『美味しいは、判断の指標になる』
何かを販売したり、生産している方々にとっては、当たり前なのかもしれない。
でも、そういう仕事をしていない私が学んだこと。
私の祖父母は農家をしており、春から夏にかけて、きゅうりを生産している。
その生産の過程では、曲がって不格好だったり、収穫が間に合わず、太くて硬くなってしまったりなど、出荷できないきゅうりが出てくる。
一般には、直売所で曲がりきゅうりとして、出荷できないものを売る方法もある。
しかし、祖父母の住んでいる地域は市街地から遠く、周りは農家ばかり。同じようにきゅうりを生産しているため、売っても買ってくれる人がいない。
毎日、収穫のたびに出てしまうものの、鮮度が落ちやすく、2〜3日で萎びてしまう。
食べきれず、捨ててしまうことが多いのが実情だ。
されど、もったいない。
どうせ捨ててしまうのなら、誰かにあげることは出来ないだろうか?
そこで、いつもお世話になっている街中の惣菜屋さんに話してみることに。
ここなら農家以外の仕事をしている方も多く暮らしており、お惣菜で使ってもらうことも可能かもしれない。
結果は、二つ返事でOK。
大きな袋三つ分。全部合わせるとだいたい15kgほどを持ち込んでみる。
お惣菜屋さんは漬物にしたり、袋づめにして売ってくれたそうだ。
そう伺ったとき、「売れた」ことに驚いた。
値段にならないと思っていたものに、価値があったという事実。
買ってくれる方がいた。
確かに、祖父母の家の周りでは買ってくれない。でも、こうして求めてくれる人に届く場所であれば買ってくれる。
今、きゅうり自体の値段も高いのも理由の一つだそう。不格好でも求めやすい値段なら、欲しいと思ってくれる方がいる。
そして、「また持ってきてください」と言葉をもらう。
嬉しい言葉ではあったけれど、持ち込む立場からすると、自信がなかった。
元々、値段にならないもの。
そして、気がかりが一つ。
勇気を出して聞いてみる。
「実際、味はどうでした?」
私の不安そうな顔に気づいたのか、うなづきながらしっかりと答えてくれた。
「美味しかったです。美味しかったですよ。」
この言葉で、また持ってきても大丈夫だと思った。確かに、持ちこむ私が美味しいと思うかも大切なのだとも思う。でも、お客さんや買ってくれる人、食べた人からの美味しいは自信になると知った。背中を押されたように、次の一歩の指標になる。
また、この「美味しい」という言葉は、私の今の仕事で言われるとするなら、「ありがとう」という言葉になる。
まだ、入ったばかりの1年目や2年目は、あまり喜んではいけない言葉だと感じていた。
「ありがとう」言われるような態度、スキルであることが当たり前だと思っていたからだ。正直、やりがいに繋がらず、苦しんだことがある。
そのことがあってから、前向きに捉え、素直に喜ぶ言葉になった。意識的に、嬉しいなと思うように変わった。
そして、今回の「美味しい」。
この出来事で、私の感じ方はさらに進化したように思う。
正解がない、特に数字で測れない世界では、「ありがとう」という言葉は道標になるのだ。
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