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もう一度住んでみたい、古葉カープ全盛時代の広島

いくつかの街に住んできました。転勤族からすれば数は多い方じゃないかもしれませんが、川崎、大阪、広島、千葉それに埼玉。なかでも広島がよかった。

当時は中心部だけの地方都市、のどかなものでした。そう、当時というのは先だって亡くなった古葉竹識監督のカープ全盛時代です。

カープは広島市民の球団。地元東洋工業がスポンサー、ホームグラウンドは市民球場です。会社の同僚は地元の人。駅近くで飲んでいても、テレビがないと落ち着かないし、放送があって見れば、さらに気が気ではない。

中盤戦になって試合がおもしろくなってくると、目くばせでお勘定。タクシーをひろって球場入りです。続きは外野席。その時間だと開放になってだれでも入れた。応援のし甲斐があります。ただし、勝ちゲームのときだけ。終わって、球場から交差点を渡ればそこは繁華街、逆転負けではなおさら寄らずには帰れません。

スーパーに行くと、BGMは「それ行けカープ」。デパートでもパチンコ屋でも、どこでも。
「カープ カープ カープ 広島 広島 カープ」
応援歌だから調子がいい。この高揚感、お金を使わせるのにはもってこいかもしれません。

街がカープ一色でしたね。カープファンでなくても、そこに住んでいれば一体感があった。

その後、広島市は大きくなった。10年ほど前に引っ越して球場もきれいになったぶん、繁華街からは遠く離れた。しばらく前3年連続優勝したときはどうだったのでしょうか。古葉カープ全盛時代の広島、もう一度すんでみたい街です。