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書くことは決める訓練なのかもしれない

『読みたい事を、書けばいい。』を読んだ。

青年失業家の田中さんが書いた本。仕事の途中で書店に並んでいたのを確認してからずっと気になっていて、手にとってちょろっとめくって買わない。というのを今週だけで2度ほどしたので今日は流石に買った。と書いてみて思ったけど、これって本当に気になっていたのだろうか?

話を進める。文章テクニックの本ではなくて、書く姿勢について書かれた本でとても面白かった。特に心に残ったのが「書くことは世界を狭くすることだ」という項目。

例えば「真夏の夕方。僕は熱海にいた。」と書き始めたとする。

この場合もう夏の熱海での話をするしかない。

「真夏の夕方。僕は熱海にいた。眉毛の整え方について書いていこうと思う。」とはならない。個人的にはこういったどんな感情で読んだらいいの?と問いたくなる切り返しが大好物だけど、ダメなのだ。ダメだってわかるでしょ。

なぜならば、文章の書き始めで書く世界を絞っているから。行き先を決めているわけだからその方向に向かって書くのが普通ってもんだ。東京行きのバスに乗ったのにディズニーランドについたらなんで?ってなるでしょ。千葉県に到着しちゃってるし、千葉にあるのにどうして「東京」ディズニーランドなの、なんで?ってなるでしょ。なんでなの?

というここまでが前置き。←

書く時に一番大変なのって書き始めじゃないだろうか?何を書くか、どう書くかを考える時間。ネタを決めて書き出せばどうにかゴールは出来るのだけど、その最初の一歩が大変だ。少なくとも俺はそうだ。

なぜ大変か考えてみると「書くことは世界を狭くすることだから」だ。何を書くか決めて、決まったことに関して書いていくから。

何を書くか考え始めるとネタがいくつか出てくると思う。料理のこと、読んだ本について、仕事のこと、妻の趣味で勝手にポケモンGOをスマホに入れられ削除を禁じられていることとか。

いろんなネタが出てきても一度に書けるのはその中の1つだけだ。選ばなきゃいけない。選ぶ作業が苦手だから俺は書き始めが大変なのだ。

そもそも選ぶって大変な作業だと思う。選ばなかったことを捨てることだから。可能性を絞っていくことだから。手に入る可能性があるものを手放すって結構ハードでしょ。でも選ばないと進むことはできない。文章もそうだしもっとスケールでかく言えば人生だって選ぶことで進んでいく。明確なら明確なほど迷わずズンズン進んでいける。

そういう意味では文章を書くというのは決める訓練になるし、書き続けることは人生をよりよい方向に向けるキッカケになると思う。

コンビニでアイスを選ぶのに5分かかる人生から早く卒業したいものだ。

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