執着という悩ましいもの。

急になんだ。と思うようなタイトルです。
これは私が悩んでいることの一つです。
吐き出し口にさせてください。そして誰か答えを教えて欲しい。なくすためにどうしていけばいいのか。

またまた長いです。どんどん記事が長くなってます。目次を用意してあるので許してください。3500字超えです。


そもそもこうなっていった事について振り返ってみる

もはや執着をなくすことに執着してる。

基本的には人を心から信用するってのができない性格してると個人的に思っていて、はたから見れば執着癖と信用できないって矛盾してるんだろうなとは思います。関係あるかなって思ってますが。おかしいようで実際あるやつです。
執着って自分の都合がだいぶ強くて、手放すことが考えられないんです。もし、あの子といられなくなったら…。嫌いになって会ってくれなくなったら……。大人になったら連絡とれないかな……。って別に普通に交流自分から取ればやれるし自分がたいそうな事しない限りそんなことないよ。とか冷静になればわかるでしょうと。不安って冷静さとか消えるからな(個人談)。

2度の執着に自覚して2度目を味わっている今

2度目?と思った方。執着は再発するもの、というか難しさがあるんだと知ってもらえれば。

執着していることへの自覚

1度目は中学時代です。とても仲良くなったんですよ、3年生という高校に上がる学年のときに。わかりますかね、別れる(別の高校にいく)のが確定していたんです。卒業が近づくたびに高校に上がりたくない。別れたくないと。友人ちゃんはそれに気づき、そっとこんな私と居なくなっても大丈夫になように気にしてくれていたんです。本当に彼女には申し訳なさしかないのですが、気づいてくれたこと、気づかせてくれたことへ感謝しかないです。そこで初めて自覚したんです。私には執着する、そうなることがあるということを。確かに幼稚園のときに卒園式で先生とお別れしなきゃいけないと号泣したりはしてましたが。小学校はほとんどの子がそのまま中学でも同じなので何もなく終わったのですが、それ以来というのもあってか酷く不安に駆られていたんです。幼稚園ならまだ単純というか、複雑すぎる感情ではないのでいいのですが、中学となると思春期真っ只中で親などの家族よりも、友達といる方が楽なんです。友達との関係に価値を見出しているので、その見出したものを失うかもしれないことに不安を感じ、そして執着へと陥っていったというわけです。
高校へ進んだという離れざるを得なくなりそれは自然消滅したかのように終わりを迎えました。友人ちゃんによる心配と作戦のおかげともあり。"したかのように"と書いたのは文法が変なのも承知の上です。消えてないからな。かれこれその友人とは今も時折連絡はしていますし、誕生日をお祝いしたり、バレンタインにはお菓子を手作りし、届けるという仲は継続できている(少なくとも私はそう思っている)ので当時の私の不安は解消はされています。

2度目(現在)の再来と葛藤のようなものとそれから

時の流れという少し強引ではあるが、その高校に行く理由としていた部活の始まりにより忙しくも幸せな生活により普通の生活を迎えていました。部活に明け暮れ、へとへとになりながら家に帰り課題に追われる。とても青春という言葉が相応しい生活です。テスト期間の短い学校帰りに中学時代の友人ちゃんとも会えたり、普通という言葉が合うのかはわかりませんが、良い生活が送れていたと言えると思っています。

なぜその状態から再び執着に悩むようになったのか

友人ちゃんとの出会いとアンサンブルと

アンサンブルコンテスト。吹奏楽をやっている人ならわかるのではないでしょうか。少人数のグループ(3〜8人程度)で曲を演奏するコンテストです。
その時に今も良く話す友人と出会ったのです。出会ったというか、そこから交流を持ち始めました。私は高校に入ってから楽器が変わりました。中学はパーカッションを、高校になってからはトロンボーンを担当することに。初めて他の楽器とのアンサンブルをするという事になったのです。
トロンボーンパートは私を含めて3人。金管8重奏に他の2人が、私は他の子達と混成8重奏を組む事になりました。ワクワクと不安がありながら練習をしていくうちにとある2人の子と交流を持つようになります。それがフルートの子とクラリネットの子でした。このクラリネットの子がとても強く私にとって影響を与え、再び執着を起こしてしまうきっかけとなるのでした……。その子からすればとんだとばっちりでしかないです。本当にごめん。それ以外に言えることはないです。なのに仲良くしてくれてありがとう。

親友、友人、友達。定義って難しい。

"基本的には人を心から信用するってのができない性格してると個人的に思っていて、はたから見れば執着癖と信用できないって矛盾してるんだろうなとは思います"
こう冒頭で私は述べました。人を信用できないんです。正確にいうと心からの信頼、気を許してなんでも語れるような存在を作ることができないんです。心から気を許した相手、言語化しづらいのですが、世間的にいう友達以上であり、親友orそれ同等の存在がうまく作れないんです。

友人を作ることは案外簡単にできるほうです。人によって友人、友達のレベルの定義は難しいですが、普段会った時に挨拶したり、解説書忘れて写真撮らせてもらったり、話したりする感じのレベルを友人と定義しています。部活の休憩中に雑談をしたり、部活終わりに遊びに行ったりそういった事をする感じです。悩み事もそれなりに仲良くなればしたりもします。信用できないというのは少し違う気もしますが、どこか心の中でこの人何するかわからないから裏切られるようなことするかもしれない。期待しすぎたらいつか自分の方で嫌になってしまいそう。そんな事を思ってしまうのです。めんどくさいやつですね。でも本当にそうなんです。テンション下がったとき、疑心暗鬼が過ぎる時こうなってしまうんです。

2度目の再来

その信用をなんとかできるようになった相手、それがクラリネットの子というわけです。話すようになっていくうちに性格は真逆で喧嘩というか対立ばかり。凸凹感満載です。でもそれが楽しいんです。日帰り旅行みたいな事をしたり、お互いの家に遊びに行ったり、お祭りに行ったり。LINEでは創作の話やゲームの話題をしたり、ふとしたどうでもいいようなことでも話すようになっていったんです。
ずっと一緒にいられたらいいのに。と思うようになってきたわけです。だいぶ末期というか、執着起こしてきているのがすでにわかります。

どう向き合っていけばいいのか

答えがいまだにわかりません。本当に。
執着しないってなんだっけ?みたいな言葉にするとなんか変な感じですが、この現状ではないもともとの自分ってなんだ?となってる。そっと楽にして離れればいいんだよとかYoutubeで見ました。でもそれは、恋愛においてなんです。別に縁切りたいわけじゃないし、恋愛じゃない。たぶん。好意はあるけどそれは恋愛感情じゃない。恋愛もあまり自分の中で定義というか答えを見出せてないけれど。私の独りよがりをなんとかできればいいんです。でも思考は変わらない?なんだかよくわからない。そんな状態なんです。

とりあえず現状で出した答えはこうです。
•変に追いかけない
•落ち着く
•普段通りに


何か特別な事をするわけでもなく、ただできるだけ冷静に、いなくなってしまうという考えがよぎったら一呼吸置く。また会える。1人になりたい時ぐらいあるじゃないか自分にも。だから大丈夫と暗示のように思考を落ち着かせるようにすることです。

これからも

この先何年かたったとしても執着してしまう事があるんだろうな。簡単に無くなりそうにない気しかしないから。でもその自覚と落ち着かせるという方法でだんだん慣らしてなくすしかないんだろうと思っています。向き合っていければきっと大丈夫なはず。そう思いながらこれからも生きていくしかないのでしょう。

生きづらい世の中。きっと私だけじゃないです。読んでるあなたも生きづらさ抱えてたりするんじゃないでしょうか。無理に吐き出さなくても、吐き出したくなれば話してみればいい。その吐き出し口として私はnoteに今回書いてみたわけです。

気に入っていただければまた次の記事も読んでいただけたら嬉しいです。
こんなに長い文にお付き合いしてきただきありがとうございました!


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