力の抜けた光る方へ
いつの間にか季節が変わっていた。今年は季節の変わり目のにおいに気付かなかった。
きっとこんな風に使うんじゃなくて、中にゆとりがあることを仮定してデザインされているだろうリュックに、詰められるだけの荷物を詰め込んできた。
いつもの仕事セットに加えて、使いきれなかったザクロビネガーと、グレイッシュピンクのお皿2枚、紙袋にはフライパン、錆びついた持ち手がはみ出ている。
靴紐が解けている。新しい人生をはじめようと、ちょっと高いけど願掛けのように購入した靴。まだ新しくてパリパリの紐はすぐ解ける。
紐を結ぼうと、電車のホームに重たい荷物たちを下ろす。パンパンのリュックと紙袋は上手く自立せずに倒れてしまった。
紐が解ける、荷物が倒れる、涙が出る、電車が来る、立たなきゃいけないのに力が入らない。
ドアが開く、何も無かったように座席に座る、目を閉じる、瞼がふるえて上手く閉じてくれない、最近は音楽も聞かない、電車に乗っている間だけは何も考えない時間を過ごそうと試してみる。
LINEの通知音が鳴る、ドミソ、気になって目を開ける、マスクで顔認証が効かない、ソが6回、パスコードは離れる事を決意した日にち、色んな音が音符になって聴こえてくる、音楽が好きなのに、今は何も聴きたくない。
ふと目を開ける、向かい側の座席に座っているサラリーマンが貧乏ゆすりをしている、左手薬指にはゴールドの華奢な指輪が光っている、百貨店にあるブランドじゃなくてどこかの工房にオーダーしたようなつくりのそれから、なんとなく奥さんの姿を想像する。
やらなきゃいけないことがあるのに、どうしてだか体がついていかない。考えなきゃいけないことだらけなのに、どれから手をつけていいかわからない。誰かに話を聞いて欲しいけど、人と会ってもうまく過ごせないから会いたくない、そんなのどうでもいいよって言ってくれるのだろうけど、それでも怖い、泣きたいけど、ちゃんとぜんぶ終わるまで泣きたくない、食べたいけど、食べたくない。
痛い時にしか痛みは分からない。いつも時間が経てば忘れてしまう。それはとっても良いことなんだけど、誰かの気持ちを汲み取りたいと思った時、そこにもうリアルな感覚がなくて困る。
思い返せばちょうど10年前、私は今と同じような暗闇にいて、その時は誰にもなんにも話さなかった。ひとりでハワイの海に浮かんだり、生垣の端っこで何日か野宿したりすることで自分を立て直した。今の私はどうするか、こうして整理している。
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