もがく絶滅危惧種
ここ100年もしないうちに地球上の動植物の絶滅した種の数が...ものすごい..。
正確な数字を記憶するより、その圧倒的な絶滅した種の数を見て衝撃的で辛かったのを記憶している
『人間』の影響で。
人をテーマに制作しているので、人とは自分とはなんぞやと考えることがたぶん多い。
人に絶望して、人に助けられ、なんなんだろう...と答えは見つからない。
絶滅種の話で人なんか居なくなれば...と思うが私もまた、人なんだよね、たぶん
ちょっとSFですが人は地球の外の異物で、ここに居てもいいか?ずっと試されてると思っている。
なんて、話が飛びましたがnoteのサークルでお世話になっている会のオンライン会話?(もう、これ以上言葉が出ない!)の日で私も招待して頂き、入室するもののある地点からずっとフリーズして、皆さんの会話(音声はついに設定できず)をただただ眺めていた。
タイムラインを見ていくと主催者の方、皆さんがこうしたらできるよ、解決するよと、親切丁寧に教えてくれている。
。。。ずっと見てた。
考えてないんですね。止まっちゃっています。頭、頭脳と心。
『無』ですね無。
何かこう...自分を責めてイライラするわけでもない。焦るわけでもない。
静かな感じ。
そんな時に『生き残るのは変化に対応するか、しないかが分かれ道である』という言葉が無の静寂を破った。
『生き残れるのか...私っ!』と心がざわついた。
(ここ近代の人類の行ってきた自分勝手な行為は、絶滅してしまった種族に対して『変化に対応云々』は当てはまらない。近代は完全に他の種を滅しに行ってるから...。)
たぶん『人』であろう私だが、これは違う種じゃないだろうか?と思うことがよくある。
私は本当に感覚先行で経済的スキル?や現代のテクノロジーの(こういう表現の仕方がすでに痛い)スキルがたぶん無い『無』。
無いじゃ済まないよ、どうやって生きてきたんだい?
家族や大事な人をどうやって守るの?
本当家族、皆に生かしてもらってきました..ありがとう。
私は現代では『絶滅危惧種』であろう...という話だったのですが、書いていくうちに『いやいや、それは現代ではだろ?生きているのに現代も太古のある意味一緒だ。関係ない!』と意味不明の力が湧いてきた。
ピコピコまた挑戦するぞ!(表現が痛い)
*写真 2014年『2時まで』
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