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コロナ禍で妊娠と義父の急死

長年の夢 妊娠検査薬の「陽性」でも、40を過ぎたこの体
ぬか喜びは禁物だと肝に銘じ、病院で検査をしてもらうまでは
誰にも言わないことにしました。

これ、今でも後悔しています。

初めて婦人科ではなく産科へ行く。

妊娠検査薬が陽性になったので、産婦人科の予約を入れました。

行ったのは次の日。

それまでにもう1度検査薬でチェック。

やっぱり陽性。

産婦人科は仕事で関わっていたこともあり

引っ越してから夢もあってすぐにチェックしていたので

大きめで、サービスも良く、家から近くて、駐車場もある。

そんなところに行きました。

産婦人科を選ぶコツは....実は詳しいので

あとでまとめようかな....

夫に送ってもらいましたが

案の定中には入れず。

初めてのご懐妊の喜びを一緒に味わえないのか

と寂しくなりましたが、仕方あるまい。

この時、

「もしかして、分娩も入院も1人なのかな」

と思いました。

産婦人科で、婦人科もあり

最初は婦人科の待合室に通されました。

まだ妊婦として認めません。

ということなのでしょう。

わかります。

40過ぎてますから

ぬか喜びはいけませんよね。


初診

お小水をコップに入れて提出をし

すぐに呼ばれて診察室へ

妊娠判定に来たことを告げるとすぐに

あの診察台に乗ることになり

経膣超音波で内診。

やっぱり嫌ですね。内診って

「妊婦になると、こういうことも平気になるのかな?」

と思いました。

でも 正常な妊娠か。子宮外妊娠なのではないか。

早く知りたかった。

画面を見ても、お腹に何もないことがわかります。

グリグリされながら先生に

「検査薬で陽性出た?」と

被せ気味に

「出ました!昨日の朝と午後、二回出ました」

その言葉で抜こうとしていた経膣超音波が戻ってきた。

またグリグリ グリグリ

「あった」

小さな○がありました。

「あぁ....あるね これ胎嚢(たいのう)

 赤ちゃんが入る袋ができているね」

ふくろ....

まだ袋 中身がない。

子宮外妊娠ではないことを教えてもらったけれど

この中で心臓が動く

つまり心拍の確認ができてはじめて

妊娠した。

と言えるのだそうです。

「また2週間後に来てください。」

と言われて終わりました。

喜んでいいのか悪いのか。

でも、この段階で終わるかもしれない。

その怖さが大きかった。


体温計に支配される

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夫に説明しながら帰宅。

夫はその時から家事を色々してくれました。

きっと、私の目が血走っていたのだと思います。

だって......

授かりそうな命をどう守ろうか。

不安で不安で

体が固まって動かない。

とりあえず

寒くなく。

高いところに手をのばなさい。

重いものを持たない。

横になる。

そして、スマホで色んな情報を収集

3つくらい妊婦用のアプリをDL

ツイッターをマタ垢に変更

ただし自分でも狂っていたと思うけれど

1日に何十回も検温をしました。

ちょっとでも体温が下がっていると

「もうダメだ.....」と泣き

じっとして。

また検温して上がっているとホッとする。

そんなことの繰り返し。

夫が

「そんなに測ってもしょうがないでしょ」

と言ってきて激怒

体温が下がったら、生理が来てしまう。

体温が下がった時に何かすれば大丈夫かもしれない

あなたは何もわかっていない。

心配じゃないの?

バック、枕元、テーブルに婦人体温計を置いていました。

妊活中に集まってしまった婦人体温計が

こんな風に役立つとは.....


母への報告と義父との最期のライン

不安で不安でたまらず

心拍が確認できないのに

母には報告をすることにしました。

何を気をつければ良いのか

同じ体質なので分かるかな?と

私の実家は父が他界しているので母のみ

夫の実家は両親ともに健在です。

本当は、ずっと心配してくれていた

義父にも報告をしたかったけれど

ぬか喜びをさせては申し訳ない。と

心拍の確認後に連絡をすることに。

義父はその頃、北海道のコロナをとても心配していて

夫がサッカーに行くことをとても怒っていました。

週明けにまた病院へという日。

リモートワークをしていた夫と近くの焼肉屋へランチをしに行きました。

その時

焼肉をよくご馳走してくれる義父にラインを送ろうかな。

夫と美味しく焼肉してるよ。ってラインしようかな

そう思ったけれど

外食していると知ったら怒る。

そう思って遠慮しました。

でも、赤ちゃんが育つようにの景気付けでもあって

でもでもやっぱり心拍が確認されてから。

そう思いました。

義父から夫はまだサッカーに行っているのか?と

確認ラインがあり、行っていると返すと

やっぱり怒っていて

「あいつを絞めてくれ」とふざけつつも

心配している様子がよく分かって

相変わらずふざけつつラインのやりとりを楽しみました。

夫は男だけの2人兄弟ですが

夫兄弟よりも、兄の嫁よりも

私が1番お義父さんとやりとりしていたと思います。

ノリが合うというか

ウエルカムな人を楽しませるのが好きな人で

お義父さんがいるから

私は月1で1人義実家へ帰省していたこともありました。

その時は義理のお姉さんも子連れで会いにきてくれて

楽しかったけれど、お兄さん夫妻の仲が危なくなて来たのを機に

私も行きづらくなっていたのでした。


オンライン講座中のライン

東京に行かずに講座が受けられる喜び。

週明けに私はオンライン講座を受けていました。

その時、隣の部屋でリモートワークをしている夫から

「それ、何時に終わるの?」とラインが来て

「14時までだよ」と返事

夫は17:30まで仕事なのに何か用があるのかな?

どこかに電話したりしている様子。

午後休にでもしていてどこか行きたいのかな?

そう思いました。

次に夫が部屋から出て来て急に皿洗いをはじめました。

ZOOMで受講していたので

皿洗いの音が入らないかヒヤヒヤ

何急に?と思いました。

やっぱりどこか行きたいのかな??

セミナーが終わり。

台所を綺麗にしている夫に近づいて

ありがとうを伝え

何かあったの?と聞いてみました。


夫に告げられたこと

私は半分ふざけていたので

夫が真顔で

「話してもいい?」

と言って来た時

いやだ。

と返しました。

いいことを言われない気がしたのです。

「きいて。落ち着いてきいて。」

固まって夫の両腕を掴んでいました。

「父さんが、死んだ。」



何が起きたか分からない。

うそだ。 どうして。

そう言いながら夫にしがみついて

夫はその時、一瞬声をあげて泣きました。

私はずっと泣きました。

「とりあえず夕方の飛行機で茨城空港に行こう

 チケットとったから。体は大丈夫かな?」

実家は成田空港の傍なのにどうして茨城空港?

と思いつつ

何を持っていけば良いの?と

思い当たるものを全てスーツケースに詰めました。

マスクも多めに持ちました。

ぐっちゃぐちゃのまま。

家を出るまで1時間なかったので、、、、

途中私の実家の母に電話

宮城から来てもらわなくてはいけないかもしれないし

話しているうちに

悔しくて 悔しくて 嗚咽。

「お義父さんに、妊娠言えなかった」

と泣いてしまい。その顔のまま

タクシーを拾って駅へ

タクシーの運転手さん、いちいち止まるし

全然進まなくて。

夫は駅の手前の信号で降り切符を買いに走ることに。

私は駅で降りでキャリーを引きながら駅を小走り。

すごく腹が立ちました。

急いでいるのに、のんびりな運転手。

行けるだろ!っていう黄色になる前で

スピードを落として止まる運転手。

夫と合流してホームに着くと

結局思っていた電車を一本見送ることに

そこでもまた泣きました。

周りの人

一本逃したくらいで泣くなよ。って

思っただろうな....。

電車の中でやっと色々と聞きました。

義父は仕事中に倒れて運ばれたこと。

心臓が原因で亡くなったこと。

夫に連絡が来た時はもう亡くなっていたこと。

会社に休んで帰省すると伝えたところ

成田空港は使わないように指示されたこと。

だから、我々は1日1便の飛行機で茨城空港に行き

そこからレンタカーで実家に向かうこと。

1便が夕方でよかった。

これを逃したら、明日の夜にしか着かなかったんだね。

義母も同様していて状況はそれくらいしか分からないけれど

疎遠になっていた兄が一緒にいてくれていることも聞いて

安心しました。

茨城空港から実家まで夫も疲れているだろうから

交代で運転しようね。なんて言いつつつ。

夫の手をずっと握っていました。


義実家到着

飛行機は意外にも混んでいました。

成田空港を使わない人が多かったのかも知れません。

レンタカーを受け取り

知らない道を走り出しました。

途中でおにぎりと飲み物を購入。

思い出話をしている間に

運転を変わることなく着いた感じです。

見慣れた義実家が

とても暗く見えました。

見慣れない弔事の装い。

いつも私たちが泊まっている部屋に

義父が寝せられていました。

立派なお布団に寝ているように見えるけど

お線香がついていて

亡くなっているというのです。

もう動かないし、話さないし、起きないというのです。

信じられません。

まだ届くかも知れない。聞こえるかも知れない。

私は大きな声で帰ってきたことと

「赤ちゃんができたんだよ」

って伝えました。

それを聞いた義母が

「うそ.....」と泣きました。

夫も泣いたり、泣き止んだり

「信じられない」と言っていました。

義父の隣に布団を敷いて

私たち夫婦は一緒に眠ることにしました。

私の家だと

一晩お線香を絶やさないのですが

義母が私をきづかったのか

「寝過ごしたり、火事になっても嫌だから」と

お線香はつけないと言い出し

それに従うことに。

その代わりではないけれど、一緒に寝ましょうと

なりました。

普通ならお通夜や、告別式や...となるでしょうけれど

コロナ禍に亡くなるとうことは

体験したことのない過程を進むことになるのでした。


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