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『武州玉川』−情報の少ない多摩川岸、布晒しもいない−『富嶽三十六景』
昨日の『もののふの心』の余韻まだまだ冷めません。
一生日本画を見て一生心動かされていたいなあ、、。今絶賛就活生(一浪)で同い年の高校の友達の行先を聞いているといろんな選択して、当時とはみんなやりたいことが全然違うベクトル向いていろんな人生があるなあと実感。その中の一人である私も高校の時には考えられないほど日本画に没入している、、。私は何で生きていくんでしょうか、、。
日本画に関わっていきたいけど好きなことと仕事にできることは違うみたいなこと言われますよね。人それぞれだけど、親は私のこの没入度合いを見ていろんな選択肢を与えてくれています。できることなら人生の時間は好きなものに関わっている時間が多い方がいいなとか、白昼夢を見ていがちです最近。
まあそのためにはとりあえず知識を蓄えて放って行かないといけないので今日も今日とて葛飾北斎の『富嶽三十六景』です。
今日で10作品目になるけど全然飽きないですね!記念すべき?10作品目は『武州玉川』。
今までの作品に比べてとても大胆な色使いと構成。とても逞しい富士が描かれています。空→富士→すやり霞→川→岸、とそれぞれが帯状に横に伸びて、青白青白青白緑と昨日とは真逆な色使いをしています。この船に乗っている人たちはどこに藁?を運ぶのでしょうか。波はそこまで荒くないから濡れずに届きそうですね。
武州玉川は武蔵国(武州)を流れる多摩川のことであると言います。多摩川って表記が”玉川”だからてっきり玉川上水近辺のことかと思いました笑。
多摩川の全容ですが、源流は奥多摩より上、上の地図に乗っていませんでした。。
こっちですね。笠取山が源流となり、奥多摩に流れて青梅線、南武線沿いに流れていくのですね。
多摩川は地名の由来が万葉集にあり、古歌にもよく載る川の一つです。また浮世絵では布晒しをする女性を描いた浮世絵の舞台になるそうです。
これは歌川広重の『諸國六玉川』の「武蔵調布」。確かに布を晒している女性が描かれます。
もう一つは鈴木春信の「六玉川 調布の玉川」。これまた布を晒す女性。富士は描かれませんね。
このように布晒しの舞台として多摩川は描かれますが、北斎は布晒しにはあえて?触れずに多摩川を描きます。
この絵が描かれた場所は船の渡船場が近くにあったと推定しても多摩川には渡船場はたくさんあったらしく、絵からの情報の少なさからし特定不可能であるようです。
先人からヒントをもらうと、またまた河村岷雪さんの『百富士』「玉川」という項目があり、そこでは府中宿と日野宿の間で甲州街道の途中の風景を描いているそうです。
これですね。現在の東京都調布市府中市のあたり、調布の多摩川周辺であるらしい。この絵には民家がいくつか見えますね。
また、斎藤月岑の『江戸名所図会』にも玉川を描いたものがあるらしく、「多摩川」という作品。
こちらですね。今までの多摩川のどの作品よりも色々詳細に描かれている。しかしこれは一つ上の百富士の玉川よりも東の現在の狛江あたりから描かれているそうです。
黄色で囲った調布、府中が『百富士』の景色。
赤で囲った狛江が『江戸名所図会』からの景色。
北斎の多摩川はこのどちらのものなのかはっきりしませんが、この多摩川沿いの府中〜狛江間ではないでしょうか。ちょっと『江戸名所図会』に構図が似ていますね。北斎はあえてその富士山麓以下を簡素に描いたのでしょうか。?
なんとももどかしい結末ですが、今日はここまで!
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