音楽と私

人生で一番死にたくなった瞬間は、うつ病を拗らせた時でもなく、クリスマスを一緒に過ごした後に初めての彼氏にフラれたときでもなく、部活の指導者にこう言われた時だ。

「集中すると周りが見えなくなるクセがあるよね。だからダメなんだよ、あんたは。イヤホン外せ。」

中高一貫校で6年間、同じ部活に通っていた。
指導者の指示に従わない者はもれなくハブられるか、部活を辞めていくか。その場で人権を得る方法はただ1つ、指導者に気に入られること。
そんな中央集権的な部活が、私は大嫌いだった。
嫌とは言えない性格だったので、無駄に長く所属しているが為に、面倒な役職を押し付けられる立場だった。
きっと先輩達からも指導者からも、こいつには何を言ってもいいと思われてるんだろうなぁ、と思うような扱いを受けていたので、私は必ず行きと帰りの通学路ではイヤホンで音楽を聴いていた。

音楽に集中し、普段の凄惨な日常を考える時間を少しでも減らして無感情になるためだった。


音楽に集中している時は、音楽にこの人生の全てを赦されている感覚だった。
この音楽を奏でている人達は、私のことをなにも知らない。
私も、この人達のことを知らない。
情報はいくらでも出てくるかもしれないが、私はこのつながりのない天才たちに励まされているのだ。
心から純粋な気持ちで、音楽の魅力を享受している。
大袈裟だなぁ世界はもっと広いのに、と今なら思える。
だが当時は、「私に人権の無い場所へ通い続けなければならない」という苦行に耐える唯一の方法だった。



ある朝、いつも通りの通学路を歩き、イヤホンを付けながら部活へ向かっていた。
突然、後ろから肩を掴まれた。
驚いて振り向くと、運の悪いことに部活の指導者だった。ギョッとした私はすぐにイヤホンを外した。
そして、冒頭の一言を突き刺してきたのだ。


そこから何かを話しながら一緒に歩いたのかもしれない。
覚えていない。
こんな何でもない通学路の切り取り領域を覚えているのだから、今まで安地だと思っていた時間に土足で踏み入られたことが、あまりにショックだったんだと思う。
私は二度とその時間に着く電車を使わなくなった。
降りる駅を1つズラして、わざわざ歩く距離を伸ばして、音楽に浸る時間を長くした。


卒業して数年経つ今でも、通勤路で音楽を聴きながら歩く時間が一番好きだ。

好き……なのだろうか。
安心する、の間違いか?
おなじこと?
好きだから安心するのか、安心するから好きなのか。

どっちでもいいか。
私はこれでも、音楽が好きだ。

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