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文体力、表現力をつけよう|人によっては役立つかもしれない私の小説執筆練習法

はじめに~~この記事を書くきっかけ

 こんにちは、吉村うにうにです。長編小説にチャレンジしながら、時々ショートショートも書いております。
 先日、私の連載小説にいとうゆみさんから嬉しいコメントを頂きました。「緻密な文章」だとおっしゃって下さったのです。記事はこちら。

 いとうさん程の方から、お褒め頂き、(社交辞令と分かっていても)天にも昇る気持ちでした。そこで、いとうさんからのお褒めの言葉をこちらで勝手に「緻密に書くには何かコツがあるの?」という質問に勝手に解釈し、私が行っている文体や表現の練習法をご紹介しようと考えました。

 が、私は特に書く能力のある人間ではないし、結果を残している人間でもありません。そもそも、鋭い文体で読者の頭の中にイメージを思い起こさせるいとうさんに対して、私がアドバイスするなんて失礼かとは思いました。こんな作品を書かれている方です。記事はこちら。

 私の練習方法などお伝えしても、きっと何の参考にもならないとは思いました。ただ、私は、何年か前、カルチャーセンターの小説講座に通っていて、そこで指導を受けていました。出来の悪い生徒ですが、いくつか学べたことがあります。以前から「私が講座で学べたこと」をアップしようとは考えておりました。読者の皆様と共有するとともに、自分自身の知識の整理になるかと思っております。今回、いとうさんのコメントをきっかけに、それを紹介させて頂きたいと思います。参考にならなかったらごめんなさい。長編向きの話なので、ショートショートや短編の練習方法とは違うかもしれません。

プロになる人は全員行っている文章練習

 私は、これまで小説講座で数名の先生のご指導を受けました。タイトルのような事をおっしゃった方を仮にD先生としましょう(そのうち、私に指導してくださった先生を時代順にA、B、C……と紹介させて頂くつもりですので)。その先生は、小説講座の初講義で某作家の小説の一部を抜粋したプリントを用意して、我々生徒に、十分ほどの時間、書ける所まで書き写すように指示しました。


 ひたすら、プロの書いた文章を書き写す時間。こんな練習は小学校低学年の時に宿題で出されて行ったきりです。私はプロになる予定も才能もないので(でもいつか長編で賞を獲りたいな)、そこまでしなくてもと思いながらも、薄々はこれの重要性は認識していました。そして丸写しをしているうちに、これを講座の開校日だけではなく、毎日行ってみようと決意しました。いまでは、これを「小説模写」と呼んでいます。

 ここで、皆さまにアンケートに協力して頂けると嬉しいです。D先生は「みんなしている」と仰っていましたが、それは本当なのでしょうか。特に、メールアドレスなどの個人情報を要求するフォームではありませんので、教えて頂けると助かります。Twitterが苦手な方は、下のコメント欄に選択肢の上から何番目かを記載して頂いても大丈夫です。「みんな」がどれくらいの割合なのか知りたいです。

この練習は別の小説家講師も以前勧めていた

 「小説模写」は、D先生の前に指導して下さった先生も、勧めておられました。その先生をC先生と呼びます。C先生は売れっ子作家さんで大学でも学生に指導されています。このようにおっしゃっていました。
「うちの(大学の)学生になら、小説書き移す練習やらせていますけどね。まあ、みなさんには(普段別の仕事を持っているカルチャーセンターの生徒なので、時間もないでしょうし)無理にとは言いませんが(行った方がいいと思いますよ)」

 私は、この言葉を軽く聞き流していました。D先生の下で、模写をしていた時に、「そう言えば……」と、C先生もこれは重要とおっしゃっていたのです。伝え方の強弱はありますが、先生の指導は一度は取り入れておくべきだと、聞き流していたことを反省した次第です。

で、練習を始めました。

 毎日、普段読んでいる小説を広げて、それを紙に書きだしました。時間は、毎日続けられるように一日最低五分やればいいと、そうとう緩くしました。紙は何でもいいので真っ白なルーズリーフ、初めは気に入った文章、苦手な風景描写や心理描写を選んで書いていました。

 今まではこのような練習はおろか、小説さえまともに読んだことがないので、我流で書いていた自分の文章との違いを感じる毎日でした。この発見だけでも大成果です。よくもまあ、我流で滅茶滅茶な日本語で書いた文章を、講座の先生に読ませていたなあと、反省しました。今でも、ひどい文章をnoteで皆様に読んで頂いて、頭の下がる思いですが、以前より「自分の文章がヒドイことを認識できるようになった」だけでも、マシになっています。

一番何が成果かというと

 この練習を始めて、気づいたことは、プロの作家さんは自分と比べて途方もなく細かく細かく、丁寧に描写されていることでした。ある街の規模、地理的配置、周囲の風景、歴史、その町に行き交う人々の表情、登場人物の顔の特徴、表情、背格好、歩き方、立ち止まっている時の姿勢、視線の向き、街にある物体、自動車、看板、建物の特徴、色彩、キリがありません。自分が二行で終わらせてしまいそうなところをプロの方は二ページは使っています。自分は何て雑に書いてきたのだろう。自分のこれまで書いた小説はただのあらすじじゃないかと思えるくらい、小説家さんたちは丁寧です。原稿用紙に書き込む情報量が少ない、それならば、少しでも丁寧に描写しようと奮闘しているのが、私の現在位置です。

それで、どの作家さんを参考にすればいいのか

 D先生は「明治から昭和初期の日本の作家さん」の名前をあげていました。シンプルな文章で、初心者には基本となるという説明でした。それは正しいかもしれません。

 私見ですが、私は好きな作家さんでいいかなと考えております。難解過ぎず自分が参考にできて、自分が「こんなふうに書けたらいいな」と思えれば、モチベーションに繋がると思います。

 練習材料として注意していることは、これから自分が執筆しようとする作品と視点が同じものを選ぶようにしていることです。三人称神視点から書こうとしている時は、同じ視点の作品といった具合です。現在はジョージ・エリオットの「サイラスマーナー」を模写しています。海外文学なので作家さんがいいのか、訳者がいいのか両方なのかは分かりませんが、気に入っています。こちら

 最初は、前述の苦手な描写や、憧れの表現を選んでいましたが、今では一ページ目の最初の一行から全部書き写しています。面白くないと思えるシーンでも、自分なら雑に書いてしまいそうなのでそこも書き写しています。プロの凄さを手で書くと実感できます。

書く方法は

 私はボールペンで白い紙に書いています。パソコンに打っている方もいらっしゃるかもしれませんが、紙に書いたほうが、紙からペン先に感触が伝わって、脳に作業内容が焼き付けられる気はします。ただ、これは個人の感想です。
 書く時の意識の持っていき方としては、書き写す文章を黙読で暗記して、見ないで書くようにしています(自分が小説を書く時には見られませんからね)。で、紙に書く時に「自分だったらこういう風に書くなあ」と、イメージの自分の文章と、作家さんの文章を心で比べながら書いています。でも、練習中は作家さんの文章を忠実に再現します。自分の書き方とは違うと思っても、一旦はその作家さんの文章の癖を受け止めて消化するようにしています。

それって、自分のオリジナリティが失われない?

 私が、C先生のアドバイスを流した理由がそれです。
「プロの作家さんの文体や表現そのままの癖がついちゃうと、その作家さんの劣化版ができるだけでは?」

 今では、この心配は杞憂だと思っています。自分の書いているオリジナル文章の癖は治したくても治りにくいです。書けば書くほど(そんなに書いていませんが)実感します。自分のオリジナルの文章に、強く意識してプロの書き方を取り入れてみて、かろうじてちょっと変化が生じる程度です。体感としては二割取り込めればいい方だと思っています。

最後に~~決意

 小説模写によって、以前よりは丁寧に小説を書こうとする(意欲だけは)出てきました。それを「緻密」とおっしゃっていただいたのだろうと、解釈しております。自分の目指している所を理解して頂いたことが大変嬉しいです。

 ただ、自分の書き方は、まだまだ雑です。ストーリーが楽しければ楽しいほど、筆が荒くなり、ついあらすじだけになってしまいます。また、つまらないシーンは飛ばしたくなります。
C先生はおっしゃっていました。
「地味な(風景や背景描写)は書くのが大変。小説を書く人の大半は、この地味な作業が嫌になって小説を書くのを辞めてしまう」

 私は、才能も何もありませんが、しつこく何かを続けることぐらいならできると思っています。もう少し、頑張って、現在位置からちょっとでもいい小説を皆さんにお届けしたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

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