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☆#94『おそうじ風水』李家幽竹

 さてこれは大変な本を読んでしまった。非常に読み易い本である。しかし得る衝撃は非常に大きい。典型的な駄目行動を取っていた自分。大いに反省である。読みながら掃除し、また読んでは立ち上がって掃除する、という塩梅で、実に掃除が進んだ。
 離婚に伴い、色々と整理の必要が生じた。そこから積極的に整理整頓や掃除にエネルギーを費やすようになった。とても良い変化。
 以前の自分は、いわゆる溜め込み性だった。もっとも汚部屋とかゴミ屋敷というレベルではない。人が好んで来て下さる場所であるし、暮らしも簡素な方であるし、まあ最低限は出来ていると思っていたのだが…
 駄目だらけだった。
 と言っても、本に書いてあるからそれを鵜呑み、ではなく、歳月の中で何となくその辺りかと目星がついていたのである。埃を放置する癖とか、ベッドの布団を毎日畳んで押し入れに入れないこととか、服にアイロンがかかっていないこととか…

 自営業特有の弱さなのか、ぴりっとした緊張感は確かにない。結婚当時も、「俺が外。おまえは内を守れ」という役割分担が明確でなかった。夫婦には勿論色々あるだろうが、私の場合、この役割分担が明確でなかったことが離婚の遠因の一つであると考えている。お互いにそれぞれの領分に全力を傾注していれば、信頼も感謝も自然と沸き起こるように私は思う。
 まあ、他の夫婦は知らんがね。
 皮肉にも離婚して初めて、私は生活空間を間断なく整え続けるという営みの本当の価値を知ったのである。人のせいにするつもりがある訳ではないが、客観的に冷静にこの原因を見れば、私の母の、暮らしをないがしろにする姿勢が私に大きく影響したのは間違いない。母には家政を取り仕切る意志と意欲は一切なかった。今も、ない。

 風水と言えば特殊な能力を要するものであり、神秘的な力であると考えがちであるが、虚心に聴けば何のことはない、「いつもこざっぱりと見栄え良くしていよう」というもの。当たり前すぎる教えなのである。魔法ではなく品位に留まるレベルの話である。
 よって客人の絶えない家の良識ある妻・母であれば、当然するであろうことが、風水のすべてである。曰く、玄関を掃き清めよ、トイレは綺麗に、不要の物で家を埋め尽くすな、汚れを溜めるな、窓や鏡を磨け…などなど。
 しかしこれが、非社交的で、友達がおらず、家にいるより仕事に出ている方が好きな女性が妻・母となると…風水は乱れて取り返しのつかない所まで一挙に突き進む。その先に、家族の不和や慢性的な経済問題や健康問題などが待ち構えている。

 私は神様が憑いてしまったヒーラーとして、人に比べて特殊な人生を歩んではいる。その特殊な力(加護と束縛)の前では風水の力が霞むのは事実である(実際、力の序列はそういうふうに出来ている)。そしてそれが今まで私が風水を無自覚の内に軽んじてきた理由でもあった。
 しかし、いま私はかなり良い所まで来ている。神の前に風水が無力にならないような所まで全身してきた。神(広く言って高次元の存在の諸々)との関係はかつてなく安定し豊かなものになっている。ここで風水を整え、本来自分のあるべき人生に飛び込んでやろうという気持ちが、ふつふつと湧いてくるのである。
 さーて、明日も掃除だ!

 

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