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振り返れば花道

2022年3月に東京大学を卒業し、学生生活に区切りをつけた。

人生はこれからも途切れなく続いていくけれど、間違いなく節目であるこのタイミングで、
この四年間考えていたことや過ごした時間のことを忘れないために、あえて長ったらしく振り返ってみようと思う。

生まれ変わりたくて

大学に入る前の一年間は予備校で過ごした。「東大に入るのが当然」という中高での環境から一転、がむしゃらに同期を後追いする立場になった。

一年間の浪人生活を終えて、東大生になる権利と少しの自信を手に入れた。期待と同時に、何か新しいことを始めなければという焦りがあった。そこで、なるべく元の知り合いが少ない環境で、なるべく新しいことを始めてみようと決めた。

高校同期が上クラにいないから、という理由で選んだイタリア語クラス。根の真面目さと適当さを併せ持った面白いメンバーに恵まれた。中1からの同期。予備校が同じだったけど合格して初めて話した人。札幌出身のB'z好き。
特に覚えているのは、オリ合宿で苗字が似たやつと同じ班になって、観光そっちのけでフォントやデザインの話をしていたこと。そいつは大学生活と自分の人生を語るうえで欠かせない存在になった。

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塾講師のバイトを始めようと思って研修に行ったけど、別に教えることも子供も好きじゃなかった。くたくたになって駒場図書館で模擬授業の準備をしているときに、時給で仕事を選んでいる自分に気づいた。せっかくなら自分がやりたいことをやろう。そう思って研修の途中でバイトを辞めた。帰りに飲んだベンティサイズの抹茶フラペチーノは、覚悟の味がしたかもしれない。

環境が変わることもあり、高校の文化祭で興味を持ったデザインを始めてみようと思った。クラスメイトに誘われてノリでデザインインターンを始めてみたら、すごく楽しかった。週4で出社して中本のカップ麺を食べたり、夕飯じゃんけんをしたり、徹夜して仕事してみたりした。
でも、楽しいだけ。メンターがいない環境だったこともあり、成長するきっかけも努力も圧倒的に足りなかった。自分の少ないスキルを切り売りしているような感覚。焦っていた。

そんなときオリ合宿でデザインの話をしたやつ(仮に「ナツオ」とする)から誘われて入ったデザインサークル - dp9に、ふと顔を出してみた。UIを触ってみよう、という勉強会。すごくニコニコした、インターフェースと高速道路が好きなやつ(仮に「バン」とする)の話が面白かった。今度BBQをやるというので行ってみたら、よくわからないけど全てのクオリティが高かった。俺はいったんここでデザインを勉強した方がいいかもと思って、インターンからはフェードアウトしていった。

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数少ない中高から続けていたこととして、演劇がある。演劇の人口の多くは女性が占めているのに、中高は男子校で不完全燃焼感があった。中高からの先輩が所属していた演劇サークル、劇工舎プリズムに入った。プリズムはお茶大とのインカレで、自分の好きなものがしっかりとある人が多くて居心地が良かったし、演劇に真摯な先輩たちに憧れた。

色々な活動に関わりながら、浪人の反動もあって楽しく遊んでいた。クラスメイトの家にたむろしたり、五月祭やBBQなどのイベントを楽しんだり。今考えると普通の大学生くらいの遊び方だけど、当時は新鮮ですごく楽しかった。

経済の授業で「フィリピンのスラムにホームステイする」という"ヤバい"課外活動があると知り、8月の後半2週間でフィリピンに滞在した。文系という共通点こそあれど、バックグラウンドや考え方の異なるメンバーと旅をできたことが何よりの財産だと思う。マニラの格差やスラムにW i-Fiが通っていたことには驚いたし面白いと思ったが、人生をかけて取り組みたい課題だとは思えなかった。

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帰国した日の夜、ナツオと2時間くらい電話した。
遊び飽きた、と率直に伝えた。
一緒にプロダクトを作ってみないか、と誘われた。

やっぱり、生まれ変わってみたかったんだと思う。

キャリアチェンジ

ナツオやバンと始めたプロダクトづくりは、dp9の1プロジェクトとして始まった。何もわからない中で「リーン・スタートアップ」や馬田さんのスライドを読み込んだりした。文字情報だけでは理解が難しいコンテンツを読むうち、インフォグラフィックを使って図解するメディアを作ってみよう、という話に落ち着いた。自分は主にデザインを担当しつつ、コンセプト作りに関わった。

せっかくなら本気でやりたい、と思い、9月は1ヶ月間週6日以上プロジェクトにあてた。日々ころころ変わるコンセプト。菱田屋でピープルマネジメントが足りない、とナツオを詰めた昼下がり。ベータ版リリース2日前のデザイン総とっかえ。どれも今となっては恥ずかしく懐かしい記憶の一つだ。あれほど本気で集中して取り組めたことは数少ないと思う。

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UXに興味があって、Goodpatchの1dayサマーインターンに行ってみた。インタビューからユーザのインサイトを見つけ、プロトタイプに落とし込む。インターンがとても濃密で面白かった分、その後の懇親会では孤独だった。周りはほとんど早慶か美大・芸大ばかり。しかも全員3年生以上で、1年生は自分だけ。必死にポートフォリオをアピールする参加者を、一人ソフドリを飲みながら眺めていた。自分はデザイナーにはならないのかもな、と思った。

しばらくdp9で修行を積む予定だったが、ひょんなきっかけでウォンテッドリーというベンチャーでデザインインターンをできることになった。週2回・1日8時間、授業の合間を縫って会社に通った。必死に頑張ったつもりだったが、周囲のシニアデザイナーと比べて圧倒的にスキルが足りないことを実感した。情報を整理することはできても、その先のグラフィックデザインの引き出しが本当に少なかった。

自分を採用した人事の人は本当に面倒見が良くて、デザインで戦っていけない自分が新規事業チームに入れるように手を回してくれた。ここから自分のビジネスのキャリアが始まったのだと思う。toBのライセンシングビジネスで、市場や技術のリサーチから始まった。上長には何度も詰められたけれど、うまく仕事を振られたこともあってメキメキと成長していった。数ヶ月経って、気づけばさっきの人事の人が上長になっていて、営業資料の作成や営業戦略の立案・事業計画づくりまで任せてもらえた。毎日貪欲に成長を追い求めていて、今考えるとかなり視野が狭くなっていたような気がする。それくらいには夢中で取り組んでいた。

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新規事業はもちろんのこと、大学2年生の夏までの間は本当に忙しくしていた。dp9の新歓責任者を務めたり、色々な演劇団体でチラシを作ったり、グラフィックデザイン概論という授業のTAを務めたり。やりたいことを全部やる、という勢いで毎日全力で走っていた気がする。

影響

少し遡って、
大学2年生になる少し前に、恋人ができた。

尊重と傾聴が当たり前のように身についていて、それでいて自分の好きなものがしっかりとある人。なんやかんや必死で視野が狭かった自分を相対化するきっかけをくれて、新しい世界を見せ続けてくれた。

子供なんて欲しくないと思っていた自分が今では道端の子どもを見てニコニコしているし、水族館や洋服を好きになったのも恋人がきっかけだ。一緒に過ごす時間が長かったこともあるけれど、大学生活で最も影響を受けた人だと思う。

3年を越えた今では、随分こなれた関係になってきた。これから二人でどんな扉を開いていけるのだろうか。

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孤独を経て

時を戻して、
大学2年の秋頃。

文科二類から経済学部に進んだ。必要な点数が低かったこともあるが、企業で働くうちにビジネスの面白さを実感していたことも理由のひとつ。でも、2年生の経済学部にはいい思い出が一つもない。

経済学に興味を持てず、自分の存在意義がわからない大教室の講義。クラスがほとんど解散した中、1人で講義を受けていた。拷問かと思うくらい多い試験範囲。図書館で1人、自分は経済学部の底辺だなと痛感して苦しくなっていた。

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苦しかったのは大学だけではない。
経済学部の講義が始まることも相まって一年続けたインターンを卒業した後、なかなか環境とフィットせずにインターンを転々とした。自分の所属や存在意義が定まらないのはとても居心地が悪くて、インターン先で社員の人が吸っていたアイコスの匂いがまだ少し苦手だ。

2020年の1月に、縁あってCaSyという会社でインターンを始めた。とてもあたたかくて受容的な人が多い環境で、ここなら居場所を見つけられるかもしれないと思った。

最悪な気持ちで迎えた試験も、取り返しのつかない結果ではなかったこともあり、少し安心した。

「コロナ」という単語を聞くようになった。ビール?その時は何も知らなかった。高校同期と行く予定だったPerfumeのツアーファイナルが当日キャンセルになって、そのまま人がほとんどいない渋谷の沖縄料理屋でため息をついた。

プリズムの同期とつくっていた写真集の撮影で目黒川に行った日に、これからの日々への不安をかき消すように春の陽気に身を委ねた。このまま春がずっと続いて、桜がずっと咲いて、よくわからないウイルスはなくなればいいのに。

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穏やかに

ウイルスはなくならず、新学期に入ってすぐに緊急事態宣言が出た。しばらく恋人と会えなくなった。

それでも授業はオンラインで続いたし、インターンもオンラインに移行したこともあって生活はかなり穏やかだった。正直大教室で聞く興味のない講義よりも、オンラインで直接語りかけられる経営の講義の方がはるかに面白かった。

インターンではカスタマーサクセス組織の業務改善・立て直しを担当した。業務フローを再編し、組織のトップが変わったタイミングで、メンバーの顔つきが変わったのがわかった。自分の意義を強く感じながら活き活きと働くようになったメンバーを見て経営や組織の可能性を感じ、組織論のゼミを選んだ。

コロナで就職が大変になるらしいという噂を聞いて、就活を始めた。ベンチャーでインターンしてたなら余裕だろと高をくくって受けたベンチャーのサマーインターンは、ほとんど落ちた。

一人で戦っていて疲弊してきた頃に、ふと「エンカレッジ」というサービスのことを耳にした。自分に専属の学生メンターがついてくれるらしい。初めて受けた面談で、いかに自分のことを客観視できていなかったかを痛感できた。

メンターとして

2020年の夏は就活以外の記憶がそこまでない。たくさんインターンに行ったわけでもないので、脳のリソースが就活に食われていたんだと思う。

業務改善など仕組みで物事を解決することは性に合っていると感じていて、組織を外側から見つめて課題を解いていくプロセスを面白いと思った。それでもこれまでの経験から、周りの人へのリスペクトや興味の度合いが高い環境を選びたかった。

そんな中、クニエというコンサルティングファームに出会った。演劇の先輩が働かれていたことで知ったが、社会貢献を軸にしつつ、教育に力を入れていて面白いなと感じた。この会社で働いてみたい、と一目惚れした。

就活人生の中で唯一経験したクニエのオフラインインターンでは、久しぶりに強烈な悔しさを味わった。2日目の夕方にアウトプットが的外れだと指摘され、最終的にスライドは誤植だらけで提出した。メンターの方からはとても良いアウトプットだと評価を受けたが、自分はリーダーだというのに本当に不甲斐なかった。

本選考が軌道に乗ってきた頃、エンカレッジでお世話になっていたメンターから「メンターをやってみないか」と声をかけられた。いつか恩返しがしたかったし、組織に携わる以上最初から最後まで見られた方が良い経験になるという思いで、22卒のメンターとしてはかなり初期のうちにメンターになった。

大学生活で経験した中で、エンカレッジ東大支部は最高のコミュニティの一つだと思っている。全員が当たり前に他者貢献のマインドセットを持ち、フラットに意見を交わせる環境。そこには学部生も院生もコンサルも官庁も存在しない。ただただ未来の就活生のために、本気で取り組む多くの仲間ができた。

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一番本気になったのは、同期メンターのオンボーディングを自分も含め3人のチームで改善し、回しきったこと。お互いに妥協なく議論を交わして課題に向かって日々を越えて、強烈な信頼ができた。

エンカレッジでは自分の弱さとも向き合った。自分の中で意義を醸成しきれないことへの実行力の低さ。計画性のなさ。リーダーシップを発揮できていないことと、それを自覚していなかったこと。就活では見ないようにしていた自分の「不完全な部分」が直接悪影響を及ぼしていることに、辛さを感じた。

新卒0年目

就活が落ち着いてから、組織課題を企業の一員としてみてみたいと思うようになった。2021年4月から1年間、急成長中のベンチャーであるBASEの採用チームでインターンをはじめた。

CMも打っていて、コロナ禍で爆伸びしているイケイケなベンチャーの一員。

そんな他者任せの自意識は、ものの数日でへし折られた。目の前のことを全力でやるバイタリティが不足しており、頭でっかちになっていた。リモートが多かったこともあり、会社への理解も、メンバーへの理解も、課題の解像度も、やることの手数も不足していた。

何をやってもマネージャーからなかなか認められない状況が11月くらいまで続いて、達成感を感じられなかった。居場所がない感覚から本当に限界になって、社内広報の担当に移った。社内広報はとても面白かった。毎週社内報のコンテンツを考えて編集するうち、だんだん組織のメンバーのことがわかるようになってきて、自分の存在も知られるようになっていった。インターンだから…できないから…という遠慮なんて全く求められていないんだと気づいた。

別の部署にお兄さん的な存在ができた。ひょんなきっかけから仲良くなって、多い時は週1くらいでランチに出ていたように思う。組織や会社の課題について議論できる人ができて本当に嬉しかった。

先日3/29の最終出社日、ありがたいことに自分が想定していた何倍もあたたかく送り出してもらった。手探りの中1年かけて学んだのは、「目の前のことを全力で取り組む="やっていく"」ことの重要さ。新卒0年目のような経験をさせてもらえた。

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花道を歩かせてもらっている自覚

いまの自分があるのはこれまで関わってくれたすべての人のおかげだ、と自信を持って言うことができる。

自分の人生の主役は自分だけれど、横で花道を作ってくれているたくさんの人がいる。そんな人々のことをすごく大切に思っているし、自分も誰かの人生の花道のサイドを飾れるようになりたいと思っている。

花道といいつつ、その場その場では茨のように見えることもあるかもしれない。でも今回のように振り返って、それが美しい花の一部だったということができるように、強く前に進んで行きたいと思う。

これまでお世話になった方々、素敵な日々を本当にありがとう。あなた方一人一人のおかげで今の自分がいます。特に両親・姉・恋人には心からの尊敬と感謝を。

明日からは社会人として、人生の主役として、前を向いて生きていく。

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