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雑誌を読まなくなった理由

週刊雑誌を手にとるのは、散髪屋の待合いくらいなもの。読むというより、ぱらぱら見る程度の時間つぶし。それも、コロナになってからは触れることもしなくなった。月刊誌も似たようなもの。定期購読していた時もあったけれど、雑誌とは縁がなくなって久しい。

以前は出張に行く時なんか、駅の売店で週刊誌や雑誌を買って新幹線に乗り込むことも多かった。席に座っている人も、何かしら新聞や雑誌、本を手にとっていた。通勤電車もそうでした。ターミナルに着くと、読み終えた新聞や雑誌を網棚に放り上げ、そのまま出ていく人。乗り込んできた人が網棚に手をのばしてそれを読む。そんな光景をよく見かけたものです。

今、電車や新幹線で週刊誌を読んでる人はほとんど見かけませんよね。そう、スマホがそれにとってかわった。

ニュースはもちろん、ゴシップ、うわさ話、なんでもありますものね。わざわざ、時差のある週刊誌を待たなくても、即時に情報がとれる。巻頭や巻末にグラビア写真をのせてそれを売り物にした雑誌もありました。ネットじゃアイドルが踊ったり話しかけたりするし、写真の拡大も切り取りも自在、勝負になりません。

学生の頃から「文芸春秋」を読んでました。田中角栄失脚の一因となった立花隆さんの記事、ロッキード事件のすっぱ抜き、食い入るように読んだものです。もちろん芥川賞や直木賞(これは「オール読物」)など文芸もの、巻頭の著名人のコラム、面白かったですね。でもそれ以上に、「同級生交歓」が印象的でひそかに期待するものがあった。

事なしえた人がひとりか数人、そしてその同級生が何人か集まって写真を披露する。まあ、思い出話と自慢話なのですが、これに憧れた。わたしの「同級生」と、「いつかはこれに載りたいもの、だれか頑張ってそのチャンスが来たら忘れずに声をかけてくれ」というのがお互いの約束でした。

綾小路きみまろさんじゃないけれど、あれから40年、まだ、お呼びがかかりません。まだ、チャンスがないわけじゃない。「同級生」を見回せばほとんど可能性はゼロにちかいけれど、回りまわってお呼びがあったときは、文芸春秋の購読を再開します。