。たとえばちょっとした水を飲むとか読んでる台本を立てるとか寝かせるとか、全部が計算されているというか、全部ではないかもしれないがこっちが勝手に意味を見いだして楽しめるくらい、凄い良い料理を頂いたという気持ち。

👱だから、やり方や演じ方は全く違うけれど、観ているうちにあれも一種の落語だなっておもったんだよね。

👩そうだね。舞台のセットもね、なんかこう、上がれるようになっていて、後ろに涼しげな屏風みたいなものが立てられていて、行灯があって、文机が置かれていて。

👱それでさ、ちゃんと座っていて、挨拶をして雑談をして、さあ読もうというときにちょっと足を崩して座り直すんだけれど、そこに噺家さんが羽織りを脱ぐときのような効果があってね。

👩そうだね、そう。あれ、めっちゃよかったよ。

👱あの瞬間が、話に入っていく合図にもなっているという。

👩うん、やばいなぁって思ったもの。

👱ああやって聴くと、本で読む太宰治の世界って狭く自分の中だけで想像している世界だというのがよくわかるよね。

👩うんわかる、わかる。あと自分がどういうふうに想像していたかというのもわかった。本当に面白かった。「太宰を聴く」という企画が本当に面白かったからみんな観てと思うし、これからも楽しみだよね。次は誰がくるのだろうって。あのシリーズはずっと観ている人もいるのだろうなぁって思ったよ。

👱まあ、チケットを取るのは大変だったけれどね。

👩いやぁ、ほんとだよね。

💁お刺身の盛り合わせです。お醤油は2種類ございます。右から少し濃くて甘いお醤油、真ん中が生醤油ですね。左にはポンズをご用意しましたのですずきやヒラメにご利用ください、いかと蛸は塩でお召し上がりください。

👩どれどれ。・・・・うわぁ、おいしい。

👱ああ、馬鹿な私でもわかるようにちゃんと魚の小さな札がついている。うわぁ、これはおいしい。

👩ほんと美味しいねぇ。この店いいなぁ。三鷹みかづき酒房さんですね。皆さんも是非に来てください。美味しいですよ。刺身の盛り合わせがお勧めです。話が一回止まってしまうくらいおいしいから。

👱なんか無言になってしまいますね。でも気合いを入れて話を戻して。

👩それにしても、良い会だった。面白かったなぁ、太宰、改めて本を読みたくなるような良い朗読会だった。

👱多分、これを観たあとで太宰治の本を読んだらまた違う感覚が、視野がまた変わって訪れるような気もするしね。

👩私は、今日の朗読の作品、事前に全部読んでしまったのですけれど。

👱私は「朝」だけ知っていたのですけれどね。

👩うんうん。なんか、頭の中で流れたのとの違いもあって楽しかったなぁ。ああ、こんなに捉え方が違うんだと思ったのもすごく面白かったの。

👱なるほど。

👩でもさぁ、かっこよかったね、安田顕さん。おじさんからみてどうですか?

👱うん、ダンディだったよね。

👩うんうん。

👱というか、そもそも太宰治にも情けなかったり弱っちかったりするだけではないダンディなイメージってあるんですよ・

👩そうかぁ。

👱だって、銀座のルパンだっけ、太宰治がバーの高いスツールに片膝を立てて座っている写真が残っているじゃないですか。あれを観ると彼ってダンディだったんだなぁって思う。

👩ああ、あるよね、ある。あのルパンも知ってるよ。見に行ったことがある。というか飲みに行きましたよ。

👱銀座のあんな感じのバーでいろんなことを語り、自分は駄目だなんて書いているわけでしょ。

👩いや、私昔「人間失格」をやったことがあるんだ。

👱ああ、お芝居でね。

👩うん、「人間失格」をモチーフとしたやつだけれど。その時に色々見たんだけれどね、あの、わかるの、ああいう男性って。女性も男性も関係なくはまる人にはまってしまうんだよね。ほうっておけないというか。だって駄目な人じゃん。駄目で才能がある人なんだよ。

👱いやぁ、ああいう駄目さは麻薬だと思う。

👩うん。駄目な人なのよ。どうしようもない人なのよ。でもそこが良いのよ。そこからうわぁって文章を書いているのが好きってなってしまうのね。

👱いや、破綻者の一面を持った人だとは思うのよ。

👩そうだね。

👱破綻者だとは思うのだけれど、なんにも知らずで破綻者というわけではないというか

👩そうだね、そうだね。

👱自覚があった。で、そういう自分を見つめる醒めた目があって、その上で破綻していく人って時にものすごいオーラがあって、魅力があるんですよ。

👩そうねぇ。わかるなぁ。めちゃくちゃ魅力的なのよ。

👱はいはい。

👩今日の公演って映像とかにならないのかねぇ。したらいいのにね。めちゃめちゃいいのに。まあ、またいろいろ大変なのか。

👱多分ね、著作権とかは青空文庫に収められているくらいだから大丈夫だとおもうのだけれど、

👩俳優さんの諸々もあるしね。

👱それと、生だからただそのままに観ているけれど、あの雰囲気とか呼吸をそのまま映像にしようとするとけっこう大変なのだと思う。

👩確かにね。

👱ああやって語る中でも客席に押し出している部分と引いて客観的に演じている部分ってあるじゃないですか、安田顕さんの朗読には。

👩あるよね。

👱観客に見せようとする部分と観客を引込もうとする部分というか。あれを映像で描き出すのはけっこう難しいんじゃないかなぁとか思う。

👩でも、もう一回みたいじゃん。観た人は観たいし観てもいいじゃん。

👱観た人が、記憶に重ねあわせて観るというのは素敵だと思う。

👩でも観てない人も観たいよ。チケット取れなかった人とかたくさんいただろうからね。込んでいたねぇ。チケット争奪戦が大変だったと聞きました。

👱5分くらいで蒸発したみたいですから。

👩それはそうだろうねぇ。めちゃくちゃ良かったから。

👱あの柳家喬太郎師匠でも先行予約時の場合発売から15分くらいは残っているのだけれど。

👩うふふふ。

👱まあ、喬太郎師匠の場合は昼夜の2回公演なのだけれど、安田顕さんの場合は夜一回だけだったしね。

👩三鷹市芸術文化センターには落語などもよく観に行くけれどその時とはお客様の感じも違いましたね。

👱客層は全然違う。

👩見たことないというか、おお、違うなとか思って。不思議って。

👱三越劇場とかに行くとああいう感じの方もいらっしゃって。

👩ファンの方だなって言うのがすごくわかった。私は読んでいるから、全部、笑いの起こるところも違っておもしろかった。ああそうかって思えて新鮮だった。そうだよねって思って。「朝」とかに笑いがけっこう起きていたけれどなるほどねって思った。

👱ある意味とても下世話な話でもあるじゃない。「朝」って。

👩まあね。でもそれが下品になっていないから素晴らしいなぁって思う。

👱あの語り口に吸い込まれた瞬間に人間の性みたいなものをすっと渡される感じがして。それは演じる側の力でもあるし。

👩そうだし、私はそれは人にもよると思った。その俳優の力とか観る側がやってきたものだったりとか、今までに歩んできたこととか。やっぱり演劇とは舞台に立っている人達だけではなくて、演劇人というのは、舞台に立つ役者とか、そのスタッフさん、演出家とか脚本家もそうだし。あと、私、観劇人っていうじゃない?

👱うん。

👩観劇人もやっぱり演劇人だって私は思うの。一緒に作っているなあって思う。だってあれが許されない空気だったら成立しないけど、だからおもうけれど、いろんなものが窮屈になっているっていうじゃない。テレビなんか特にね。テレビとかでのことは許さない人が多いから。声をあげやすくなっているからまあそれはぎゅぎゅってなるよね。

👱はいはい。

👩ツイッターとかあるでしょ。だれも見ていなくても世の中にぽんと出すことが出来て、それを誰でもみつけることができるツールがあるじゃない。昔だとなぜ許されていたかというと、昔はバレてなかったんだよ、いろんなことが。ある程度声が大きい人ではないと、ブログとかで人を集めているとかある程度の視聴者を持っている人ではないと誰にも届かなかったの。黙殺じゃないけれど気づかれていなかったのが今はすぐ気づかれるようになったから、

👱存在自体がね。

👩そうそう。今は見つかるようになったから、だれでも見れることでそういうことを言うことができるようになったから、良くなった部分もあると思うし。まあ、声が大きい人が強いみたいなところもあるけれどね。でもそれに、まあなんというかいろんなさ、スポンサーさんとかもあって、一枚岩ではまったくないわけだから、いろんな柵があるわけだからしょうがないとはいえ、昔が良いっていっているわけではないよ。昔やっていてひどいなってこともあったし、眉をひそめることもあったけれど。

👱うん。

👩でも、毒がなければ、毒にも薬にもならないものなって面白くないじゃない。

👱うふふふ。

👩そんなもん、なにがおもしろいのって思うの。なんか自分でも思う。私今、毒にも薬にもなっていないんじゃないかと思っているの、生き方的に。今つまんないな、自分がって。誰かにとっておもしろいって思うのって、やっぱりなにかに固執しているから、なにかと勝負しているからだと思うのね。何かに勇気を出して一歩踏み出しているからだと思うんだ。私は、けっこう長い間、ちょっと心が疲れてあれってなっているじゃないですか。でも、その欲、一歩踏み出したいって欲、なにかをするぞっていう欲みたいなものは消えてなくて、ずっとあって、それが出来ていないことでのストレスというものもあるのだけれど、でもこういう形もあるんだなって。その、今日の朗読会が一歩踏み出せって言っているわけではまったくないんだよ。ただまあ、きっとさ、わからないけれどきっとさ、安田顕さん、わからないけれどめちゃめちゃ読んだのだろうなって思うの。

👱うんうん。

👩ほんと大変だったのだろうなって思うの。それを一回の舞台のためにやってくれたんだという贅沢さ、感謝。

👱確かにね。それがあっての彼の醸すライブ感だろうし、訪れるものは、彼が太宰治の何を表現しようとしたかということだと思うし、それは人が内にもっている生きているということなのだとも思う。まあそれは時にエロさやインモラルに対する葛藤だったりもするわけですよ。

👩ああ、はいはい。

👱で、そういうものは、そこに表現の志がある以上押さえてしまってはだめなんですよ。

👩うん。

👱特に後半の彼の朗読には、それが生かされているからこそ、太宰治が描いた太宰治生きている感覚っていうのがうまく観る側が受け取りうるように落とされていたような気がするのね。

👩うん。

👱このあいだ、ルーブル美術館展を観に行ったのね。

👩あぁ、はいはい。

👱東京はもう終わってしまうのだけれど、16世紀とか17世紀の愛を表現するという裸体画みたいなものもたくさん展示されている訳よ。それを観て、芸術というのは自分の心に感じる美しいものとか人が抱く愛の姿とかを描くための躊躇いや葛藤を許すような自由さがちゃんとあったし、尊いとも思われていたし、人々はそれを愛でてもいたわけですよ。

👩なるほど。

👱ただ、この間とても気になる事件があって。

👩えっ、なになに。

👱埼玉県の公営プールで水着の撮影会をやろうとしたら、

👩ああ、あれね!あれね!

👱共産党とかいう政党の頭の固まっているおじさんとかおばさんとかが、

👩馬鹿かとおもったよね。

👱これはいけないと。性の商品化だとかいっちゃもんをつけて、中止をさせようとしたという。

👩私さ、やっぱり女の敵は女かって思ったよ。あと、市長かだっけ。いろいろと反論があがってやっぱりやめるのやめますとか。

👱県知事だったかな。

👩確かに中学生も参加していたらしいのよ。でも、それも良い悪いではないとおもう。本人はアイドルなのよ。ちょっと気になったから調べたのだけれど、アイドルとしてこれからもやっていきたい。ただ、今の段階で、判断ができる女の子、判断ができる男の子、いると思う。判断のできる中学生、頭の良い中学生もいると思う。でもできない子もいると思うのよ。そうなったときにはそれを大人に託すとなってしまう。今は分かっていると思っていても、やっぱり年齢を重ねてからわかることってあるし、それにどういう影響がでるかっていうのはその時になってみなければわからないし、今は良くてもあとからやっぱりというのもあるじゃないですか。それを判断するのは大人の責任だと思うけれど、けれど、だからといって、駄目って、女性達が戦おうって命かけてそこに席を取ったのを。いや駄目だ、性的搾取だからやらせませんって、何日前にいうのはおかしいと思う。

👱そもそも、それを駄目って言うあれは、自分たちのモラルじゃない。

👩そうだね。

👱自分たちの価値観なのよ。下手をすれば独りよがりの。

👩自分たちの見たいところしか見ていないのがおかしいなっておもうのよ。

👱表現ということについて、あれをもし禁止するのだったら、今回と同様である公共施設である東京都写真美術館で展示される写真だって展示ができなくなってしまう。そこには写す側、写される側の、表現と言うことに関して真摯な気持ちで切り取られる綺麗なものとかエロい物とか、そこに込められた感情とか、憧れとか、様々なものであって、それは写真の撮影会でシャッターの先で写し取られるものと同じ根っこだともおもうのね。

👩ただ、それは思うけれど、それらはもう作品として完成されたものじゃない。

👱そうではあるんだけれど、

👩ちょっと待って。でもそれと同列にするのはちょっと違うと思うの。写真の撮影会にはいろんな人が撮りにくるじゃない。そこには、これは難しいところでさ、作品として美術館やギャラリーに出されているものは、ちゃんと完成品として出されているから。

👱だけど、ただね、荒木経惟氏だって篠山紀信氏だってその表現を試行錯誤して、様々な機会に撮影したものと向き合い研いで自らの世界を作り上げていったのだと思うのね。

👩うん。

👱あの水着撮影会も、そういう意味では撮影者として、被写体として、彼らが抱いている物を表現するというか、自らの内にあるものを解き放つ鍛錬の機会でもあるわけで、年齢とかそれを運営していく規則を守りなさいというのはまっとうなことではあるのだけれど、それを一概に駄目ってしてしまうのは、そういう表現する機会や気持ちの芽を根こそぎ摘んでしまうことでもあるので。

👩うん、それはそうだね。ただ、思うところはあるよ、個人的に。私はクローズドで、みんなチケットを買って、出る方も納得していてということであっても、出る方の年齢というのは大きいと思うから。子供と呼ばれる年齢のうちは、やっぱりその、大人になったときにそれを全部良しとして生きていけるかは別問題だから。あのイベントはそれがどのように撮影されどのように残るかがわからないじゃない。お金を払ったカメラマンたちが好きに撮れてしまうから、どんな形にでも取れてしまうから、どういう切り取られ方をしてどういう風に残るかわからないじゃない。それは守られるべきだとも思うの。

👱うん、それは分かる。

👩ただ、だったら、最初にちゃんと判断する。今回のケースは外側の人の意見に踊らされてやっているのが馬鹿だと思うの。話合いとか、いや違うんですとかいう話とのすり合わせとか、そういうものもなく駄目っていうのは馬鹿かって思う。一回許可を出しているんだろって。こういうイベントも始めてではないだろうし。

👱だから年齢とか、そういうのは考慮されるべきだし大切だとはおもうけど。

👩大事。だけどそういうのじゃないんだな、今回の論点は。あほなのよ。

👱搾取とかいうけれど、片方がイメージを与えもう片方がそれを受け取って表現することを盲目的に搾取と呼ぶのであれば、それは公序良俗の仮面をかぶって文化を殺しているのと同じだからね

👩それはそう。たとえば、今夜の太宰治の作品も、今テレビで読めない物っていっぱいあるじゃない。

👱そう、厳格な基準に従えばやばいやつがたくさんある。

👩それでもそれを表現として受け取るというのは、たとえばその時代だからってわかっているから。でも、そのためには知識が要ると思うの、教養がね。その時代はこうなっていて、今の時代はこうでって。私は個人的に自分の知識が足りないな、悔しいなとはおもうのだけれど、だけど、学んでいきたいなとは思って。今もいい大人ですけれど、でも日々学んでいきたい、学ぶことを諦めずにいたいと思うわけですよ。分からないことはいっぱいある、この間もインドとインドネシアを間違えてうっとなったんだけれど。

👱あらあら。

👩もう、まあ、インドの話をしていてね、ああそうそう、インドネシアではねって口走ったという話なのだけど、恥ずかしかった。すごく恥ずかしかった。

👱勘違いや言い違いはありがちだけれどね。それは鍛錬しましょう。

👩うふふ。

👱まあ、今回のものも含め太宰治の世界というのはモラルで縛りきれないところがあってね。安田さんが演じた物というのは、そういう部分をそのままに抽出して、あくまでも歪めないで彼の表現のコアに重ね合せて、観る側に渡してくれた物だと感じたけれどね。

👩あとね、あの自然さっていうのは素晴らしいと思った。まあ、何回かは噛んでいたけれど。

👱そこはね、それも含めて一期一会の演劇だから。


👩うふ。そうですね。そうそう、私たちは明後日またご一緒するんですよね。

👱はい、歌舞伎をご一緒することになっていて。

👩そちらも楽しみにしております。

👱はい。では今夜の「太宰を聴く」のお話はこのくらいにしましょうか。

👩そうですね。

👱ああ、そうだ。ひとつだけ今後のおすすめの公演を。実は私が最近注目している団体に「海外戯曲をやってみる会」というのがありまして。何人かの俳優が集まって小さなリーディングの会などをやっていたりもしていたみたいなのですのですけれど、そこに俳優の参加者が増えまして、公演を打つことになったみたいで。なんかWebラジオなんかもやっていてそれもけっこう面白いの。

👩ほう。

👱今回は『この雨やむとき』という、アンドリュー・ボウェルというオーストラリア人作家の作品なのだけれど。

👩海外戯曲!

👱実力派の印象がある俳優の方達がご出演だし、けっこう面白そうなんですよね。あと、照明を富山貴之さんが担当されているし。彼の照明はマームとジプシーや青年団の公演でも観たことがあって、舞台にしっかりとニュアンスが生まれる光を作る方で。

👩いつからいつまでですか。

👱6月29日から7月9日まで。会場は新宿・雑遊ですね。また下のおすすめのところに公演情報を掲載しておきますね。

👩はい。

👱では、今夜はこのくらいにしましょうか。

👩そうですね。

👱それでは、演劇のおじさんと

👩おねえさんでした。

👱また、次回。


(ご参考)

第22回 太宰を聴く~太宰治朗読会~

2023年6月16日 19:00

@三鷹市芸術文化センター星のホール
朗読:安田顕
朗読作品(上演順)
『魚服記』昭和8年』
『『黄金風景』 昭和14年』
 ― 休憩 ―
『美男子と煙草』昭和23年
『朝』 昭和22年
―三鷹みかづき酒房
https://tabelog.com/tokyo/A1320/A132002/13211727/


(今後のおすすめ)
・海外戯曲をやってみる会『この雨やむとき』
2023年6月29日~7月9日@雑遊
脚本:アンドリュー・ボヴェル
翻訳・演出:森田あや(らまのだ)
出演:井上幸太郎、大沼百合子、斉藤麻衣子、
相樂孝仁(殿様ランチ)、田中里衣、
松本みゆき(マチルダアパルトマン)、三宅勝、
山森信太郎(髭亀鶴)
https://kaigaigikyoku.com/nextstage.html


よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは我々の会話をより多岐に豊かにするために使用いたします。よろしくお願いいたします。