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【ネタバレ有】TVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』全12話視聴したらジョン・ケージだった話


この記事はTVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』全12話のネタバレをふんだんに含みます。
それはもう、バラします。

いいよーって人だけスクロールしてください。


























めくったな??

ネタバレの魔人




じゃ、ネタバレするね〜。







はい、おいぶと申します。

私事で大変恐縮ですが、この度ついにdアニメストアに加入しました。
観たかったアニメ、全解禁されてエグい。

まず手をつけたのが、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』。
ちょっと前に友人からおすすめされて気になってました。


土日でまとめ視聴したんですが、これがかなりよかった、かつ考えまとめなきゃどうしようもない感じだったので、アウトプットさせてください。後生ですから。



あらすじ:



幕が上がっちゃってるっぽい。

9人の少女が、トップの座をかけ舞台上でしばき合う!!
……みたいな話なんですが、それだけじゃ本質じゃ感じするね。

なんて言うかもうね、めちゃくちゃ「歌劇」なんですよ!!
や、何当たり前なこと言ってんだって顔、やめて。

言うなれば、「歌劇」をテーマにした「歌劇」って感じ。

そもそもテーマが「歌劇」なので、めっちゃややこしいんですけど、このアニメ自体が「歌劇」だなって感じ。伝わる?


象徴的なのが、バトルシーン。
アニメならではの激しい戦闘シーンがあるんですけど、その最中、女の子たちがめちゃくちゃ歌うんですよ。
バトルと歌がリンクしてる。

これって、めちゃくちゃ「歌劇」じゃない??

そもそもこの作品めちゃくちゃファンタジーで、学校の地下にいきなりデカいステージが現れてオーディションが始まったり、キリン喋ったりするんですけど、その辺りの説明が一切ないんです。だから1話〜2話ぐらいの段階だと「何を見とる…?」って思う瞬間もあるんですけど、観ていくごとにそれが「歌劇」としての表現なんだということがわかってくるんです。

「『歌劇』でトップを目指して切磋琢磨する少女たちを、このように表現してみました」を、「歌劇」で表現してる。

だからこそ、教師や警察官に至るまで、登場人物が逐一「女性」なんですよね。徹底してる。
(じゃあキリンはどうなの?って思いますよね、わかります。ここについては後で喋るからちょっと待ってくれ。)

それゆえ一見難解な表現だったり、説明不足なところがあるように見えるんですが、それがクセになってくるんですよね。
考えながら観るのが気持ちいい。
オタクって結局、考察厨なので。
マジで全員そうらしい。





と、いう前提のもと、筆者が惚れた演出や表現について語っていこうと思います。


※今更ですが、この記事は備忘録としての目的もあるので多分長いです。ごめんね。



①キャラがいい!!ストーリーがいい!!オタクオタクオタク!!


もうさ、これはそうじゃんね。
あんまり多くは語らんけども。だってみんなもそうでしょ?
超可愛かったし、かっこよかったもん。
どこが、とかじゃないよ。


そんな中で個人的に特筆したいのは、「難しくない」ところです。

冒頭でも触れたように、この作品自体に難解な構造が用いられてるんですが、その分キャラクターや物語の理解に時間を割かなくてもいいような作りになっていると思いました。

キャラクターの前提的な個性が、絵で見てわかりやすい。双葉と香子とかさ。(へへ、すいやせん、好きです、この2人。)

歌に乗せて心情を表現することで、本音ではこんなこと思ってたんだなってわかるんですけど、それには前提的な個性がわかってないと感動も半減しちゃうじゃないですか。
そこのストレスが本当にない。皆無。

ストーリー自体も「歌劇で1番になりたい!」というすごくシンプルな作りになっているので、複雑な表現を重ねても見失わずに済んでるなと思いました。
めっちゃ工夫されて作られてるんだなと。

すごいです、この作品。



②バナナ←まどマギ乙


もうさ、大好きです。バナナ。
作品の流れが大きく変わった。
こういうおっとりした感じの子が裏ボスなの好き好き大好き。(好きな裏ボス発表ドラゴン)

第7話(これも「なな」と掛けてそうでヤバい、それくらい平気でやってくる作品だもん)にて、バナナこと大場ななさんがオーディションに何度も優勝して1年間を繰り返し続けていたことがわかります。(流石にまどマギすぎる。暁美ほむらです、この女。)

しかしながらこの人、物語の構造を語る上で重要すぎるということに気づいたので、ちょっと語っていいですか。


詳しい説明は面倒くさいので知らない人は観てほしいんですけど、バナナは「99回の聖翔祭」が忘れられず、何度も繰り返してる(本当はもっとちゃんと心理描写あります)んですよ。しかし、神楽ひかりの登場でこのループが崩れて新展開に突入します、と、ざっくりそんな感じで物語が進行します。

つまりこのオーディションという劇場は、バナナというフィクサーによって、「閉じられていた」わけですね。

しかし、バナナが華恋との戦いに敗れ、ようやく物語が進行することになりました。
ついでにエンディングも2番にいくことになりました。(←激アチチ)

これね、めっっっちゃ劇場論っス。
いきなしインテリぶってごめんけど。

え〜、これについては長くなりそうなので、章わけします。




③劇場構造の破壊と「キリン」の視点


え?何?急に論文始まったんだけど。
……はい、すみません、ちょっと小難しい話させてください。


えー、皆さん、ジョン・ケージの『4分33秒』はご存じでしょうか。

ピアノの楽曲でありながら楽譜に指定されているのは時間のみで音を出す指示がないという一見ふざけた曲で、ネタにされることもしばしばですが、ジョンは何もふざけていたわけじゃないんです。

この曲の1番重要な意図は「劇場の構造を破壊すること」。
枠をなくしちゃうことなんです。

元来、劇場とはステージの中だけで完結する崇高な作品だと考えられていました。
観客とはあくまでその崇高な作品を視聴する枠外の存在であり、作品に触れることは禁忌であると。

しかし、ジョンはそうした考えに一石投じました。

沈黙とは「無音」ではなく、観客の反応や声、空気の音、外の風といった「音」が常に聞こえている。
その全てが1つの作品であり、音楽である。
「劇場」という空間そのものが音楽であり、作品である。
……そうした考えのもと生まれたのが、『4分33秒』という作品なのです。

※学生時代に習った話なので、間違えてたらごめんなさい。


急に何を語り出しとるんコイツと思われるかもしれませんが、実はこれこそ、『レヴュースタァライト』というアニメ作品がやりたかったことなんじゃないかなと、筆者は考えています。

ジョンの『4分33秒』は、音楽と非音楽の境をなくしてしまいました。「劇場」という枠の中にのみ作品が存在するという固定観念を撤廃してしまったんです。

作品があるから観客がいる、のではなく、観客はすでに作品の一部である、と。


……これ、キリンの主張と一致しませんか?


作品中で、キリンは自身を「観客」と名乗りました(多分最終話あたり)。
観客が望むから作品は生まれるし、物語は進む。それこそが「歌劇」であるとか何とか、そのようなことを言っていました。

これ、めちゃくちゃジョン・ケージです。

つまりキリンとは我々視聴者の視点を代弁する存在であり、それゆえに高いところから俯瞰する動物のモチーフが用いられたんだと思います(元ネタとかあったら知らんけど)。


もっと言いましょう。
キリン、「俺たち」です。

「俺たち」が望むから物語は進んだし、「俺たち」が望むから華恋は勝ったのかもしれません。
それを常に代弁し、「わかります」し続けてきた存在がキリンである。それが筆者の考察です。


キリンを通じて我々を物語に代入し、アニメという枠を取り払う。
『レヴュースタァライト』がやろうとしたのは、そういう提示なんじゃないでしょうか。



さらにさらに言うと、キリン=「作者」説も考えられるんじゃないかな、と思います。

最終話付近で、キリンが急にこっちを向きながら視聴者に語りかけてくるのですが、あれ、美術作品によく見られる「作者」の表現※に近いなと思いました。

※ラファエロの『アテナイの学堂』とかが有名。調べてみて。

私自身「作者が1番の観客である」という持論を提唱しているのですが、キリンが「作者」の視点を持つとすれば、「俺たち」観客の視点を持ちながら、同時に神としての視点も持つことになります。

これだけ言えばすごく難しい話ですが、つまり『レヴュースタァライト』とは、「俺たち」がみたい作品を神によって代弁した作品であると。
そんな感じのことが言えるんじゃないでしょうか。




ほんでめっちゃ長くなりましたが、ここでバナナの話を振り返りましょう。

バナナは同じ1年間を何度も繰り返しました。
台本を用意し、決まった結果にするべく何度も何度もループしました。
この「閉塞空間」、まさに前時代の「劇場構造」なんですよね。

作品上裏ボスとして君臨したバナナですが、彼女自身を倒して物語を進めることこそが、そっくりそのまま前時代へのアンチテーゼとなっているわけです。
非常に巧妙な表現。すごい。本当に。


まとめ

いや、なんか後半めちゃくちゃ難しい話になりましたが、つまりはこの作品、めっちゃいいよねという結論になります。

「歌劇」という表現を借りて、アニメにおける枠をぶっ壊そうという意思がひしひしと伝わる、非常に前衛的な作品でした。
(「前衛的」って、「よくわからん」って意味じゃないぞ!)

一周観ただけなのでまだまだ見逃してる表現がありそう。二周、三周してますます面白いタイプの作品だと思うので、また観ようと思います。

P.S.劇場版まだ観てないけど楽しみすぐる。


筆者:おいぶ

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