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よそはよそ、うちはうち。

子供のおねだりを一蹴するこのフレーズ。

この言葉が、違う意味でも使えるなと最近思いました。

子供に言うときは、「よそにはよその事情・状況があり、うちにはうちの事情があるんだから、友達が買ってもらったからといって、おねだりを正当化する理由にはならないぞ!」みたいな意味だと思います。

この意味をもう少し一般化すると、「よそにはよその事情・状況があり、うちにはうちの事情があり(ここまでは一緒)、前提条件が違う以上その比較に何の意味もない」ということだと思います。

説教くさいことが言いたいのではなく、自分の気持ちの逃げ道にできるのではないかと思ったのです。

例えば「あの子にできてあなたにできないはずがないじゃない!」という発言は、前に踏み出したいのに勇気がでない…と落ち込む人を励ますには、心強い激励となるでしょう。

しかし、「自分にはこれ以上キャパがない、もうしんどい」と限界を迎えている人にとっては、重荷であり、責められているようにも聞こえます。自身がそう思ったことがあるから、そう思います。

人には人のキャパシティー。あの子はできたかもしれないけど、それが私ができる証拠にはなりえない、ということです。キャパの問題でなくても、向き不向きの問題もあるでしょう。まさによそはよそ、うちはうちです。

新型コロナの広がりで人々の様々な予定が狂っています。その影響は大小様々で、一般的なものさしで言えば、小さい出来事だと飲み会ができないとか、サークルができないとか。中ぐらいのことだと留学がなくなったとか、オンライン授業になったとか。もっと大きなことだと、職を失った方や、大切な家族を亡くした方もいます。

でもそれはあくまで一般的なものさし。受験を乗り越えてせっかく入学したのに、新歓も先輩との交流も満足にできない新入生にとって、それはとても辛い。最後の学生生活を満喫する予定だった4年にとっても、飲み会ができないのは辛いです。留学のためにGPAを積み上げてきたのに、ここにきて中止になった、新入社員でリモート研修漬け、こんなはずじゃ…という人も、それぞれその人にとって本当にショックです。

それに対して「飲み会ぐらい、サークルぐらい、大したことない」やら、「身内が亡くなっている人もいるんだから、まだマシじゃない」などと言うことはまったく説得力がありません。人それぞれの環境・状況の中でそれはそれぞれ最大限辛く悲しいことであって、そこに他人が大小の差をつける権利はありません。

もっとも、かなり辛い状況に置かれている人にわざわざ絡みにいって、自身の悩み(相手にとっては一緒にするなと思われる程度の悩み)を述べてあなたも私も一緒、と安易に共感することは無神経です。他人の悩みを勝手に自分の土俵に連れ込み、自身と同列に並べるのは、人の苦しい出来事に大小の差をつけ、評価する人と、やっていることは同じだからです。

真面目な人ほど、自分はまだマシだ、誰々の方が大変なのにこんなことでへこたれてはいけない、と思い悩むことがあると思います。

そんな時こそ「よそはよそ、うちはうち」。自分はこれがつらい、他人はどうとか関係ない!!、と思うだけで心が救われるのではないでしょうか。

それを口に出したり発信すると、一般軸を持ち出して意見してくる人も多いので、自分の心の逃げ道として、しんどくなったら思い出すことにしています。

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