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のど自慢/丁寧の美/選択者は私 等

雑記アレコレ


・2024/6/9
12:20頃、母の車でのど自慢を見ていた。

若い車掌さんのトレイントレインは、(一体何から目線だと言われても仕方ないが)すごくまっすぐで、粗削りで、ブルーハーツの良さってこういうことだよな~と思った。ブルーハーツが好きだ。

自宅にあった割りばしで衣装を作ったというお姉さんもいた。テレビに出るんだもんね、気合いれたいよね。京都ってもっと親しみにくいもんかと思ってた。めちゃくちゃ親しみやすいやん。

車から降りる直前、聞いたことのあるメロディーが流れる。こんなキーだったっけ?これなんだっけ?Hump Backの「拝啓、少年よ」だった。

若いチャンネーが歌うから響く歌だと思っていた。ウィキを読んで痺れたことがある。もう何年も前の友との別れを、こんなにみずみずしく歌えるのかと思った。ボーカルの声を聞いて、ボーカルになるべく声の人だと思った。いい声だった。
カーナビの向こうでは渋いビブラートを響かせるオジサンが一生懸命歌っている。みずみずしさはない。とにかく渋い。

夢はもう見ないのかい?
明日が怖いのかい?
諦めはついたかい?
馬鹿みたいに空がキレイだぜ

拝啓、少年よ - Wikipedia

オジサンの背景は何も知らないけど、この曲が良いって思う感性も、これでのど自慢に出ようと思うところも、渋い歌声も、なんか良くて、カーナビの向こうからゴンフィンガー送るのみだった。



・2024/5/30
何度も思っていることだし、何度も言っていることだが、丁寧にこそ美が宿るとつくづく思う。当然のことなんだけど、雑に終わらせたものには美がない。美の追求の果てには必ず「丁寧」な作業がある。

不規則な動きや、偶然の産物にももちろん何にも代えがたい美しさがあるが、ひとが定性的に生み出せるものの美しさには「丁寧」が不可欠である。と思う。

「丁寧な作業自体に価値がある」こととは必ずしもイコールではない。粗雑に見える技にも鍛錬あり。余白の少しにも意味がある。タイムラプスや早送りでなんでも見られるありがたい世界だが、なんでも簡単にやりこなせるわけではない。


・2024/5/31
ひとびとが韓国旅行にしたこと(または行く予定にしていること)を耳にして「いいなあ」と思った。私のすきなひとは、韓国旅行にはどんな奇跡が起きても、つまりはほぼ100パーセントの確率で行かないだろう。

私が、この人を選んだのだ。
私は、仕事も、家族も、友達も、なまぬるい環境も捨てて、彼と生きることを選択した。

これまでは行きたいも、欲しいも自分でかなえてきた。行きたいは、友人や家族や恋人に言えば、「行こう!」と叶えてくれることが多かった。でも、この人に言っても叶わない。私は、私がほしいときにほしい言葉をくれない、行きたいと言ったところも「いいね」とは必ず言ってくれるわけではないひとと生きる。

ふとした瞬間、大概は嫌なことを言われたときに「なんでこんなひとと」と思ってしまう。すべて私が決めたこと。私に責任がある。私のことは、私が世話をする。

ちょっと覚悟より、甘えが強かったかもしれない。



・2024/5/21
要するに自己満なんだということは理解している。「これを買っていってあげよう」とか「これを用意しておいてあげよう」とかしても、大して感動もされなければ、感謝もされない。感動や感謝を期待した行動というわけではないが、こうもリアクションが薄いと「心が通じ合っていない感」もしくは「私が、自分が満たされるためだけにやっている感」で殴られている感じがする。

この行為続けていれば「いつか俺も」と同じように何かしてくれることを期待していたが、まあ本当に何もされない。ここまで本当に勝手で都合のいいことを考えているなあと、今なら分かる。

結果として、彼に期待するのも、何かしてあげるのもやめた。やってあげ甲斐がないから。どんなサプライズやプレゼントを考え抜いて用意したって、本人が欲しがっていないものであれば意味がない。

ひどく傲慢でひとりよがりで、やられる側からしたら「あんたが勝手にやってんでしょう」ということではあるのは理解している。けれど、それでも何かしたいとか、何かしてもらいたいという気持ちは潰えないもので、なんなら、「私が何かしてあげたい気持ちを理解して、私から何かしてもらったらさほど嬉しくなくても、ひとりよがりだな…と思っても、その気持ちをありがたく気持ちよく受け取る」くらいしてくれたっていいんじゃないの、とすら思うわけ。

でもまあ彼にそんな繊細な心の動きはないことはじゅうぶん理解したし、私が望むこと以外のことで、おおざっぱに・乱暴にではあるが一生懸命わたしに「なにか」をしてくれようとしているのは感じる。まあ主には「カネで解決」なんだけど。いや、うーん、そうでもないのかな。うーん。でもなんか、荷物とかはもってくれるし、運転やめたいって言ったら運転してくれるし、私に内緒で私のすきなキャラのスタンプ買ってたことに言及したらプレゼントしてくれた(させたが正しい)し、そういうことなのかな。


・2024/6/18
何度も同じことを繰り返している。実家で暮らす苦しみと言ったらない。逆に、兄弟は何も不便なく実家で暮らしている。君に苦しみはないのか。

兄弟の要領の良さを恨んでしまう。私の見えないところの実績を全員がスルーして、家族は兄弟の見えるところの成果を評価する。
私もそうしたらいいのだろうけど、私は活動時間を遅くすることを理解できないので、そうしたくない。すると無限ループ。側から見れば「何もしない私」の出来上がり。責苦に遭う。
数年前に実家を出た理由を思い出す。正月に実家で得る喜びと苦しみを思い出す。
理解されたい。されない。理解したい。できない。

口から溢れ出そうになる。「私は病気です」そんなもんに頼りたくないのにな。

結局世のオバサンと言われる世代は、若い労働力を自分の小間使いだと思っているのだろうか。私が心底嫌っていたババアと、母は何が違うんだろう、と思う。
違うのはわかっているが、常に、善意を利用して都合よく扱われて気がしてならない。


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