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宴会終末ランド/ツイッターくんとぼく

もし、これを読んでいる人がいるなら教えてほしい。
Twitterってどうやってプレイするものなんだ……?

RPGしかわからないから

僕にプレイできるのはドラクエかFFあたりの長いゲームくらいだ。あれならいつでもやって、いつでも止めて、いつでも再開できる。その内クリアだ。そのせいで10年以上かかったタイトルもあるけど。人生なんて無理の上の無理ゲーだ。
あまりに悠長な僕がTwitterくんと向き合おうと考えたのは、つい先日。集団大凍結祭の少し後のこと。自主凍結して長期間放置していた僕には寝耳に水だった。ツイッタランズ(夢の国の住人のようなもの)が阿鼻叫喚していると風に聞いたくらいだ。それの一体、何が大変でどうなっているのかさっぱり分からなかった。今思えば、そいつは一体全体クッソ大変な事態だ。もう少し適切な言葉が欲しかった。つまり、緊急事態宣言が発令されるより前に事態が起こってしまった訳だ。(この国っていつもそうじゃね?)多くのライフワークは勿論、ライスワークも取り上げられた。許せん。僕から住む家とゲームと二次創作を取り上げたようなものだ。ようやく分かってきた。

ぶっちゃけどうなの

ライフandライスワークのTwitterと己の活動拠点を繋げるってどうなんだろう? これが素朴な疑問だ。それは宣伝? 自己表現? 最も効果的な承認? 連携はまだやったことがないので興味津々だ。「やってみればいいじゃん」との心の囁きと、「何の目的があってそんなことするんだよ」と無駄を主張する疑心の鬼がいる。一長一短ということか。やりすぎると必要以上に気にしてしまうし、やらなさすぎると完全に置いてけぼりを食らう。それでもええんやで。
宣伝の意図があるなら、やるだけやればいいということかもしれない。僕は自分を表現するのに適切な言葉を持てない。他者と関わり、直接言葉を交わすのが苦手だ。下手とも言われる。だから、今できるのはこうしてしたためることくらいだ。それを自分なりの名刺とするなら、あらゆる場は名刺交換の場だ。Twitterは一番有名で活発な名刺交換の場かもしれない。

おそろしい広場

名刺交換の場としてのTwitterは、少し怖い。無法地帯と言っていいものか、無法で不毛な一面すらある。それは、あまりに大量の名刺が溢れすぎていて収集がつかないからだ。とんでもない量の名刺が一気に投げつけられ、時にはそのカドで殴ってくる猛者まで現れる始末だ。これが個人的にTwitterの怖い点だ。僕はビクビクと隅っこのほうで肯定ツイートしかできずにいる。否定的なことを呟くと、うっかり己で己の人生を否定しそうになるからだ。好きだとか愛してるだとか、そういうくだらないインポータンスを呟いている。きっと、自分に向けて発信している。

勇気がないだけかも

勝手にハードルを上げて敬遠しているかもしれない。でもその敬遠も大事かもしれない。とかく、かもしれない構文に囚われて動けずにいる。もう少し考えて、思うように動かしてみたい。僕が思う僕を創造するために、ツイッタランズを見習わなければならない。Twitter広場は青く、混沌としたまま鎮座を続けるだけだ。

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