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不安な心にまけたくない。/3月31日

noteをはじめたのは、2月14日のこと。
今年に入ってからはじめようとうじうじしていて、やっとはじめられた(決意というよりも、勢い)日。とにかく、毎日書こう。そう思いました。

それから、仕事の都合や何やらあって、ぽつりぽつりと一日抜けてしまうことが数回。でも、自分がごきげんに書き続けるために、ちょこっとくらいはいいかな、とそれは許容範囲で。

潮目が変わってきたのは3月21日くらいのことでしょうか。
それより少し前までは、noteにコロナの話は書きたくないなと思っていました。私が書かなくても、きっと同じようなことは誰かが書いてくれているだろうし、「書きたいこと」を探すとするならやっぱり私は食べることや生活について書きたいと思ったのです。

でも、だめでした。コロナの存在が大きすぎました。
知らんぷりして書き続けるほど、自分でも白々しく思えてしまって、何を書きたいのか、書けばいいのか、完全に見失ってしまいました。

書きたくないな。
それが、私の本心でした。

そんな中、数日ぶりにのぞいたnoteで見つけたのは、
Noteを書きたくない。
という江六前さんの記事。

書きたくなくなっているのは、私だけではない。そんな安心感と、締めくくられていた、ひとこと、

創作を、コロナに殺されるな。

「創作」なんて呼ぶに忍びない私のつたないnoteでも、コロナに殺されてしまうのはイヤだ。そんなふつふつと静かにわく闘争心。

私は、コロナに負けそうなのではなく、自分の不安な心に負けそうなのです。

いつも通りに会社にきます。会社に来たら、話すし、笑うし、いつもと変わりない私です。帰りに買い物をして(都内自宅近くのドラッグストアでは、いまだトイレットペーパーとキッチンペーパーがありません。マスクやアルコールはもちろんない)週末のごはんはちょこっとだけはりきって作ります。ワインを選んで、おおいに飲んで、食べます。

会食、レッスン、セミナー、ライブ、、、予定は全部真っ白になってしまったけど、それでもいつも通りの私なのです。それなのに、おとといの日曜日から左目の下がときどき痙攣するようになりました。調べてみたらどうやら、睡眠不足やストレスなどによる一過性の神経の興奮が原因のよう。一生懸命不安な気持ちをかき消そうとしても、体は意外と正直です。

不安な気持ちに、負けてもいいのかもしれないですね。
「あー、不安だ!」って、小さくつぶやいたら、必要以上の情報を集めるのをやめて、本を読んだり、映画を観たり、気分転換をしようと決めました。(おそい。笑)

noteを書きたくない。
そんな気持ちもなくはないけど、明るいほうに目を向けて「書きたいこと探し」をしようと思います。せっかく、春ですもんね。

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