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質量をもたない怖さ(200622→210314)

(質量に対しては、もつという表現が正しいのだろうか)

権威や地位を得ることの恐ろしさを意識していたい。

質量をもたない「権威」や「地位」を意識することは難しいと思う。もたざる人からは常に見えているけれど、持っている人はだんだん慣れて、忘れていってしまう。

自分ではただの人間だと思っていても、「権威」や「地位」をもつことで関係性は変わる。それは必然だし、そうあるべき一面をもっている。

肩書も役職もとっぱらってしまうには、会社という概念装置を作り替えなければならない。そうでなければ、やはり自分の立場を意識しておかなければならない。


人に読まれるという意識をもったうえで、自分の思いを書くことをしたくて、こうして気まぐれに日記を書いている。独り善がりの言葉しかもっていないという事がよく分かった。


という所まで書いて下書きにおいてあった。

生活にかまけていたら夏がおわり秋がきて冬さえも過ぎていった。

春が来ている。子どもの頃、というより、子どもと大人の間の頃は、春が嫌いだった。クラスが変わる環境が変わるあの時期。あの頃は季節なんで見ていなくて、気温の変化ぐらいにしか気づいていなかったのではないかと思う。

今は春という季節が好きだ。年を重ねてよかったと思うことの一つ。


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