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観劇感想文 1/12 『黄昏ゆーれいランド』

小劇場に通うようになってそろそろ1年。

演劇には色々な楽しみ方があると感じている今日この頃。
私の場合は、ストーリーや役者様の演技、小劇場の雰囲気そのものが好きなのだけれど、それと同じくらいのウェイトを占める要素に「作っている人たちの情熱を感じたい」と言うのがある。

本であれ、音楽であれ、アニメであれ、ゲームであれ、何か一つの作品が出来上がるということは、相応のエネルギーを必要とする。
だから、どんなものであれ、情熱を含んでいないものなど存在しないんだけれど、その情熱の「純度」という意味においては、どうしてもバラツキがあるように思う。

社会に出て、歯車的に仕事が回りだすと、どうしてもその純度は下がっていく。
私は基本的に、自分に出来ないことを出来る人は、それが何であれ敬意を持ちたいと思うけれど、世に出ている娯楽作品を見たり、遊んだりしていると「あぁ、ずいぶん、雑に作ったな」
と申し訳ないが感じてしまうことは、多々あると同時に、増加傾向にある気がする。

私自身が、働くのが嫌いな人なので、そういうものが世に出てしまうメカニズムは理解しているつもりではいる。
若いころなどは、そういうものを駄作だ、クソゲーだなどと喚いていたけれど、年を取ってそのメカニズムを理解してからは、
「まぁ、そうだよな」
と思うようになった。

だからこそ、小劇場の演劇との出会いは衝撃だったのだと、今にしてみれば思う。
物質的なリターンが少ないにも関わらず、それでも、新たな演劇が生まれ続けているのは「演劇が好きだ」という情熱に他ならないと思うし、だからこそ、大衆に阿ることなく、尖った作品も生まれるのだと思う。

そういう意味での「純度」を突き詰めた時、学生さんの演劇というものが、最高純度に近いんじゃないかと、常々、感じていて、いつかは観てみたいなと思っていたところで、本作のフライヤーを手に入れた。

多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科さんの卒業制作。
演目は『黄昏ゆーれいランド』。

フライヤーだけではどんな話なのかは分からないけれど、それよりなにより、念願の学生演劇。

しかも、卒業制作である。
4年間の集大成というだけで、こちらもちょっとテンションは上がってくる。

私は学歴がスカスカの人なので「東大は日本ですごいぞ」という事ぐらいしかわからない。
まして美大ともなると、もはや異次元の話なので、多摩美術大学というところが、いかなる学府なのかは分からないけれど、異次元であるがゆえに、すごいものを見せて頂けるんじゃないかと思って、帰宅してすぐに予約。
かなり期待しながら、公演日を待った。

会場はシアターウエスト。
名前だけはちょいちょい見かけていたので、私はてっきり、東京芸術劇場の近くにある小劇場かと思っていたのだけれど、近いとかそういうレベルではなく、東京芸術劇場そのもので、あまりの格調の高さに尻込みしてしまった(どうでもいい話だけどここのトイレの便器が黒塗りでかっこいい)。

ファミマで発券したチケットを受付で出すと、
「申し訳ありません…」
と切り出されたので、日程間違えたか!と顔面蒼白になったが、ただ単に席の配置が変わったことへの謝罪だった。やー、びっくり。

会場に入るときに、結構厚めのパンフレットを頂いたのだけれど、最近は当日パンフは公演後に読むのがマイブームなので、そのままカバンへ。
着席して舞台美術を眺める。

照明が落とされているのではっきりは見えないけれど、それは廃墟のような佇まい。
これも学生さんが作ったんだろうなと思うと感慨深い。

東京芸術劇場、いわゆる芸劇が、演劇に関わる方たちにとって、如何なる存在なのかは素人の私にはわからないけれど、施設としてのグレードが高いのは間違いないだろうから、そういう場で卒業公演をやるのはどんな気持ちなんだろう。
設営の時にもそれなりの思いというのはあったんだろうな、などと思いを馳せているうちに、ヌルっと開演。

作家を中心に、少しずつ、少しずつ、集まってくるベールを被った幽霊。
総勢30人が舞台に揃ったところで、一斉にそのベールを脱ぎ捨てるんだけど、私、気が付いたら、泣いてた。しかも、結構本気で。

何でかって聞かれると、自分でも正直分からない。
圧倒されたというか、圧巻だったというか…つまりはそういうことなのかもしれないけれど、ちょっと、この時の気持ちは言葉にしがたい。

感想を書きはじめておいて、なんだけど、この作品はこの場面のみならず、感じたことを言葉では説明しづらい。
私自身が、話を理解しきれなかったのもあるし、文章力がないのもあるんだけれど、それを抜きにしても、である。

ただ、じゃあ、面白くなかったかと言えば決してそんなことはない。
まぁ、面白いとか、面白くないとか、楽しいとか、楽しくないとか、そういう次元とも少し違うんだけれど、間違いなく、自分の内面には食い込んできていた。

観劇中、自分でも驚いたんだけど、腕がしびれていて。
なんだ、これ?と思ったら、自分の左手で右手をギューギュー握ってた。
慌てて手を外したけれど、私は自分の手で自分の手を握る癖なんかないから、あぁ、そんなに無意識に心抉られてたか、と。

劇中、覚えてるだけで3回はこれをやってた。
小劇場に通うようになって、こんな事初めてだったから、ちょっとびっくり。

正しい表現ではないのかもしれないけれど、この作品は、起承転結のある類のものではなく、もっと抽象的な、理屈ではなく、感覚で知覚、吸収するようなそういう演劇なのだという気がする。
こういう演劇を私はこれまでに観たことがなかったので、新鮮というか、不思議というか、何とも表現しづらい感覚だった。

でも、良かったし、すごかったな。
開演前に自分の中にあった「卒業公演を拝見しに来た」っていう感覚は、もういつの間にか無くなってた。
卒業公演ではなく、普通に演劇を見せて頂いていた。

演技、美術、音楽、脚本、演出、衣裳、照明、音響、制作などなどなど…
汚い言い方になってしまうのかもしれないけれど、お金を払うに十分値する演劇だった。

機を織る、すなわち幽霊を生み出す作家は開演前から(!)終演までずっと機を織り続け、それに呼応して、色んな幽霊たちのエピソードが紡がれるという、そのスタイルは没入すると、情景がすごく豊かになって、すごく素敵だなと思った。
作家役の方は、めちゃくちゃしんどいだろうなと思うけど。

散文的に展開されるそれぞれのエピソードや幽霊たちが、少しずつ、少しずつ、混じり合って、でも、繋がっていくわけではない、あの感覚も好き。
幽霊たちが、それぞれの思いを一斉にぶちまけるシーンが作中にいくつかあるんだけど、奔流に飲み込まれるような、あの圧力もすごかった。
圧巻って、まさにああいうのを言うんだろうな。

スポットが当たっている幽霊は生き生きしているのに、舞台上のそれ以外の幽霊は、まさに幽霊のごとく、ゆらりゆらりと歩を進める、あの演出も良かった。
生き生きしているといえば、劇中に登場する幽霊は、みんな生き生きとしている。オトウとヤスカタとヤスカタの三者(ややこしい)が会話するシーンは死を語っているにも関わらず、ひどくあっさりしたもので、却って私なんかはグッと来てしまった。

オトウとヤスカタと言えば、忘れてはいけないのが、何といっても、あの吹雪の演出。
私は2列目の席だったので、かなり迫力があって圧倒された。私の後ろの席の人は、大喜びしてたけど(笑)。
ここのシーンは結構、目に焼き付いてるな。

他にも好きだったシーン、演出はたくさん。
雪に見立てたベール、ビデオ親子の会話の繰り返し、でん子の会話、風香の抱擁、幽子・幽太の鬼ごっこ、マーフィーの法則(私がお邪魔した回では本が倒れずに自立してしまうトラブルもあったけど、きれいに落ち着いて切り抜けておられた)などなどなど…

全部のことを書いてしまうと電話帳みたいな厚さになりそうなので、この辺りで留めておくけれど、登場人物が多いだけに、見どころも多かった。

作品のテーマというか、軸になっているものの一つに「隣り合わせ」という概念があるように思うけれど、その辺りの対比のさせ方、描き方、切り取り方が、やさしくもある反面、どこか、シニカルというか、そういう印象もあって、そのバランスも私にとっては心地よかった。

まぁ、でも、ほんと、感性に訴える系の演劇ではあるものの、頭でも色々と考えたくなってしまう。
私は作中で触れられない部分を勝手に想像、妄想したり、登場人物の性格とかを掘り下げたりして楽しむのが好きなので、これから色々と考えつつ余韻に浸って行こうと思います。

終演し、カーテンコール。
役者の皆さんが二列に並び、まず、前列の方が一礼。
そして、今度は後列の方が前に出てきて一礼。
これを観た時に、あぁ、そうか、これは卒業公演だったんだという事をようやく思い出した。

皆さんの表情はそれぞれ。
凛々しく前を向く方、爽やかな笑顔を向ける方、涙ぐむ方…
きっと千秋楽の時は、もっと色々な思いが頭を駆け巡るんだろうな。

終演後のロビーは面会の人でごった返し。
卒業公演だから、もちろん、関係者の方も大勢いらっしゃるし、完全な部外者である私は早々に退散したけれど、雰囲気としては、小劇場のそれとあまり変わらなかったかな。もっと涙、涙かと思ったけれど、爽やかで楽しそうだった。
関係ない私も、何となく嬉しくなる。

さてさて。

配布された当日パンフレットについても、触れておきたいのだけれど、これチケット代とは別に、お金を払っても欲しいくらいの価値ある内容。
これも卒業制作の一環らしいけど、すごいクオリティ。

インタビュー、クロストークがメインの内容になるんだけれど、そこで語られる言葉がすごくリアルで、生き生きしていて、飾りがなくて。
私、全然、多摩美の関係者でもないのに、泣きながら読んでしまった。

純粋に演劇が出来るまでの舞台裏を描いた読み物としても面白かったし、興味深くもあった。照明のくだりは「おぉ!」と感じることがいっぱいだったな。すごい。

改めて、演劇というのは、多くの人たちの努力が重なることで出来上がるものなんだと感じたし、もっともっと敬意と感謝の念をもって、観劇させて頂かなくてはいけないなと思った。

でも、良い学校だなぁ、多摩美って。
生まれ変わったら多摩美に入りたい。
教員と生徒の関係も良好だし、学風にも自由を感じる。
パンフレットから躍動感がにじみ出てるもん。

躍動感と言えば、パンフ内の写真がとにかく素晴らしい。
キャスト&スタッフの写真なんかは、ほんとに生き生きしてる写真ばかりですごく素敵だなと思った。
公式のInstagramもそうなんだけど、場面の切り取り方が、本当に素晴らしい。
すごく大胆な切り取り方をしておられるんだけど、優しくて、繊細で、柔らかい。
人の切り取り方は、躍動感が凄まじいし、鳥肌もの。
この写真も学生さんが撮られたようだけれど、いやー、ほんとにスゴイ。
私も趣味レベルとは言え写真撮りの端くれだけど、あんな風にはとても撮れない。
この駄文をここまで頑張って読んだ方は、こちらのInstagramも是非。

インスタを見ていて思い出したけど、この公演のフライヤー、私、てっきりイラストかと思ってたんだけど、実は写真だったらしい。
パンフに制作動画があるような記載があったので、探したらありました!

ひー!まじかー!!
多摩美、すげーな、マジで。万歳。

やー、でも、パンフ拝読して、インスタとか動画拝見して、率直な感想は、
「今の若い人たちってすごいな」
ということ。

新卒の新入社員とかを見ていても感じることだけど、私が同じくらいの年代の時は、もっとだらしなかったな。
私は、いわゆる「失われた10年」に社会に出た世代(だと思う。バブルはとっくに崩壊してたし)だから、それなりに苦労があった世代だと思うけど、それでも、だらしなかった。

今の若い人たちの方が、よほど考えてるし、勉強してるし、頭が良いと思う。情熱も行動力もすごいって思う。
大丈夫だよ。日本の未来、明るいよ。

そういう人たちが集まって、自分たちだけの力で、創り上げたものを観ることができたのは、本当に幸せなことだなって思う。

ほんと観劇させて頂いて良かったです。
パンフでも触れられていたけれど、卒業公演は学生としての演劇の終わりであると同時に、プロとしての演劇の第一歩。
ほんとに一度きりの公演。
その場に立ち会わせて頂けたことが、とても幸せです。
この日だけでなく、ずっと心の中に残る作品をみせて頂きました。

多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科 第三期生の皆様。
ご卒業おめでとうございます。
演劇の道に進む方も、そうでない方もいらっしゃるかと思いますが、これから先どこかで、皆様の心血が注がれた何かに触れられる事を楽しみにしております。
皆様のこれからが幸せいっぱいでありますように!

素晴らしい舞台を本当にありがとうございました!

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