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2023年3月12日の乾杯

👩乾杯!!
👨乾杯!!演劇のおじさんと、
👩おねえさんです。こんにちは。
👨こんにちは。
👩改めて乾杯!
👨はい、乾杯。
👩いやはや、いやはや、今日はあれでしたね。
👨東京芸術劇場のシアターウエストで、
👩はい、同じお芝居を観まして。
👨『神舞の庭』というお芝居だったのですけれどね。宮崎県立芸術劇場の演劇創作シリーズ「新かぼちゃといもがら物語」の第7弾ということで、宮崎と東京の2か所で上演された舞台だったのだけれど。
👩私はアンケートってあんまり書かないのだけれど、久しぶりに凄い勢いでアンケートを書きました。いやぁ、面白かったし、まあこれからいろいろとお話をしようとおもうのだけれど。

東京芸術劇場 シアターウエスト

👨はい。
👩まあ、みんながみんな泣くというようなお芝居ではないのかもしれないけれど、なんか後半の穏やかなシーンで私は涙が止まらなくて。ぼろぼろぼろって。なんかそのシーンというよりは、その一連に重ねられたものからもらった郷愁というかなんというか、たまらなくて涙が止まりませんでした。
👨うんうん。あと私はね、なんかひとりひとりの男たちがそれぞれに人に言わないでがんばっているところから、神様という存在があってね、そこに委ねていくまでのシーンに心を捉われて。
👩あらすじはね、HPや当日パンフレットにもあるのだけれど。
👨HP上のあらすじを読み上げると、「宮崎の山間にある集落で、代々その地区の神楽を受け継いできた中崎家。祭の前日、実家で暮らす次男・亮二夫婦のもとに、東京在住の長男・俊一が。突然妻子を連れて帰ってくる。同日。老母登志子が倒れて昏睡状態になってしまい・・・。混乱の中、中崎家の人々が抱える悩みが次第に明らかになっていく。」ということなのだけれど。
👩うん。本当に面白かった。
👨やっぱりねぇ脚本が、もう男前。
👩うふふふ。
👨冒頭のモノローグがしっかりと観る側に植え付けられて、しかもそれが話の展開の先で回収され、男性が抱えているものとして見えてくるというのが凄いなぁとおもって。
👩いやぁ、ほんとうに。なんか久しぶりに大きな劇場で舞台を見たなぁという感じなのでね、生で。
👨うん、観たもののボリューム感がありましたものね。
👩舞台を観てはいるのだけれどさ、今回くらいの大きさの舞台でみるのは久しぶりなので、ふわぁってなったな。
👨俳優たちも要所で身体が利いたり、しっかりと演じることが出来る人がそろっていましたものね。
👩そうそう。その、派手ではないのよ。派手である必要なないお芝居なのだけれど、でも観ていてすごく沁みたなぁ。なんか、うちも神道だから、島根県だしね。まあ、場所にもよるのだけれど、島根県でも県庁所在地って松江だから、松江なんかにはおうちが仏教という人もいるのだけれど、地域によっては、私の住んでいたところもそうだけれど、仏教がほぼないみたいなところもあるのよ。
👨ああ、出雲は神道の中心みたいなところなのでしょ。年に一回神様が集まって大宴会をやるっていう。
👩いやいや。でも、私なんかは仏教の方が馴染みがなかったくらいで、へぇそうなのっておもうことの方が多かったりもして。なにせ住んでいるところが全部神道だったから。
👨ああ、ご近所もまわりもみんなそうっていうことね。
👩そう。うちもそうだし。おじいちゃんも毎朝祝詞をあげていたし。それで起きていたみたいなところもあるし。で、一緒にお皿を並べて神棚にご飯を供えてみたいな。
👨うんうん。
👩そうだ、そうだったみたいな。あの、神事とかあるときさ、祭りとか神事とかがあるときにはさぁ、おばあちゃんとかお母さんがめちゃめちゃ料理をしていて、大変なのよ。いってしまえば、劇中でもあったけれどさ、今は男だからとか女だからとかそういうことをあんまり言ってはいけないけどというのも、うちはわかるの。それが田舎の嫌だなって思った所でもあったし、でも、私の中にあるものなのだろうなぁって。いや、今それをしたいかという話ではなくてね。
👨うん。でもルーツではあるのでしょ?
👩ルーツ、そうそう、まさにそう。ルーツなのですよ、私の。ルーツなのだよなぁ。
👨うちは両親がクリスチャンだったからね。宗派は違うけれど。
👩そうだよね。
👨だから、クリスマスとか復活祭とかは独特の雰囲気があるのだけれど。なにかわけのわからないね、今にして思えば体に悪かったのではないかとおもうような、絵を描いたゆで卵を貰って喜んでいたりもしたけれどね。
👩うふふふ。
👨でも、まあ時期的な問題もあって、それで授業を休むということはなかったけれど。今思い出したのだけれど、4年間毎年、お祭りの時期だからって授業を休む友達って何人かいて、人が足りないから手伝いにこないと誘われたこともあっていったこともあって。それも泊りがけでね。大学生のころだから、力仕事とか荷物の整理とかを手伝ったことがあるのだけれど。私にとってあれば、今までにない経験というか、価値観が変わるような世界でね。まあ、みんな飲むは飲むは。
👩うん、みんなめっちゃ飲む。尋常じゃないくらい、なにかというとお酒を飲む。もう、私の中にもそれがあるのだろうなって思うもの。飲み方がえげつないもの。
👨そうだよね、今はもう時効だけれど、その時には18歳や19歳であっても関係なくわんこそば状態でお酒を注がれてたしね。あの、学生結婚をした友達がいて、その両方とけっこう親しかったので結婚式に呼ばれたことがあったのね。その大学があったところから2両連結の電車に1時間くらいのるような田舎だったのだけれど。
👩2両で走っているんだ、凄いね。
👨そ、そう?
👩うちの周りは一両だったよ。
👨そこはかろうじて電化されていて電車だったよ。
👩うちの方はワンマン電車だった。
👨それはあの電車もそうだった。あんな空いた電車を二人がかりで運行していたら採算とかとれないだろうし。
👩ちなみに松江の駅の改札は人力だったよ。今はどうなのかなあ。でも私がいたときには人力だったよ。SUICAとかないんじゃないかなぁ。
👨でも、今でも京都の嵐電なんかでも半分は人が車内で処理していて、自動改札があるのは大きな駅だけじゃないですか。
👩でも、一応県庁所在地だよ、松江は。
👨いや、京都だって県庁所在地だし1000年ほど前には首都でもあったのだけれど。
👩でも、京都の場合、京都駅は近代的じゃないですか。島根は松江駅でもそんなかんじの駅だから。
👨ああ、なるほど。
👩京都駅は凄く立派じゃないですか。あんなのないから。島根駅はもうなんにもないのだから。やばいよ、ほんとに、県全体が過去なのだから。
👨いやいや、そうは言っても立派な神社などがあるところだから。
👩まあね、でも行きづらいし、車がないと絶対に生きていけないし。で、田舎特有のさ、今日の舞台もそうだったけれど、都会の人と田舎の人の感覚の違いとか絶対にあるもの。
👨前半のあの感覚の違い、面白かったよね。ああそうかって思ったりもしたし。さすがに倒れても救急車を呼ばないという判断にはびっくりしたけれど。
👩でも、来ないところってあるからね。
👨だからドクターヘリとかが活躍するのね。
👩そうそう。でもなんというか、その、なんだろうなぁ、田舎の人にしかわからない感覚ってあるよね。なんとも言えないさぁ。それが嫌だなぁとおもっていたところでもあるし、
👨あの、若い頃ってみんな都会にあこがれるじゃないですか。だけどそうやってあこがれていてもねぇ。あ。そうそう、話は戻るけれど、その結婚式に招かれたのですけれどね。それが、旦那さんのお家でやったの。そうしたら、その披露宴的なものが何時から何時までという感じではないのね。
👩どういう?
👨なんというか、のべ2泊3日みたいな・・・。
👩あははは。
👨朝の11時くらいに来てくださいとか言われて、ご学友様軍団でぞろぞろいったら、大きめの部屋に案内されて、疲れたらこちらで休んでくださいねとか言われて。で、けっこう歩いて神社に参拝して式を拝見して、そのあと帰りも歩いて旦那の家に戻って、そこからが大宴会で。最初はお膳が綺麗に並べられていてご両親からご挨拶もいただいたのだけれど、その態があったのは最初の2時間くらいで。
👩まあ、そうでしょうね。
👨そこから、喰って飲んで、寝て飲んで寝てで、結局翌々日の始発まで。で、新郎新婦は交代ではあってもずっと同じ部屋にいて、宴会につきあっていて。 
👩辛い、辛すぎるよ。  
👨まあ、そんな田舎のこともなんどか経験したから、田舎の人って住んでいる土地での神社とのかかわりで暮らしているのだなぁということも体感的にはわかるのだけれどね。
👩神社だけじゃなくて仏教もあるよ。私の友達の同級生の子はお寺さんの娘だったからね。
👨キリスト教はまた違ったつながりでね。私の大学の時の友達の彼女が牧師さんの娘で、それはそれでまた違ったコミュニティなのよ。
👩まあ、ここには仏教徒はいないけれどね。
👨まあ、それをいうならばイスラム教徒もいらっしゃらないけれど。
👩でも、今日の舞台とかさ、自分に近いことでわかることもめちゃめちゃあるし、幼心に見ていたこととか起こっていたこと、生活みたいなことに、ものすごく重なる部分がある。それがさ、ふとした部分が切なかったり、懐かしかったり、ほんとに郷愁を誘う。なんかもう泣きそう。なんかね、あれを観ることってなんなのだろう、ほかの人はどう思うのだろうって。それぞれに感じたことは違うのだろうけれど、私はすでに思い出の中に、いくつもの思い出の中に、島根県に住んでいた実家はもうないので、だれもいないし。というかあるのだけれど、まあもう、親戚の子が住んでいて、誰も住みたがらないので、従妹の一番下の子がオンラインで仕事をしているから、どこでも仕事ができるからっていって、そこに住みます、管理を兼ねてということで、もう私が帰れるようなお家ではないの。そこへのなにかどうしようもない愛というか、切なさ。生活していたあの頃のことを思って。うーん、なんか今もまだ整理がつかない。これはどういう気持ちなのだろうって思って。でもあるものってすごく思った。あの、舞台を観ていておもったのだけれど、そうなのよねって。これ、今、普通にあるのよって。そうなのよ。生活の中に神様がいて、神事があって、それは特別な高尚なものではなくて、地続きで、日常からあるものなのよ。
👨うん。
👩朝起きる。ご飯を食べる、お昼を食べる、みたいな生活のほんとひとつ。全然普通のこと。そうなんだよって思って。なんか近くのお地蔵様のところで集まってお祭りをするなんてことがあったの。「お地蔵さん」というお祭りがあったの。
👨なんかそれって。神道系のところでも年年歳歳、いろんなことがあるのだろうけれど、キリスト教なども同じでね。クリスマスとか復活祭にはみんな集まってだし、そもそも、キリスト教のミサとか礼拝って1年単位でスケジュールがまわっていて、その時々にちなんだ聖書の一節を読み、お祈りをするような仕組みになっていて。
👩ふーん。
👨で、信者の子供は毎週日曜日の朝には親と一緒に教会にいって、日曜学校といわれるもので神様のことをお勉強するわけですよ。うちの母方は親戚みんなカトリックで、私も小学校の3年生くらいまでは悪魔に染められていないいたいけな子供だったから、けっこう真面目に通っていた。
👩うんうん。
👨でね、私が小さい頃ってまだ世間がそこまで西洋化されていなかったから、また神父様には海外の方も多かったから、教会で日曜学校の後にでてくるおやつとかって、ほかでは食べたことがないものもあっておいしかったのよ。
👩ああ、そうなんだ。それはおうちではなじみがないぞってなるよね。
👨修道院で作ったお菓子なんかもたまに頂いたりして、今から思えば発酵バターを使ってつくったクッキーとか、
👩バターの香り、甘いぞ、あんこと違うってなるよね。
👨そうそう。一度、ミルクと卵黄を使った暖かくて甘い飲み物を頂いたことがあって。まあ、ホットミルクセーキとでもいいますか。で、当時世間にはそんなものどこにもなかったわけで。
👩ああ、そうですね、きっと。
👨ああ、世の中にはこんなにおいしいものがあるんだ。これなら、神様を信じるしかないなとか幼心におもうわけですよ。
👩うんうん。
👨でも、そうなって神様が自分の中に居付いてしまうと、信じていますとか言葉にするものとは別に、なんだろ、価値観として神様があったりもするのね。
👩ああ、そうだね。もう自分の一部になってしまうから。そういうものなのよ。なんかいろんな宗教があるじゃない。私は迷惑をかけたり人を悲しませなければ、あとトップに悪い人がいたりとかそういうのではなければ、でもほら、いろんなものがあるじゃない、宗教というのはとてもデリケートな問題でさ、デリケートな問題というよりはデリケートなことでさ、あの悪い奴がいるじゃない。
👨ねえ、
👩信者を喰いものにしたりというところもあるじゃない。私は思うのだけれど、文化だからこそ、もう価値観になるからこそ、そこを利用するのはダメだって思うし、そうでなければどんな信仰があったとしてもそれは素敵だと思うよ。それぞれだとおもうし。誰がなにを信じているかということは。だって人に押し付けているわけでもないし、自分が思っているものだから、そうであってほしいと思うのだけれど。そう、なんかね、価値観がもう変わらないの。私、そうであることができた自分が好きだもの。 
👨ああ、なるほどね。それはわかる。
👩私も生きてきて、おじいちゃんが朝祝詞をあげていて、「霊世の・・」から始まって、覚えちゃえくらい聞いていたからね。そういう生活が凄い好きだ。
👨うちのおばあちゃんも、動けなくなるまでは毎週日曜日になると教会に通っていたみたいだからね。
👩ああ、でもそうだよね。
👨で、カトリックだから、動けなくなってからも寝床の横にはロザリオがおいてあって、マリア様も近くに祀ってあって決まった時間にお祈りをしていたみたい。宗教の中でもまっとうな宗教って,人に求めない、信じることに対してその代償の何かを求めないのだと思うしね。昔仕事の関係でイスラム教の方ともお付き合いがあったりもしたけれど、イスラム教にはジハードとかテロのイメージもあるけれど、大部分の人たちのイスラム教ってそういうのとは違っていて、アラーの神を信じるということが大事なのであって、ただ一部の人たちがそれを自分の正義とか利益とか満足に利用してしまうと、ああなってしまう。
👩そうね。
👨私がお付き合いした彼らは博愛主義者だったし、人情や互いを思いやる気持ちも変わらなかったし、信じる気持ちがあるというか神がそこにあって生活をしてもいたし。ただ、昨今言われているというか世間を騒がせている宗教のことにしてもそうなのだろうけれど、一部の人たちがそのやり方を乗っ取って自分たちの利益とか権力とか政治とか戦いに利用してしまうとああなってしまうこともあるのだろうけれど、でもそれはもはや宗教ではないような気がする。
👩うん。
👨今日の話にしても、神楽を舞った3人が抱えているものとか弱さがあって。
👩うん。
👨それをそれぞれが自分で抱えてしまっている。でも、それを見守っていたり許す存在があることで気づきや救われることって絶対あるように思うんだよね。
👩わからないことはないけれどさ、それが宗教だからこそということはないと私は思うんだ。ちょっとしたときに助けてくれるとは人の言葉が必要かもしれないの。別に信じるものがないから、不安定になっているということでは私はないと思うのね。
👨うん。それはそう。
👩なんかまあ 、都合がよくて良いとおもうの。困った時に頼りになるでいいと思う。ゆるめでいいと思うの。だってそれぞれだから。どういう風に信じているかとか、その価値観でどう動くかというのも分量はひとそれぞれだから、
👨まあ、そうだね。
👩それでいいから。信じてなになにですってなったとしても、別に普段はなにも信じていないけれどそうなのっていうのだけ持っている人も、別に。宗教があるからとかないからどうこうとか、そうであるとかは言いたくないところがあるんだよなぁ。なくてもいい。私にとってはそうではないけれど、別に大丈夫な人もいるし、お葬式のときだけあれば良いという人とかそういう人もいると思うし、別に良いと思うし。そうなりがちだと思うし、それでも別にいいとも思うし。私じゃないよ、それは人の価値観だしそれで良いと思う。そういう文化になってきているとも思うし。ただ、島根県はちょっと独特だと思うよ、空気が。
👨ああ。
👩島根県が全部そうではないけれど。
👨いや、その辺というのはね、別に宗教がなくても人は死にはしないし、生きてもいけるし。また信じるにしても原理主義みたいに信仰をもって生きている人もいれば、私みたいにそんな生活なんて一秒も無理で、でも親が幼児洗礼をうけさせたのでとりあえずクリスチャンみたいな人もいるわけだし。お葬式にしたって最近は人前葬というのもあるくらいだから、だから、宗教がなくてもかまわないのだけど、人間の知恵として心の片隅にでもそういうものがあると救われることもあるのだなという。
👩私はある。
👨私もあるのだけれど。なんか追い詰められたときに、そうやって救われるものがあるのだなぁという気はするしね。
👩日々生きていて、なにか支えられているなぁというその考え方。そうだよね、考え方に直結するよね。なんかねぇ。どう捉えるかみたいなこともあるけれど、それぞれの人を。
👨ひとりひとりがどれだけ辛かったのだろうかということも、舞台からしっかり解け伝わってきたし、この舞台から。でも、それは長田さんの描くものの確かさで。一方でこの物語には救いもあるわけで、そのあたりも含めてだけれど。
👩長田さんに超話を聞きたいよね。ここで。
👨あははは。まあねぇ。それはそう。
👩まあ、長田さんは来てくれないだろうけど。超忙しいから。
👨長田さんは超忙しいと思うよ。なにせ、4月からの日本人の朝の時間を彩るドラマを編んでいるわけだし。それは夢物語かとは思うけれど。
👩でも、おじおねもここまで続いているわけだし、観たお芝居の作家とか演出家とかを呼んでお話とかもしてみたいよね。
👨長田さんということでなくてもそれは確かに。まあ、それができるように精進を重ねて、そのうえでいろいろと検討をしましょう。
👩はい。
👨で、話は戻るけれど、長田さんの作品って王子小劇場でてがみ座の公演をされたころから拝見しているのですよ。まあ、最近はお値段が高い公演にも作品を提供されていて、すべてを観ることはできていないのだけれど、その、なんだろ、何かを描くときの深さとか強さ、男前という表現をされた方がいらっしゃったけれど、しっかりと核心を描き出す強さってあって、ここはこういう風に書いたり組み立てたりすると伝わるということを描き上げる力量というかそれが出来るという研がれ方やセンスというか。それが荒っぽくなることのない繊細さにも裏打ちされているんだよね。
👩うんうん。
👨今回の舞台でも、冒頭のモノローグから物語の世界に見事に引き込まれたし、それが後半に世界に組み入れられて世界の枠組みにもなるし、神と人間の暮らしを照らし出す力にもなり、人が生きることのありようとして落涙もしてしまったから。改めて長田さんの戯曲は強いなぁって思った。
👩そうね。
👨ほかには誰にも書けない世界の編み方を持っている方なのだなあって。
👩うんうん。
👨今回は立山ひろみさんの演出もね、その戯曲に対して奇をてらわず、重くもなりすぎず、舞台を呼吸させてしっかりと空間に肉をつけていくというかシーンを重ねていった印象があって。それもよかった。
👩うんうん。そうだねぇ。ただね、演出についてはいっこだけちょっと気になったところもあって。
👨ほう、
👩兄家族が田舎に戻ってきた時に、カーターを持ってくるのだけれど、あのガラガラってやつね。絶対軽いだろうって感じがして。重いのかもしれないよ。でも絶対損な形にならないって思って。カーターバックって重いんだよ。
👨ああ、そうか。
👩しかも里帰りで3人分でしょ。
👨うん。
👩持ち方が高いよ。いろんなものが入っているだろうし。寒いでしょ、重いでしょ。絶対重いよ。そうはならんでしょって。なにか中をしっかりと入れて欲しかった。なんか置く音もそういう感じがしてしまってさ。こういう舞台だからそういうディテールが超見えちゃうとか思って。
👨うんうん。
👩まあ、実際に重くなくても重く見えればよいのだけれど。超軽いやんってなって。カチャンみたいな感じで。それだけめっちゃいやだった。ほんと、強いていうならばだけれど。めっちゃ強いていうならばだよ。
👨うーん、なるほど。ただ、それに強いて言い訳をするとすれば、たとえば海外出張をする人のスーツケースって見た目よりもびっくりするほど軽いことがあるのですよ。旅慣れていると不要なものは持っていかないし、現地で調達もしてしまうから。
👩でも、田舎だよ。寒いんだよ。絶対にそれを意図してやられているわけではないじゃん。ただ、荷物を入れなかったというだけでしょ。うふふ。もう、入れてって思った。超ディテールだけど。ほかがなんの引っ掛かりもなく観ることができて、おいしいごはんやすごく素敵な料理が綺麗に素敵に出ていたから、めっちゃ引っかかったのよ。悲しいって。舞台のセットとかしめ縄をかけるところとか揺れてるのよ、凄く。でもそれでもほかのことは気にはならないのよ。暗転になったりもするし、そういうことも気にならない。あれだけがなんか中のことだから、すごく中のことだから、めっちゃ気になったのよ。軽い・・って。それだけ。
👨逆にそういうことが目立つくらいに。
👩そうそう、そうなの。そこを言いたいのよ。普段は目立たないようなことなのだけれど、そこが目立つくらいによかった。そこが超目立ってたくらい。
👨あの、長田さんの新作の舞台があればまた観ましょうか。
👩観てみたい。今回は私に刺さる舞台だったの。神様という、神事というかね神楽。わかる言葉ばかりがあったから。「てごり」っていってたけど、私の地元だと「てご」って言うから。手伝いという意味で、「てごして5000円」とか言っていたから。
👨へぇ、はい。
👩ああ、めっちゃ近いんだなって思って。
👨まあ、島根と宮崎は西日本の文化圏だしね。
👩「てご」は違うよ。方言だけど、どこからきているのかなぁって。「なわらい」はそうだけれど、「てごり」とか「てご」は違うよ。どっからの方言なのかなぁって。まあ島根と宮崎はそんなに遠くないからね。
👨ああそうか。たとえば島根の神道が宮崎に伝わってきたのかもしれない。
👩まあ、伝わったのかどうか、どっちがどっちというのはわからないけれど。調べてみないと。めったなことは言えないけど。
👨うふふふ。
👩でも、なんか近さは感じたな。方言とかもね、耳にしたことはないけれど、なんか近いものは感じる。ああ、わかるわかるって。
👨うん。で、今日の舞台からは離れてしまうのだけれど、演出という話でいえば、鵺的をみたんですよ。『デラシネ』。

新宿 シアタートップス


👩うんうん、どうでした?
👨凄かったよ、それはもう。
👩配信ある?
👨わからないけれど、ないかもしれない。
👩ずっと思っているけれど。なんでさ、なんで舞台の人たちって配信しないのかと思う。配信サイトで配信したらバックってそんなに小さいのとか。だって舞台ってさ、これはマジで思うけれど、生で観ることと映像で観ることで全然違うじゃないですか。で、生を観たくなるじゃん。むしろさ、映像化をどんどんしてくれよって思うの。それで好きになる人も多いかもしれないし、進めるし、そうしたら生を観たくなるようになるじゃないかと思って。
👨うん、そうだね。
👩アイドルなんてそうじゃん。映像で観ていて、生で観たいってなって、ライブにいくじゃん。それをしないのはなんでなんって。それはしたほうがいいって。映像でどれだけ残していても、DVDとか映像で販売しない限り、空前のサブスク時代でテレビよりもサブスクの方が市民権を得ている世の中で、サブスクできるじゃん、多分。しているところもあるし。小劇場はやってほしいよ。マジて、まじで。良い舞台を残してそれが次に広がるという時代になっていると私は思うの。
👨うん。
👩ファンが増えた方がいいじゃないですか。何万人という人が観るかもしれないところにどうしえいい作品を残さないの、出さないのって。腹立たしい。
👨うんうん。まあ、それにしても今回の鵺的は、まあ寺十吾さん凄いよね。
👩いやぁ、まじでさ、配信もだし、アーカイブも残してほしいし。サブすくにしろとは言わないから、お金を払ったらみることができる状態に全部してくれって、まじで。そこにお金をかけたら絶対ファンが増えるよって思う。で、サブスクに自分の代表作みたいなものを上げておけば、たとえば再演するよかってなったときにはいって情報がくるじゃん。
👨まあ、記録映像は間違いなく撮ってあるとおもうけれど。
👩舞台のひとたちって、進んだと思うよ、コラボの映像はね。でも、それでもどこか止まっているの?って思う。悔しい。もう止まらないでって。
👨それでね、俳優たちのデフォルメのさせ方がすごいのよ、今回。もうね、たとえば米内山陽子さんって知ってる?チタキヨの。
👩うん、知ってるよ。
👨彼女なんてね、もうラスボス。
👩まじで?めっちゃわくわくするね。
👨物語としては、放送作家の男がいて、彼は家に女性の作家たちを弟子として家において代筆とかをさせていて、名前を出してやるぞとか言って体を要求したりもしているとんでもないやつで。で、その奥様役が米内山さんなわけ。彼女がお着物姿で思い切りデフォルメをかけてつくって、もう見事にゴットマザー。
👩うふふふ、ええねぇ。ちょっとつまみがこないのだけれど、こんなに盛り上がっている。いやぁ、楽しいねぇ。うふふふ、良い舞台を観て、良いお芝居の話をして。
👨良い舞台を観た後ってあがるよね。
👩あがる、超あがる。でも今わかりやすくあがってますよね。声でお伝えしたいくらい。
👨でさ、『デラシネ』の話に戻るけれど、シーンの切れ目には「ジャン、ジャジャン」みたいな音が入るし、俳優たちもここ一番でがっつり声をはるわけですよ。その一方で劇団員のとみやまあゆみさんは、低いトーンの集中で人物を織り上げて舞台を支えるし、舞台には戯曲や俳優たちの人物の作り方ががっつりとあって、くそおやじと女性たち、女性たちどおしの人間関係の構図が見事にほどけて浮かび上がるの。そうそう、部屋の後ろにはお庭があって、その後ろには丸窓の部屋があるのだけれど、米内山さんがその丸窓を突然ガッとあけて、なん言か怒鳴ってバサッと戸を閉めてしまったりもするの。
👩あははは、擬音。伝わるけど、私には。どうなって、どうなってみたいな。
👨私は育ちが関西で。関西人はみんな擬音が好きだから。
👩うふふ、私も好きよ。
👨ぐわっとなって、どわぁっとなってとか。
👩ギャーっとなってとかね。わかりますよ。でも、今はおじおねだから。
👨あははは。ちゃんと編みこんで更新しますがな。
👩ちなみにこれは余談だけれど、私たちおじおねはこうやって話していることを記録していて、いまはお芝居を観終わった後でお酒を飲みながら収録しているのですけれど、オンラインで収録したりもしているわけですよ。で、流れ的にはその録音をしたものをおじさんが文字起こしをしてくれて、おねえさんがチェックとか、構成編集を加えてあげているんですよね。
👨はい。
👩これって、これまで意外と言ってこなかったですよね。
👨そう・・、ですね。言われてみれば。
👩隠していたわけではないけれど、言ってなかったなぁと思ってさぁ。
👨そうだね。まあ、それはそれとして、それでね、話を戻すと最後にみんなバラバラに離れていくのだけれど、そこまでのメリハリのありようの先に物語が積もってぐいぐい押されてしまって。でも、一方では部屋の後ろの緑の揺れが空間に時を刻んでいたり、あるいは回想シーンではその時が止まって描かれたりとか、で、終盤は雷雨の中のカタストロフなのだけれど、その時にはその葉に水が降りてきてもいたりして。
👩はぁ、いいねぇ。やるねぇ。
👨台詞の間もとても丁寧に作り込まれているように感じられたし。そのあたりの強弱はもう寺十吾演出の真骨頂で。
👩そうだね、本当だね。
👨寺十さんの演出はこれまでになんども観ているけれど、そのたびに目や心を奪われるし、ヤラレタって思うところがあるんだよね。
👩うんうん。
👨あとさ、鵺的に今回チタキヨの米内山さんを含めた劇団員4人全員ご出演ということでどうなるかと思ったのだけれど、高木さんが鵺的の女優2人とは全く違う守備範囲での役を用意していてそれもおもしろかった。
👩うわぁ、山菜のフリットだ。私、山菜が大好きなのですよね。
👨私も。山菜おこわとか山菜そばとかにも凄く惹かれる。まあ、そんなこんなで鵺的を満喫しましたよ。鵺的では劇団員の小松愛美理さんがフロアトポロジーという団体を持って演出もされていて、次回の公演は彼女の演出みたいなのだけれど。その組み合わせは去年の暮れに観た動物自殺倶楽部の『凪の果て』でもドキドキがとまらないほど面白かったので、寺十吾さんとはまた違った高木戯曲との相性で次も楽しみ。その公演にしても今回にしてもそうだけれど、高木さんの戯曲にはそうやって演出家から力を導き出すようなコアが仕組まれているような気がするのだよね。
👩うんうん。
👨けっこう恰幅のよいおじさまだけれど。またこれからも追いかけようかと思わせる作品でしたね。
👩うふふふ。良い舞台をご覧になりましたね、いいね。
👨あとね、最近のことといえば、女流の噺家さんをたんと味わう機会があって。国際女性デー記念の落語会を観てきたのね。女流落語家の二人会。なんかトレンドを追いかけているみたいだけれど、桂二葉さんはいいねぇ。

日本橋劇場

👩どういいんですか、教えてよ。
👨どういいか。えーとね、上方落語のスピリットを悉く知り尽くしている。
👩ああ、なるほどね。納得。もうなるほどねってなったわ。
👨米朝一門なのだけれど、なんというかその語り口がね、上方落語のいろんな勢いをしっかりと生かしていてね、その緩急のとりかたも抜群に上手い。聴いていて委ねられるというか・・・。
👩へぇ。
👨で、観たのが林家つる子さんとの二人会でね。つる子さんは林家正蔵師匠のお弟子さんなのだけれど。で、彼女が『紺屋高尾』を掛けたのよ。『紺屋高尾』ってご存じですか?
👩内容を聞いたら思い出すかもしれないけれど今は忘れてる。
👨紺屋っていうのは染物屋さんね。で、その職人の久蔵が吉原に遊びに行ったときにたまたま花魁道中の高尾太夫を見て一目惚れしてしまうの。
👩ああ、高尾おいらん。
👨でも、高尾太夫に会うためには15両が必要で、職人にすぐ手が届く金額ではない。で久蔵さんはその会いたい一心で15両を稼ぐために3年間身を粉にして働くわけですよ。
👩うふっ、かわいい。
👨で、対面となると藍染めの色に手が染まって青いので袖に隠したりとか、木更津のお大尽という触れ込みなのでバレないように返事は「アイアイ」だけとか。
👩あぁ、知ってる。その噺知ってるぞ。
👨高尾が次はいつ来てくれるのかと久蔵に訊くと3年後にと答える。高尾が訝しがってほかのお客は明日だの明後日だのというのになぜ3年なのかと問うと、久蔵は答えに詰まり自分のことを白状してしまうのね。
👩うん。
👨そうすると高尾は「わかりました」と。「あちきは来年の3月に年季があけるのでそうしたら主さんの元に参ります」と。それまで一切吉原には足を踏み入れず待っていて欲しいと。
そうして実際に久蔵の元に高尾がやってくるという結末の噺なのだけれどね。
👩はいはい。
👨会では最初につる子さんがその『紺屋高尾』を古典落語として流れを大切にしてやるのよ。でのその後に二葉さんが『子猫』という生き血をすう癖のあるおさんどんの噺をたっぷりやって仲入り、後半はまず二葉さんが『味噌豆丁稚』という軽めの噺をしっかりと勢いをつけてやって、最後につる子さんが『紺屋高尾』をやるのよ。
👩へぇ?
👨ただ、最初にやった『紺屋高尾』は久蔵の視点から見た物語というか古典落語そのままなのだけれど、最後の『紺屋高尾』は高尾太夫の立場から見たというか、高尾が久蔵の座敷にいくまでの事情を綴った創作落語なのね。
👩へぇー、おもろ。
👨なんというか多分つる子さんが目指しているであろう『紺屋高尾』って、なんだろ、演劇的な立体感があって、演題にもなっている二人の主人公を両方観客に渡してみせる。二人が出会ってからは当然に同じ光景が重ねて語られることになるのだけれど、その膨らみが最初と次では全く違っていてほんと面白かった。
👩うんうん。
👨あと、浅草演芸ホールの3月上席夜の部が「桃組」と称して出演者が全て女性の番組でね、それも観たけれど、噺家さんそれぞれのいろんな味わいがあってそちらも面白くて。やっぱり人数的に女性の噺家さんって男性に比べると人数的に少ないし、観る機会も限られているのだけど、しっかりと芸をもった師匠方もいらっしゃるし、今回主任をされた蝶花楼桃花師匠のように新たに真打ちに昇進されて話題にもなっていらっしゃる方が出てきたり、今後が楽しみです。今度、機会があれば、ニ葉さんやつる子さんの会にもお誘いしますよ。
👩はい。でもね、改めてだけれど今回の舞台がとにかくよかった。まじでよかった。
👨うんうん。
👩人にもよるのかも知れないけれどね。分からない人は分からないかもしれないけれど。私の左隣の女性はずっと鼻をかんでたし、右隣の人はずっと寝てたから、もうってなったけど。あと私も腰が痛くて動いてしまったから、動揺させてしまっただろうなぁという反省もあるのだけれど。マジで迷惑を掛けてしまって申し訳ないとは思うのだけれど、動かざるをえないのよ、痛いから。そういう席にしてくれって、後ろでいいから。
👨あはは。
👩痛いから、迷惑をかけてしまうから、ううっとはなってた。小劇場はねぇ、今回は東京芸術劇場だから小劇場でのないのだけれど、席が近いのよ。どこもかしこもいやになるくらい席が近いの。映画館でもいやなのにさぁ。
👨直接の知り合いではないのだけれど、私が見知っているおじさんで、劇場に入るなり飛行機に乗るときに使うようなクッションを膨らませ始める人がいるけれどね。
👩いや、でもね、しょうがないのよ。だって観る環境が超悪いもの。痛いもの。映画館ならまだフカフカだからあれだけど。それが出来ないのもわかるんだけれどさぁ。まあ、ねぇ、ストレスだなぁとおもうなぁ。なんか隣の人に迷惑をかけちゃうという意識が超あるから。
👨うんうん。
👩ごめんなさいと思いながら動いてしまうのよ。でも、動かないのは無理なのよ、腰が痛いから。一回お手伝いに入った現場で、現場自体はよかったし舞台もよかったのだけれど、小さいところだったのよ。お手伝いをすれば観ることができますよということだったのだけれど。センターの桟敷に座ったことがあって。
👨あらぁ。
👩マジで、腰が爆発しますよってなって。マジで冷や汗をかいて。だらだら汗が出てしまって、隣の人たちが心配してくれるくらいだったの。言っておけば良かったなと思った。それだから、今は訊くようになったよね。腰が痛い人にね、しかもスタッフで入っていて、センターの桟敷を空いているからといって入れるのはやめてって。
👨それだったら、まだ一番後ろで立ち見をしているほうが。
👩うん、楽。まじで、ほんとにあれだけは、未だに。もう本当に辛かった。
👨私も一度だけ、超満員の劇場にギリで入ったことがあって、顔見知りの制作さんに笑顔でたまたま一番前のセンター桟敷が空いてますって案内されそうになったことがあって。
👩うんうん
👨それだと腰とか膝が痛くなるから一番後ろで立ち見をしていいですかって訊いたら、分かりましたって言われて。たまたま後ろの壁には手すりがついていたのでそこにクッションみたいな物を差し込んでくれて、ここにもたれて観てくださいっていわれて観てくださいって言われたことがあった。
👩その方がいいよ。あのね、腰痛持ちに
桟敷を振るのはやめて欲しいと思うし、それはわからないから、桟敷は腰痛持ちには地獄だから、舞台のことなんて入ってこなくなってしまうから。その時も良いお芝居だなぁと思っていたけれど、後半は冷や汗。どうやっても動けないのよ、ぎゅうぎゅうで。迷惑になてしまうじゃん。私、ご案内しているのを見られているから、迷惑をかけるわけにはいかないのよ。正直ね、すごい正直ね、死ねというのかと思った。
👨うんうん。
👩もうもう、死ぬほど辛かった。腰痛持ちに桟敷は駄目というのを私は強く言いたい。
👨なるほど。
👩動けるならいいよ。動けないのだから。だいたいギチギチなのだからさ。いやマジで、マジでみんな聞いて。桟敷の席に腰痛持ちはだめ。桟敷は腰痛持ちには地獄ということを知っておいてください。
👨あの、落語の会なんかにいくと畳のお部屋でやることもけっこうあって。でね、そこで混んでいると同じように辛いよね。
👩ねぇ、辛い。動けるのならまだよいけれど。体勢を変えることができるとかならいいんだけれど、だいたいそうではないから。
👨でも噺家さんによっては人数が10人くらいで16畳とか20畳みたいなところでやることもあるのよ。
👩うんうん。
👨そうすると高座の場所をしっかり作ったとしてもひとりあたり1畳以上のスペースがあるわけですよ。でね、最初はみんなすわっているんだけれど、座布団も一枚もらえるから、噺家さんの勧めにのってそれを枕にして寝転がって聴く人が出てきたりもしてね。
👩それならよいのだけれどね。いやマジで、体にも負担がかかるようなことをお知りおきをお願いします。
👨うふふ。
👩もう、今日も痛かった、。今日みたいな椅子席でも痛かったんだから桟敷は地獄だ。桟敷が悪いとは言わないよ。動けるのなら、体の姿勢を変えられる感じの広さがあれば桟敷はいいよ。近いし。
👨うんうん。まあ、腰を痛めないようにしないと。この春も良い芝居が続きますからね。
👩はい。
👨えーとね、たとえばアマヤドリの公演があるんですよ。『天国への登り方』の再演でね。トラムだったかな。
👩アマヤドリ。あのね、アマヤドリさんはどうにもこうにも合わないんだよね。
👨あはは、そうなの。
👩良い舞台だなと思うのだけれど、あわない。
👨体質的に合わないの?
👩うーん、というか合わない。そういうのってあって良いじゃないですか。
👨うん、それはこのみだしね。
👩そう。あわない。面白いのだけどね。そう面白いの。でも、強力に感じる合わなさ。
👨ああ。
👩でも、それがあるということは強烈に惹かれる人もいるはずだから滅茶滅茶いいなとおもうよ。
👨あの、あそこの俳優達って、やっぱり表現力がとんでもなく鍛えられていますよ。
👩そうだね。スペシャルだと思う。凄いなって思う。
👨でね、良い俳優がしっかりと映える舞台でもあって。
👩うん。面白いね。でも面白いと思うところと合う合わないは別の問題なのよ。
👨うん、わかる。
👩掘っても立てられないみたいな。
👨うふふふ。あとね、エンニュイもありますね。それは三鷹のSCOOLですね。
👩うんうん、エンニュイっていいよね。元芸人さんが主宰のところでしょ。
👨そうそう、今でも芸人さんなのかもだけれど。クレオパトラの長谷川さんだよね。
👩エンニュイさんいいなぁ。観ることができたらこちらでも取り上げたいな。
👨あと、スペースノットブランクなどもありますしね。これは是非に観にいきたい。
👩ああ、はいはい。それも良いですね。皆様、これからも良い舞台がたくさんありますので楽しんでくださいね。
👨はい。ということで今日はこれくらいにしましょうか。
👩そうですね。
👨では、演劇のおじさんと
👩おねえさんでした。
👨また次回。

東京芸術劇場

(ご参考)
・「新かぼちゃといもがら物語」#7『神舞の庭』
2023年3月⒒日~12日@東京芸術劇場シアターウエスト
作 :長田育恵
演出:立山ひろみ
出演:貴島豪、平佐喜子、成合朱美
森川松洋、守田慎之介、高野桂子
原田千賀子

・鵺的『デラシネ』
2023年3月6日~12日@新宿シアタートップス
作 :高木登(演劇ユニット鵺的)
演出:寺十悟(tsumazuki no ishi)
出演:小崎愛美理、堤千穂、とみやまあゆみ
(以上、演劇ユニット鵺的)
高橋恭子、田中千佳子、中村貴子、米内山陽子
(以上、チタキヨ)
川田希、木下愛華、未浜杏梨、佐瀬弘幸
 
・国際女性デー落語会
「春夜恋~林家つる子・桂二葉二人会~」
2023年3月8日@日本橋劇場
演目 :桂九ノ一「牛ほめ」
 林家つる子「紺屋高尾」(久蔵目線)
 桂二葉「仔猫」
― 中入り ―
 桂二葉「味噌豆丁稚」
 林家つる子「紺屋高尾」(高尾目線)
 トーク(つる子と二葉)
2023年4月8日まで有料配信あり
詳細(https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11009993

(今後のお勧め)
・アマヤドリ『天国への階段(再演)』
2023年3月23日~26日@シアタートラム
作・演出: 広田淳一
出演:一川幸恵、沼田星麻、榊菜津美
相葉るか、相葉りこ、大塚由祈子
深海哲哉、徳倉マドカ、河原翔太
宮川飛鳥、堤和悠樹、星野李奈
宮崎雄真(以上、アマヤドリ)
宮本海、野崎詩乃、都倉有加

・エンニュイ『きく』
2023年3月23日~26日@SCOOL
脚本・演出: 長谷川優貴
出演:市川フー、zzzpeaker、高畑陸、二田絢乃、オツハタ、浦田かもめ、小林駿

・スペースノットブランク『本人たち』
2023年3月24日~31日@STスポット
演出: 小野彩加、中澤陽
出演: 古賀友樹、渚まな美、西井裕美、
メタ出演: 鈴鹿通儀、近藤千紘


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