壁抜け男

壁抜け男のことは誰もおぼえてない
地味なやつだったからな
まったくの無名だが、名はデュチユール
無名だが名はあったのだ
でも、つかみどころはない
幽霊みたいな存在、それゆえの壁抜け男

デュチユールは生きている。彼の消えた現場を夜更けて通りかかるなら、人は吹きすさぶ風音のようなものを聞くことがあるだろう。それは思いがけず塗り込められた壁の中で、輝かしい人生の終わりを嘆き、短かすぎた恋を悔しがる狼男デュチユールの泣き声なのである。――と聞かされてたが…

犬が吠え、水の流れる音がする
今は名を変え、ところもメキシコ
生き延びたんだよ、俺たち
パリだったか、どこだったかの壁から抜け出て

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