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遠い人になる前に

亡くなった母親は晩年、認知症になった。離れて住むわたしが時折田舎の家に帰っても、どこか他人行儀なのが少し気にはなっていた。「あんたは誰?」と言われて、はじめて重大さに気がついた。

心に棲む世界が現実とは別にあったようです。タイムマシーンのように何年も前に戻ったような感じ。徐々に昔へ、近いところがだんだん薄れていき、若かった刺激のあった時代に居心地よく棲んでいる。そんな会話になっていった。

「今日もお寺まで散歩に行ってきた」
「途中、Aさんところで長話しになって遅くなった」

つぎは
「でゼンマイを摘んできた」
「ミカンをたくさんもらったので重かった」

最後には
「今日は神戸に行ってきた。おばさんも元気だった」
「ところで、あんたはどなた?」

お寺の話のころから遠くに歩き始めていたのかもしれません。

遠い人になってからしか気づけなかった。難しい病気だとはわかっていても、少しでも早くきがついていればと。

家人にこの話をして、兆候を見逃さないようにとお願いしなければ。