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わたしはHSP


ふと、悲しく辛い気持ちが蘇ってくる。

学生時代や以前の勤務先でのこと、
大体が他人とうまくいかないのである。

わたしは攻撃されやすいし、
悪意を向けられても反撃できない。

いや、同じ土俵に立って悪意で返すのは、
自分の中の正義に反するからしたくない。

理想的なのは悪意には動じず、参加せず、
自然な状態でその場に存在できること。

だけど、うまく立ち回りが出来ず、
その言動の一つ一つに、
グサッと刺されてえぐられて・・

他人には些細な攻撃でも、
わたしにとっては、重症レベルのトラウマ。

だから自宅に帰っても、
明日になっても、悲しみが消えない。

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こうやって消えない思い出が増えていくと、
ふっと何かの瞬間に湧き上がってくるのだ。

攻撃してきた人に
似た芸能人をテレビで見たとき、

その時言われた
印象的なワードを目にしたとき、

ひっそり心の隅に寝ていた
思い出の引き出しに、するっと引っかかる。

するとまたぐっと心が熱くなり、
当時と同じ鮮度で悲しみが込みあげてくる。

とても繊細で生きにくい、
わたしはHSPなのだとつい最近知った。

そしてHSPだと気が付いてからは、

HSPのわたしにとって、
受けてしまった悲しみや痛みとは、
共に生きる同志のようなもの。

そんな風に過去の思いを、
受け入れたいと思うようになったのだ。

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すると、ふいに悲しみの
引き出しが開いたとしても、

当時のわたしを今のわたしが抱きしめ、

「悲しいねつらいよね、一人で頑張らせてごめんね」

「今まで気が付かなくてごめんね、もう大丈夫だよ」

と慰め背中をさすって
あげているイメージが浮かび、

その年代を必死に生きた
彼女達(過去のわたし)に対し、

「私を共に生きてくれてありがとう」

という感情が生まれた。
そして最後は、

「今のわたしはあなた達を裏切らない」

「これからは沢山喜びを感じようね」

「一緒に幸せになろうね」

という勇気や希望が
湧いてくるようになったのだ。

自分自身よくわからない感覚だけど、
(わたしを生きている人が年代ごとに存在する感じ)

もう繰り返す悲しみに
飲まれない自分がいる安心感。

一人で生きてきたわけでは
ない仲間がいるような心強さ。

今までより一歩、
生きやすくなったような気がして。

たくさん失敗したけど、
いや今後もするだろうけど、

わたしを諦めなくて
良かったと心から思った。

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これからは、
自分に似合う人生を生きていきたい。

そう思えば思うほど、色々な表現方法を
試してみたくなりこのブログを始めてみた。

HSPまたINFPであるわたしが日々考えている
色々を書いていくので、どうぞよろしく。

またね。

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