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頭の中の「神様ファイル」

「聞く力」「話す力」「伝える力」、パワーの時代。思うに赤瀬川原平さんの「老人力」がパワーブームの最初だったような気がする。

「そもそも人間の脳は、忘れるように出来ている。一度保持した記憶も、思い出して活用する必要がなければ、記憶の底にしまわれ、いつしか忘れ去られていく。それは悪いことじゃない」
「負け惜しみではなく、忘れが多いことは「忘れる力」があると肯定的にとらえていいのではないか」(鎌田實さん)

こんどは「忘れる力」だ。

ふと思い当たった。「超整理法」(野口悠紀雄さん)。ファイリングと同じじゃないか。

「押し出しファイリング」。よく使うものは手前に、使わないものは次第に奥に追いやる。一定期間使わないものは処分し、それでも捨てられないのは「神様ファイル」となる。30年ちかく前のことだ。野口さんの真似をして、関連した資料はひとまとめにして封筒に入れ、タイトルと日付を書き本棚にたてる「超整理法」。使い勝手がよいから今でも続いている。

が、難儀なことがひとつ。棚が神様ファイルだらけなのだ。すっかり頭からは「忘れている」のだけれど、「忘れたくない力」を神様ファイルに託している。「忘れる力」は捨てたファイルに宿したが、あまりにも数が少ない。いつか使えるのじゃないか、「マーフィーの法則」のように捨てたものが欲しいものだったりするのじゃないか。それがわたしの本棚なのだ。

鎌田さんはこうも言う。
「人生のおおよそ8割は忘れてもいいことなのだと気が付いた。むしろ、忘れてもいいことのなかに、大切なことが埋もれて見えなくなっていることの方が問題だ」

その通り。だから本棚の「神様ファイル」が増え続けるのだ。

問題は、頭の中の、ファイルにできない記憶をどうやって「神様ファイル」に宿すかいうこと。残念ながら答えは見つかっていない。