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「良い先生」とは人生に影響を与えてくれた人

文科省の仕事は、「良い先生」を育てることです。そのひとつだった教員免許の10年更新制度をこのほど廃止するという。「多忙化する教員の負担になる」「内容が実践的でない」のが理由だとしてます。なんか変です。

変わっていく教科内容のキャッチアップ、情報機器を活用した教え方の習熟など、スキルアップして教師のレベルを均質化するのがこの制度。「良い先生」はあきらめたのでしょうか。

生徒が思う自分にとって「良い先生」は、文科省と像があってるのでしょうか。

わたしの場合です。

小学校から高校まで、何人の教師、先生に教わったでしょうか。いろんなキャラクターの人がいて、分類するのは失礼にあたりますが、「良い先生」とはと聞かれれば、ものの見方、考え方、ひいては自分の人生にインパクトを与えてくれた個性ある先生をあげます。「そうでない先生」も同じですが。

教え方が上手だとか、スキルの高い低いはほとんど印象に残っていません。しいてあげれば、学習塾の先生でしょうか。昔はそうでした。でも、それだけのこと。その時が過ぎれば何も思い出すことはありません。

授業のあいまに「知的生産の技術」など岩波新書の世界を紹介してくれた地理の先生、これで読書の世界が大きく広がった。自由研究で煙の挙動を調べるからと言えば煙草をくれた物理の先生、自分で考える実験の面白さを初めて感じた。県大会で負けた悔しさをコップ1杯のビールで分かち合った野球部長、中学生がおとなの世界をちょっぴり経験できた。こんな先生がわたしにとっての「良い先生」なのです。

毎年教える生徒が変わり、短い期間では満足に伝えられないまま送り出さなけれはならない仕事。フラストレーションがたまるでしょうね。でもインパクトを強く出せば応える生徒がたまには出てくる。それを繰り返していけば「仕事」に自信が出てくるのではないでしょうか。教師の世界じゃなくても同じように感じています。

免許更新制度はなくなっても、スキルアッププログラムは続けるようです。でも、わたしの思う「良い先生」免許更新とは遠いように思います。