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どうにもならない私を愛して

特段嬉しかったことが人生で一度だけあった。

もう26年前の春。俺は小学校に入学し、黒いランドセルを背負い黄色い帽子を被って登校するようになった。

家から歩いて3分くらいのところに駄菓子屋があり、その前が登校班の待ち合わせ場所だった。学校まではそこから約20分かかる。今思えばよく歩いて通えたなと思う距離と道だ。

生まれた街はまぁまぁな田舎。5段階で言えば4くらい。コンビニは2つ。スーパーも2つ。病院が1つと個人経営の飲食店が申し訳程度にあるだけで他は森と畑と田んぼ、といった具合の田舎だ。

登校するコースは林を通るルートだった。そんなに長い距離ではないけど不気味で、友達や先輩と一緒じゃないと怖くて結構無理だった。当時結構弱虫で泣き虫だったもんで。

で、ある日寝坊した。焦って支度してダッシュで登校班の待ち合わせ場所まで行ったけど時すでに遅し。登校班は出発してしまっていた。

どうしよう。

結構パニックだった。登校班に置いていかれているし、学校に向かったとしても遅刻扱いだし、そもそも1人で林を抜けられる自信がない。でも家に戻ったら母がいるから多分怒られる。ハッピーになれる選択肢が皆無。四面楚歌すぎて絶望した。

泣きそうになりながら、というか半分ぐずりながら考えて家に戻ることにした。

学校に行けなかった自分。そのまま家に引き返すこと。なんてダメな子なんだろう。ダメなことをしている。わかっているけどもうそれしか選択肢がなかった。母に怒られるのを覚悟で家に戻った。

家が見えてきた、と思ったらなぜか母が外に出ていたから駆け寄って「登校班がいっちゃったからいけなかった」とカミングアウトした。怒られると思ったのにいつもより優しい声で「行けなかったの、そっか」と言って抱きしめてくれたからアホほど泣いた。

ダメなことをしたら怒られる。それが当たり前だと思ってた。しかもがその日は寝坊したし、学校に行けてないし、半ばパニックだし、どうにもならない状態。そんなダメな子な自分を咎めず、むしろ優しく抱きしめてくれた安心感。本当に嬉しかった。

自分の長所を褒めてもらえる時も嬉しいけど、どうにもならないような部分を許容してもらえる方が俺は嬉しい。

大人になると「大人だから」という理由でしっかりしなきゃという気持ちが強くなるよね。弱さを隠す技術が発達するかわりに弱さを吐露することが苦手になる。でも誰だってどうにもならない部分は持ち合わせていると思うのだ。隠しているだけ。

で、そういうどうしようもない部分をみせられる相手がいてそれを許容してくれる人がいるだけで世界はガラッとかわると思う。

どうにもならない部分ってとってもその人らしくてたまらなくキュートなんですよ。そこを愛せるようになったら、本当の好きだと思う。


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