ぼくのマドンナ
前回、少しだけ自己紹介文を書いてみたが、よく分かんねぇし短けぇな、と思い続きを記す。僕を表現するのにマドンナ、つまり僕の祖母の話を記してもいいかと思う。あぁ、最近は科学雑誌を読んでいない。また心の余裕ができたら読みたい。時代小説も読みたい。一次創作も、二次創作もやってみたい。何かをしなければ生きていけないというのに、その何かを僕はやろうと発起できないでいる。発起である。間違ってもそっちじゃあない。一年あたりかけてやるほうだ。
脱線してしまったため、軌道を修正する。マドンナの件だ。マドンナは山のちいさな町で生まれた女性だ。彼女の夫はもう随分前に亡くなってしまったが、自身はなかなかの高齢に差し掛かろうとしている。マドンナの娘も結構いい歳だし、この孫がもうすっかりこんな歳なのだ。僕はマドンナやその娘のようには生きられないだろう。誰かを愛し、愛されるようには生きていけない。それ以前に、生に対する正常とも異常とも言えず、また癒えない執着を生むことができないからだ。僕の愛についての諦めは別の自己紹介で記した限りだ。
さて、その田舎町のマドンナだが、その名の通り若い頃はかなりブイブイ言わせていたらしい。僕はおばあさんになった彼女しか知らないし、若い頃の写真なんぞ戦争の影響もあってか残っていないので仔細は謎だ。が、亡くなった祖父がたいそう惚れ込んだ相手なので、いくらかは信じてみたい。マドンナは、その町ではなかなかに裕福な家に生まれた長女だった。ワガママ放題とまでは言わないが、少々気の強い、繊細な少女だった。欲しいものは全て手に入ったと聞いた。傷つきやすいものの、姉としてしっかりしなければならなかったのだろう。精神的な苦労もあったはずだ。彼女の目下の深いシワと、微笑んだ時の悲しげな皮膚の動きが語ってくれる。マドンナは戦争経験者だった。彼女の家が半ば没落のような形になっていく過程や、同級生たちが亡くなったその悲壮を、僕は想像することしかできない。
穏やかに平和だった時間はあるらしい。ただ、気づけば戦争の中にあったし、田舎に疎開してくる人は絶えなかった。すぐ傍には畑ばかりで食糧にひどく困ることはなかったという。祖父が最期まで南瓜の煮つけが嫌いだったのは、毎日毎日耕しては育てた数少ない食糧だったからだ。祖母もまだ南瓜を食べられないでいる。スーパーなどの総菜コーナーで見かけた日にやぁ、理不尽にも殴られる勢いだ。ふざけて買った従兄は実際に殴られた。無論、生きていた頃の祖父に。
マドンナは幼い頃から可愛らしく、最高に美人という訳ではないがとにかく可愛い少女だった。彼女が小学生になったり、彼女や祖父の父が召集されたりしても、日常は守られていた。唯一の救いは、大きな空襲に遭わなかったこと。おかげで皆、無事だったそうだ。生活の事情で遠くの町へ渡った人々がどうなったかは分からない。祖母は何も語らなかったが、引っ越してしまったがために逢えなくなった友は少なくなかっただろう。
再会できた人々も、親との合流も、田舎も都会も命の重さに違いはない。マドンナの父は帰ってきたが、祖父の父は帰らなかった。骨も帰ってきていないため、未だに石碑に刻まれたあの難しい名前だけだ。思うに、マドンナの心の病はこの頃から来ている。彼女が戦中後の厳しい生活を過ごす中、不満を漏らしたりしなかったのは、幼馴染のお兄さんのこともあったと思う。
幼馴染のお兄さん、とはつまり祖父のことだ。彼は近所に住む冴えない少年で、気持ちは優しいがいかんせん冴えないのだ。目立たない、何を考えているのか分からない、薄めに薄めたのび太くんだ。だからマドンナは確かにしずかちゃんかもしれない。戦争でボロボロにはなったものの、良家のお嬢さんと貧乏な家に生まれた長男。マジに漫画みたいな設定だが、これが現実だ。お兄さんは幼い頃からお金には苦労したそうだ。家には母と妹、父は帰らなかった。彼の希望と理想は少し年下のマドンナ。幼い頃からお兄さんはマドンナのことが好きだった。そのワガママ気味な性格が良い、そうだ。そいつらの娘から聞いたので確かなセンだ。彼の想いに気づいていないのは当のマドンナくらいで、周囲はよく理解していた。あの冴えないお兄さんとお嬢さん、は小さな田舎町の小さな物語だった。だから、マドンナがいくらモテてどんないい男と付き合っていても、最後にはオジャンになる。マドンナとしては、何かが違う。相手の男たちの感想は、僕では務まらなかった、だ。それは気の毒なことだった。
マドンナはたくさんの出木杉くんとお付き合いをし、幾度かの見合いを経て、最終的にお兄さんと付き合うことになった。女性の手も繋いだことのない祖父の初恋は、長い時間をかけて成就した。マドンナの見合いが成功しなかったのは、偶然だったり、彼女のワガママだったり、祖父への特別な親しみがあったと思う。当時としては大きく婚期を逃したものと扱われた、そんな交際と結婚だったという。
僕はマドンナが好きだ。母方の祖母は僕を覚えているから。彼女は僕の名前を忘れたりしないし、誰が誰の子供で、どんな奴かをよく分かっているからだ。何が悲しいのか、父方の祖母は僕を覚えていない。認知症とかそういうのではない。単純に名前を覚えていないし、おそらく顔も覚えていない。男だったか、女だったかも覚えていないだろう。そんなものだ。僕もあまりに会っていないために、彼女の顔を忘れそうになる。声は忘れたかもしれない。そんな風なのは、僕が父に対してやるせない怒りや、とっくに諦観した大事なものを抱えているから。そんな相手の母親だ。いよいよ坊主憎けりゃあ、になる。彼女もまたマドンナだったとしても、それを伺い知ることはできない。もっともっと、山の奥深くに眠っている。いつかはそれを紐解きに旅することがあるだろうか。知りたいと思う。どうでもいいと思う。マドンナは神秘的で、それでいて人間くさいからいいのだ。
僕は、彼女たちの良き孫になれるだろうか。在りし日のそれらとなれるだろうか。
少し、思いついた文章でした。ここまでです。おやすみなさい!
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