1日寝かすということ
昨日(8月11日)、noteに「中国の『処理水』と訪日団体旅行再開 」というタイトルで、中国の一見矛盾するような、対日政策の本質について私見を述べた。書いたのはその前日(8月10日)だった。
「尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返し、『処理水』で輸入規制をかけ、一方では訪日団体旅行を再開してヒトと金を使う。矛盾なんかじゃない。これは、揺さぶりなのだ」(https://note.com/ojinseye/n/n470382df4b08)
投稿した日(8月11日)の日経新聞にはこう書かれている。
「中国が10日、日本行きの団体旅行を解禁した。9月開催を模索する日中首脳会談を前に、両国間の往来を増やし対話に向けじならしする狙いがありそうだ。(中略)処理水の海洋放出には強く反発し、日本産水産物の輸入規制では揺さぶりをかける。『アメとムチ」で臨む対日姿勢が透ける」
同日の一面コラム(春秋)にも、日本に対する「揺さぶり」についてふれている。
うーん。寝かさなきゃよかったかな。
note原稿はよほどのことがない限り、書いたあと「寝かして」から投稿することにしている。1日たってから見直して、よければそのまま、必要なら適宜修正してアップする。外山滋比古さんのアドバイスだ。
新聞を見た後、意地を張ってそのままnoteに投稿した。
大新聞の向こうを張るわけじゃないが、同じような趣旨の意見を少しでも先に公の場へ出す。新聞を読んで「そう、あんたもそう思うか」と、そっとほくそ笑み、ひとりよがりするのも悪くない。
でも今回は逆に「オレも同じ意見だよ」になってしまった。そうじゃない、そうとられたくない。大人げなく、言いわけがましく書いてしまった。(読まれた方には、見苦しくて申し訳ありません)
これからも、「寝かして」からはやめないつもりだ。