#219『我が家のヒミツ』奥田英朗

 近年僕の中で「好きな小説家は」というと、奥田英朗である。それほど読んでいる訳ではないのだが、「あ、また読もう」と自然と思う。つまり好きなんだと思う。ただしこの人が書く(誰が書いても、だが)悪漢ものは、読めない。ネガティブなものに当たると3頁くらいで具合が悪くなってしまうので。僕は。
 本書は明るさと優しさと、俗世の暮らしの騒がしさと心の内面の静けさが良い感じに混ざり合った趣の短編小説集である。どの作品も寂しさ、無力感、倦怠感などからスタートする。どれも軸になるのは二人から四人くらいから成る小さな家族である。家族の中では既にある種の飽和状態が生まれている。そこに通りすがりのように誰かが外部から現れる。小さな波風が立ち、それが岸に届くまでの心の過程を描いている、というふうに見える。その波風は破壊的に大きい訳ではない。かと言って、無視できないほどには存在感を持っている。それに耳を澄ます内に、心の中に響くものが生じる。物語が終わる頃には作中人物の心模様が変わっている。状況に劇的な変化は訪れない。どの小品も「現実の捉え方」が変わった、ということがほとんど唯一、解決の糸口になっている。そのあたりの心の機微の描き方が絶妙である。タッチは繊細で、水彩画のようである。
 昔、僕は小説家になりたかったのだが、この作品を読むと「いやあ、これは大変な仕事だ。とてもじゃないが小説家になんかなれた訳はない」と思った。人間の諸活動そして様々な生活様式、水準、思い、在り方についての広範な知見と、あらゆる人格を抱え込むことのできる許容量、そしてそれを巧みに組み立てる構成力。うん。僕には無理でした。
 と、そんなに思うことはないのだけれど、この本は僕にそう思わせた。奥田さんに幸あれ。また読ませていただきます。

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