文章が書けなくなったことと、書けるようになったこと

 人生とは日々変化と成長に満ちている。だが、それはあまりに遅く、目を凝らしても気付くことは出来ない。
 朝から晩までタケノコを眺めたとして1㎝の成長に気が付く人間はいるだろうか。自分の身長が0.1mm伸びたことに気付く小学生は居るだろうか。いないだろう。低速の変化に人間の知覚は弱い。

 気が付けば私は文章を書くのが好きになっていた。自分の綴る言葉がどうも馬鹿馬鹿しく滑稽で、読み返すだけでも少し楽しい気分になれたのである。いつのまにか、気付いたころにはそうなっていた。
 そして気付けば文章を書けなくなっていた。読み返しても面白いと思えない、書いていても同様に。

 執筆能力に定規でも当てて毎日記録を取っておけば調子の上下や影響を与える出来事などが分かったのかもしれない。しかし日記が3日で終了する人間にとってそんなもの地に足つかぬ理想論でしかないのだ。うつ病になるのもこんな感じで、気付いた時にはもう遅いのだろう。
 花は蕾から生じ、蕾は枝から、枝は芽から生ず。ノイローゼの芽を見逃すような感性では花が咲くまで気付くまい。

 不調の花盛り、雑草に支配された水田を見て農家が死にそうな目をするように、私も絶賛死んだ目をしている。
 否、していた。それは既に過去の話だ。

 現に今こうやって再び駄文を書いている。
 性懲りもなく。
 飽きもせず。
 全裸で。
 酒を飲みながら。

 バッカスという神が居る。ローマ神話に語られる酒の神だ。
 グイド・レーニが描いたバッカスの絵画が有名だろう。ツイッターに入り浸っている人間ならほぼ確実に好きであろう素晴らしい絵だ。

 だから何だ。
 この絵に描かれるバッカスは全裸だ。

 そう、全裸で飲酒する神の絵なのだ。
 酒に全裸は付き物なのである。かつて国民的アイドルが酔って約10mの距離を前転で移動したように、古の神が樽に肘をつき全裸飲酒をキメたように。私は今全裸でウィスキーを飲みながらキーボードを叩いている。
 
 バッカス、ああバッカス。
 名前がいいよね、バッカス。酒を飲んで馬鹿になっている感じがすごい。

 ちなみにバッカスに敬意を表して行われる祭典にバッカナールというものがある。日本語を意識しているとしか思えない。そこから転じてイタリア語ではバカ騒ぎのことをバッカーノというらしい。かの有名なアニメのタイトルにもなっている。

 鬱屈した日常を打破するために必要なのは馬鹿とバッカスである、それが私の導き出した結論だ。マトモな感性を持った社会人であれば決してしないであろう全裸飲酒カミングアウト文章の全裸飲酒執筆。こんなもの楽しくないわけがない。

 引き籠っている人は裸踊りで引きずり出せ。古事記にもそう書いている。
 ちなみに古事記の記述ではアマテラスが岩戸に引き籠っている間、世界から太陽が失われて邪神が跋扈するヤベェ状態だったらしい。そんな状態で一計を案じ宴会をブチ挙げたオモイカネノミコトは知恵の神として祀られている。

 しかし人間は神ほど強くないし一人ぼっちである。無理をして楽しそうに振る舞うのは逆効果だ。一旦悩み事を忘れて、気にならなくなったあたりで全裸になるとよい。カウンセリングの理論という本にもそんな感じのことが書いてあった気がする。
 
 まあ、今回全裸になったのは単純に風呂上りが暑すぎて服を着るのが嫌だったからである。結果的にこうやって阿保みたいな文章を書けたので良しとする。
 問題があるとするならば、全裸で酒を飲んだ時だけ趣味に打ち込めるという最悪なジンクスを抱えたということだろう。

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