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好きなバンドの話をするように、政治の話ができたなら

書くことは大事だという記事を書いておきながら、全然投稿できていなかった。

今日は都知事選挙の投票日なので、このような記事を書いてみようと思う。
結論から言うと、相手を論破しようとしてしまうから、言い合いになったり険悪なムードになってしまい、タブーになるのではないかと考えた。

論破しようとしなくても「あ、こんな思想の人なんだ・・・」と表面上平和に見えても今後うっすら避けられるかもしれない不安とか、そういった面もある気がするが、1つ思いついた答えとして、これが理由ではないかと思った。

正直なところ私は政治にそこまで関心が高くなく、でも選挙には毎回行っているくらいの関心度合いである。

家族の中でたまに政治・思想に近い話題が出ると、誰かがむきになってそれは違う!など感情的な発言をして、雰囲気が悪くなることがある。
考えが近いはずの家族ですらこうなるのだから、友達や職場の人とそんな話題をすれば、表面上は平和な雰囲気でもなんだか微妙な空気になりそうである。
もし私も自分の思っていることを話して、全面否定されたら気分が悪くなり、むきになってしまいそうだとも思う。

しかし、例えば好きなバンドの話をするときそんなムードにならないと思う。多くの人は、「私は好きじゃないけど、あなたはそれが好きなのね~」くらいのテンションで話すのではないだろうか。「○○なんて××のパクリバンドだ!」など全面的な戦闘モードで話す人はいないと思う。
そのテンションで「今回はこの候補者が私的にはいいかなって思ったんだよね」とか「私はこういう点がピンとこなかったんだよね」と互いの意見を一意見として、論破しようとすることもなく、受け止めて話せたらいいのになと思った。

そう思った理由は、身の回りの人ともそういった世間話ができたら、情報収集しやすく、多角的に考えて投票ができるかも、と思ったからである。
前述の通り、そこまで関心が高いわけではないので、いつも選挙公報を見て、興味を持った人はちょっと調べて、直感的にこの人かなと思った人に入れている。ただ、それでは判断材料が少ないと感じることがあるからだ。

ネットとかニュース記事を見ればよいのでは?と思われるかもしれないが、ネットの海はいろんな意見の人が多すぎて、時には感情的な言葉で人を貶めるような発信も多いので、見るのがしんどくなってしまう。

そこで、価値観が近そうな周りの人が、どう考えているのか知ることができたら大事な判断材料になるのではないか?と思ったのである。

でもどうなんだろう、職場の人と話してなんかこの人ちょっと語り方熱いな…と思ったら、その印象がずっと妙に残ったりしちゃうのだろうか…。
と、まだ自分の考えにも自信が持てずにいる。

語り口調も大事なのかもしれない。「絶対○○」とか「××は間違っている」とか断定的な言い方ではなく、あくまで「私はこう感じたんだよね~」という「I(アイ)メッセージ」で伝えることが大切な気がする。

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