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日本文化を知るための高校生向け第三の学校

高校生向けの第三の学校をオンラインで作ろうと思っています。
どんな学校かというと、週1日(例えば:日曜日午前11時~1時間程度)に、日本全国どこにいても、無料で「日本の伝統文化の人達」、「日本の生産者」、「和食料理人」などの人達と触れ合うことができる学校です。
この時間をきっかけに、世界に誇る日本文化の後継者育成のきっかけになればと思っています。

よく分からないまま、高校卒業して、日本文化の職人として修業に入るのは正直、リスクが高すぎる。もう少し自分自身で、自分はその仕事が向いているのか、一生をかける価値はあるのか、品定めする時間が必要だとおもっています。日本文化を試食できる学校というか。もちろん大学進学という道を選んでもいいかと思います。あくまでもこういう仕事があるんだということを人生の早い段階で知ってほしいのです。

やれ投資でのお金稼ぎやコンサルタントやらやれNFT、メタバース?なんか横文字が並ぶ世の中ですが、日本人は黙々と手仕事をする職人というスタイルが一番向いていると思っています。しかも手仕事は唯一無二のもので、世界と差別化することができ、日本のオリジナリティを出せる一番の手段だと思っています。

なんでこんなに職人さんに惹かれるのか、自分でもよく分からずいろいろ考えを巡らしてみたら、すごいことを忘れていました!
なんと僕の父親は、靴の職人でした。
基本的にサラリーマン職人だったので、働いている姿はほとんど見たことなかったのですが、確か数年だけフリーランスで靴の職人をやっていたことがあって、自宅で作業をしていたのを覚えています。自宅の隣にプレハブを建てて、そこを仕事場に作業していました。その仕事場からは、ミシンの音、ラバーというノリの匂い、靴の革の匂い、子供の僕の五感を震わせる現場ではありました。ある日、革の切れ端で、バーッとミシンで塗って革のヒモを作った時は、「すげー」ってビックリした僕を見て、「これぐらいできるよ」って自慢げだった父親を覚えています。
紆余曲折しましたが、75歳過ぎまで靴職人として働いていんではないでしょうか。手に職があれば、結構、長く働くことができるのです。

僕の生まれ育った埼玉県の草加という町は、東武伊勢崎線という線で、終点は浅草です。浅草は言わずとしれた、靴を製造をしている会社が多数集まっている街です。なぜかというと、その昔、この浅草近くの山谷街付近では革のなめしを行っていたため、革が近くで手に入ることから浅草に靴職人が集まったと言われています。南千住、三ノ輪、山谷、浅草辺りは労働者の街としても有名です。西の西成、東の山谷というイメージでしょうか。あしたのジョーの舞台にもなった街でも有名です。
話を戻すと、このエリアで修業をしていた靴職人が、一人前になって家を買うなると、電車で30分程度行った草加が適当な街で、僕の同級生のお父さんに靴職人がめっちゃいたのを覚えています。当時は普通だと思っていましたが、今考える、靴職人がいっぱいいる街って不思議な街だ。
そんな街で育った僕としては日常的に職人さんがいて、なんとなく応援したいと思うのは必然だったのかもしれない。
そうそう、余談ですが、子供の頃、歯医者は三ノ輪にある歯医者に行っていました。基本的に順番がなく、先生は「はい、どうぞ」としか言いません。労働者が待合所で雑誌がなんか読んでいて、入りたいなと思うと、適当に入っていくというフリースタイルです。僕はこの歯医者のことを「はい、どうぞ」と呼んでいました。ただ、激痛歯医者だったことは覚えています。
余談終わり。

ただ今、日本の職人文化は消えつつあります。
営業することが苦手な職人達は、売ることは他人任せにしてきたため、時代とミスマッチが起き、需要がどんどん減ってきているのです。日本人の生活にも余裕がなく、なかなか職人が作った高価な質の高い品物にも手が出ないのです。
そういえば、こんなエピソードがあります。
ニューヨークに陶器を売りに行った人が、ニューヨーカーに3000円の陶器にを見て質問されたそうです。「これ、3万円の間違えじゃないのか。手作りなんだろう」って。日本では3000円の陶器でも高いという人がいるのに、その10倍払っても買いたいという人が世界にはいるのです。

日本の職人が汗水たらして作った商品を
世界に販売していくのは、僕の役目だと思っています。
でも汗水たらして作る人がいなくなっては売ることもできない。
ぜひ次の世代の育成を今から考えていかなければいけないと思っています。

それが第三の学校設立の目的です。
特に商業的に行うつもりはないので、しばらくは自腹で運営していこうと思っています。
この場を借りて、活動報告できたらと思っています。

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