『北斎づくし』展に行き、北斎の生涯を知りたくなる。-デビュー直後まで-
昨日に引き続き、今日も六本木東京ミッドタウンで開催されている『北斎づくし』の展示で見た作品について、復習をしていこうかと思います!
とはいえ、私は絵師の生涯について何も知らないなと実感いたしました。。
どんな人生を送ってどんなものから影響を受けて、どんな人間関係で生きていたのかを知るとより絵を見るときに感じることが増えてくるのかと思いました。本当は展示を見にいく前に予習して行った方がいいのだろうけど、、笑
ということで北斎の生涯を見ていこうと思います!
『北斎づくし』の図録、『ミネアポリス美術館 日本絵画の名品』の図録を参考にしていきます!
ー北斎は下総国、現在の墨田区にて1760年に生まれ、6歳から絵を描くことに興味を示したらしい。12、13歳あたりから貸本屋で働いていた。ー
貸本屋というのはツタヤのようなものでしたっけ?受験日本史の記憶でしかないので調べます笑
『和楽』の記事からの引用です。江戸時代の貸本システムについて細かく記載があります。
「庶民にとって本が身近なものになったとはいえ、やっぱり江戸時代の書籍はまだまだ高価でした。本の値段は蕎麦の値段の何十倍や何百倍もしたというから驚きです。
出版と言っても、今のように機械で印刷するのではなく、板木に彫ってひとつひとつ刷っていた手作りなので、簡単に大量製本できたわけではありません。そこで、発達したのがレンタル本です。このレンタルシステムは簡単で、借りている期間に応じてレンタル料を払うというシステムです。」
高価な本を買う財力は庶民に十分にはないからこそ借りていたのですね。
そして当時の出版は今のような紙の印刷で成り立つものではなく、版画としてなので、貸本屋で働くことで版画に身近だったのですね!インターンみたいです笑
そして
ー20から35歳の間に勝川春章に入門し、「勝川春朗」の画号でデビュー。役者絵を主に浮世絵版画、黄表紙の挿絵を描く。ー
勝川春章という人物について調べてみます。
『ミネアポリス美術館 日本絵画の名品』の図録の絵師解説の欄からの引用です。
「江戸時代中期の浮世絵師。勝川派の祖。宮川春水(生没年不詳)に師事する。明和年間(1764ー72)、歌舞伎役者の似顔を描き人気を得、それまでの鳥居派による類型的表現であった役者絵を一筆斎文調(生没年不詳)とともに一新する。似顔を取り入れた相撲絵も描いた。晩年にかけて肉筆美人画を盛んに描き、その優美な作品は高い評価を受けた。多くの門弟を育て、浮世絵界に一大画派を形成した。」
勝川春章が元、役者絵を描く人だったからそれに倣ったのでしょうか。勝川春章の絵がこちら。
五代目市川団十郎の役者絵です。
こちらは『美人図』
まさに浮世絵のテンプレのような、基礎のような画風で、そこから弟子たちが多く派生していくんだろうということが見て取れます。
勝川春章に師事した北斎は画号「春朗」でデビューをします。
春朗時代の絵は残っているのでしょうか。
こちらデビュー作、『正宗娘おれん 瀬川菊之丞』です。
勝川春章の画風がべっとりというわけではなさそうですが、そこまで個性が強いわけでもなさそう、、?
今日はここまで、、!
明日以降も引き続きデビューしてからの北斎の生涯を調べていきます!
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