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ついしてしまうこと

わかっていてもついやってしまうこと。誰にでもいくつか思い当たることがあると思う。

昨日は何故か夕方眠くなってウトウトしてたら夢の中で、起きたらもう20時を過ぎていた。寝起きだしさすがに料理する気が起きなくて近所のラーメン屋に行くことにした。

豚骨醤油ラーメンの店なんだけどね、ここのラーメンを食べると次の日結構な高確率でお腹下すんですよ。24時間テレビで徳光さんが泣くくらいの高確率でお腹下すんですよ。(ちなみに写真、これでも脂少なめでやんす。)

原因はわかっていてトッピングのおろしニンニクと壺ニラ(辛いニラ)をこれでもかってくらい入れて食べるから。特に壺ニラね。辛いものって中毒性あるでしょ。ここの壺ニラは辛さにブレーキが効いてなくて旨いのよ。つーことで「つい」入れちゃうのだ。

でも昨日はこの「つい」を選択しなかった。「つい」を選択しない自由があることに気付いたからだ。(だからお腹下さずに済んだ)

で、「つい」を選択しない自由っていうのはあらゆる事にあると思う。

例えばパートナーと喧嘩したとして。喧嘩するといつもカッとなって怒鳴ってしまうのならそれは怒鳴ることを選択していて、もっと言うと怒鳴ることを選択し慣れてしまっているから「つい」そうしてしまうのだと思う。

考えてみればあたりまえだけど他にも選択肢はある。すぐ謝ることもできるし、一旦距離を置くこともできるし、チョコレートを食べてクールダウンすることもできる。

慣れてしまっているから「つい」の採用率が高いだけなのだ。

普段の生活を思い返してみると結構たくさんの「つい」があると思う。

習慣の賜物だから心地がいいこともあると思う。でもそれを選ぶ事で良くない結果がわかっているのに「つい」選んでしまうのならば、それは変えることできるよね。

と昨日ラーメンを食べながら考えていたら「つい」スープを飲み干してしまった。。

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