見出し画像

書評を見て図書館で借りた本、「積ん読」はもったいない

新聞の書評欄、自分が好きな、なじみのある作家が選んだ本はまず見てみようと図書館で予約する。人気のある本は順番待ち、忘れたころに取り置きメールがくるのも多い。その人の文章のお手本という「復興期の精神」(花田清輝)もそのひとつだった。

著者は知らないし、もちろん題名も。1946年刊行、『大胆な発想と巧みなレトリックで文化再生の道を示し、戦後の言論界に衝撃を与えた』と裏表紙に紹介文がある。むずかしそうだし、うかつにも誰が評したかすら忘れてしまい、借りてきたまま「積ん読」で日がすぎた。

切り置いたスクラップをみつけて気がつきました。書評は上野千鶴子さんだった。彼女が若いころ、こういう文章の書き手になりたいと耽読した本だという。

上野さんの「スカートの下の劇場― ひとはどうしてパンティにこだわるのか」が話題になったのはずいぶん前、そうバブルの頃でした。手にとって立ち読みしずらかった。センセーショナルタイトル、でもなかは社会学、時代のテーマだとの覚えがあります。

最近は「情報生産者になる」を読んだ。「知的生産の技術」(梅棹忠夫)の発展形。まあ自分では論文を書かないだろうからそこまでは、というくらいの実践的な内容、勉強にはなりました。

もどって「復興期の精神」、もとはといえば彼女のことば、

「言語能力というものはたくさん読み、たくさん書く以外に身につけることができない。言語というのはいちばんチープで誰にでもアクセス可能な表現手段であるだけでなく、最後に残る自己表現手段である」

この、note描きへのアドバイスともいえる彼女の「評」の原点をさぐってみたかった。それで借りた本だった。

解説は池内紀さんだった。わたしの愛読書「すごいトシヨリBOOK」の著者です。「どのエッセイも、おシャレで、味があって、多少とも皮肉で、終わりがピタリと決まっている」
と言われています。

まずったなあ。
ほうっておいたのであと数日で返却期限、読み切れないだろうなあ。次の予約者がいるらしいので延長はできない。次に借りれるのはいつになるやら。