見出し画像

最近いろんなことを2023に置いていこうとする悪癖がある 雑記



酸いも甘いも全部今年においていくつもりだからあと数日間で駆け抜けていこうと思います。よろしくな、note。


・生理前ってわかってたとして、対処法が確立されているわけではな〜い

わかってるからなんだ~~?というくらいひどいpmsの時もある。いくら予防したっていくら対策とったって怒りに震えて血が一か所に集まって指先が冷える日もあるし、悲しみや苦しみで涙を流しながら布団にもぐる夜もある。

・気分をそらせるわけがない

嫌なことがあった時、(たとえそれがpmsが関係なくても)嫌なことで頭が埋め尽くさる。気分がよくなるよう好きなことをしよう、と取り組んだことがある。そんなもんで気分がよくなるわけない。根本の原因の解決に至っていないのだから。楽しい時間が過ぎ去れば、また、思い出すだけです。

・丁寧な暮らしができるほどこの国は裕福だったのか

丁寧な暮らし=贅沢だと思っているけれど、そんなことができるほどこの国って金持ちばっかりだったっけ。とふと思った。Noteというプラットフォームがそうさせているだけなのか、綺麗な部分だけ見せられるのってアイドルがうんこしない!みたいな違和感がある。 

・頑張りたいってひとは素直に応援したい

だから私も夢を持ちたいし、がんばりたいし、応援されたい。まあもちろんがんばるを続けるのも大変だし、期待され続けるのも、応援され続けるのも大変だとは思うけれど。ズルしたり、投げやりだったり、人間のあさましい部分は目をそむけたくなるくらい、嫌ってこと。その逆の行為がやたらと神聖なものに見えるし、愛しく感じてしまうということ。

・共感する生き物=女という構図に括られたくないけど逆らえない

逆らいたい。常に私は常套句?定説?理論?通説?固定概念?に括られたくないと思っている。ロックンローラーなので・・・(ロックンローラーの固定概念に自ら括られにいくひと)。
共感する生き物だからね、と言われて、嫌な気持ちになった。しばらくしてから友人の愚痴に嫌ほど共感したり、逆に私の話で共感されたりして、相当気分が良くなった。結局私は一般的な女の通説を真正面から歩く女さんですわ。

・世間のギャルイメージに違和感

ギャルが、「明るく自己肯定感が強く自分の芯を持ったひと、もしくはそのような生き方をするひと」の代名詞なことに違和感がある。ギャルだって病む時は病むし、立ち直れない人だっている。ギャルで読モでインフルエンサーだったけど、何か歯車がうまく嚙み合わなくて手首を切ったり酒や薬に依存したりする人を何人も見た。ひとによる、それに尽きる。私はまた、括られることを嫌がっている。自分に対しても、他人に対しても。個々を大事にしたいのかもしれない。

・他人にされて嫌だったことを、自分が誰かにしないように気をつける人間と、積極的に実行して自分のストレスを発散する人間とがいる

自分が常に前者かといわれると自信がない。常に自分に正直に生きているわけでもないし、後ろ暗いことが何もないとは言えないし、何より私はすぐに人を遠ざけるので。
いや、ここで言いたいのは、親の都合(=とにかくいろんなところに引っ越したい!)で、子供を転校させるのはどうか、という議題であって、「他人にされて嫌だったことを、自分が誰かにしないように気をつける人間と、積極的に実行して自分のストレスを発散する人間とがいる」は全くの飛躍なんだけど。私が転校を繰り返したわけではないけど、子供時代、とにかく環境が変わるのが嫌だった。クラス替えも、進級も、入学も。人間関係の構築が嫌だったから。そんなの大人になってしまえばいくらでも新しい環境に居ることになるし、他人なんてどうでもええわ、と思えるのだけど、子供ってその場その場が社会だし、世界だから逃げ出せないもの。それを親がドーンと変えてしまうのは、あまりにも虐待ですわ、と思った。子供にも都合を聞くべきだよな、子供いないけど。

・声がでかい人はただしいし、こわい

声がでかい人がする「俺の主張」はただしく聞こえる。本人が、それを正だと信じているから、熱意のこもったプレゼンになる。正しく聞こえる。ただ、内容が破綻していたとき、まったく共感できなかったとき、真逆の性質をもったものになるなと思った。真向から全部非難したくなるし、その人自身を嫌いになる。とたんに怖くなる。目がうつろ。薬でもやってる?(酔ってる)要約すると、」子供は俺になついているけど、嫁は俺とロマンチックな関係を構築しないので離婚する!養育費は払う!」と大声で言ってるのがキモかった。

・数日後、そんなに?というくらい引きずった

ある忘年会に行って、嫌な気持ちになった。まず、他人がアルハラとモラハラを受けているのを見て、心底軽蔑した。やめろと言ってもやめなかった。自分勝手な意見、というより自分が言ってることが正論だと押し付けて相手を非難する言葉を聞いて落ち込んだ。非難を受けた人は何も責められるようなことをしていない。交通ルールを違反するような行為も嫌だった。気分よくXJAPANを歌っている様が許せなかった。人の歌を聞いて嗤っているのが嫌だった。結局自分が気持ちよくなることばかり考えているじゃない、と思った。
別の人からセクハラを受けた。誰も止めなかったし、見て見ぬふりをした。XJAPANを歌った人はセクハラする人を制止しなかった人を非難した(何この文章)。お前も同類だろ。お前が止めたってよかっただろ。
後日、XJAPANを歌った人から、「酔って家庭の愚痴を持ち込んでごめんなさい。記憶が曖昧で。このまま年越ししたくないので。」と連絡が来た。そこじゃない。全部違う。謝ってスッキリしたいだけでしょう。勝手に私でオナニーしないでくれ、と思った。気色悪い。無視した。彼は別の人のセクハラを職場で吹聴して回っているらしい。でかい声でお疲れ様です。自分のしたことを全部他人のセクハラにかき消させるんですね。卑しい。
もちろんセクハラも許していない。全部、ひとりでもやもや抱えている。こういう時に、相談できるひとが誰もいない。終わった職場にいることが判明して、一人職場で泣いた。 

・嗤われても健気に歌う姿がうつくしい

と思った。けど、その鈍感さのせいで、XJAPANの人(トシでもヒデでも以下2名でもない)の悪癖を助長させている。それでもやっぱり、皆がすきなあの名曲を一生懸命歌うのは、良かった。セクハラは止めろよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?