チャレンジの積み重ねが自分を作っているので振り返ってみた
こんにちは!お酒はハイボール縛りな大槻です!
最近、なぜ起業したのかを聞かれることが増えたのですが、なんだかんだ小学校のときの体験から今につながっていると思い、生まれたときから振り返ってみました!
生まれと幼少期
東京都杉並区で生まれました。いわゆる杉並区女子です。
兄弟はおらず、一人っ子です。両親と今も仲良しですが、多分とても愛されて育ちました。
両親は共働きだったので、保育園に行っていておばあちゃんに育てられました。毎回自分が寝たあとに親が帰ってきていた印象があります。働くことが好きなのは親譲りかもしれません。
チャレンジを身につけた小学生時代
小4からミニバスに入っていました。バスケを始めたのは父の影響で、試合があれば絶対に応援に来てくれていました。バスケは好きだったのですが、練習はつらいし、スタメンに入れなければ怒られるし、楽しかった思い出というのはありません、、、笑
そして同様に小4から学習塾に通っていました。宿題と出席を頑張れば成績は特に言われなかったので、つらかった思い出はありません。が、志望校の合格率が毎回E判定で、先生には志望校を下げるよう言われたことは覚えています。
(5番がわたし。なにかで優勝したとき)
小6の秋。ミニバスでは副キャプテンを務めていました。しかし、突然コーチに呼び出され、こう告げられたのです。
「受験をしているようなやつは、バスケに集中できない。5番(副キャプテン)を下ろす。」
ショックでした。
小6になる前に、塾の先生からも親が呼び出され、「部活を続けて、受験を受かる人はいないので、辞めた方がいい」と言われたことも知っていました。
塾では先生に反対され、周りは勉強に集中している。ミニバスでは、受験する人は辞めるのが当たり前だったので、批判が集まる。
でも、バスケと中学受験、どちらもやりたい。
親と相談して、どちらもやることに決めました。第一志望校も落とさず、バスケ部では副キャプテンをおろしたことを見返す結果を出そう。
そして、小6の冬。第一志望に無事初日に受かりました。そして、ミニバスでは、区選抜に選ばれ、スタメンに入ることができました。同じチームで区選抜のスタメンに入る人がいなかったので、家でもたくさん練習してよかったな…と報われた気分になりました。
ミニバスと中学受験を2つともやることにチャレンジし、納得のいく結果を出せた。苦しむことばかりだったけど、自分が認めることができればこんなにもうれしいのか、と感じた原体験になったと思います。
リーダーとして責任を持つことを知った女子校時代
自由さを身に着けたのは、女子校に6年間いたからだと思います。誰からの目も気にしない環境、LOVEすぎます。
しかし、黒歴史がたくさん詰まっている場所でもあります…先生方には謝りたい気持ちでいっぱいです、、、
中高バスケ部のキャプテン、青組応援団長など、50-100人のチームのリーダーを務める経験はかけがえのないものでした。責任感を持ってリーダーを全うすることを身につけられたのは、間違いなく高校2年〜高校3年のときです。ちなみに、バレンタインは150個くらいチョコもらえた。
(応援団長ぽい写真、今より-10kg)
一緒に過ごした友達が大好きですし、楽しいことも苦しいことも幸せなこともつらいことも最高に詰まっている女子校時代!
新しい世界を知りまくった大学時代
早稲田大学文化構想学部に入学し、英語会であるWESSというサークルに入りました。起業を知り、留学もし、東南アジアのバックパックもし、インターンもし、世界が広がった気がします。
一つ返事で出たビジコン
楽単だと思って参加した「起業家養成講座」で優勝でき、起業を知りました。その授業がビジコンのようなものだったのですが、担当教授に「大学全体のビジネスプランコンテストにも同じプランでいいと思うので出てみないか?」と言われました。まったくわからず、「はい!」とすぐ答えた気がします。
しかし、ビジコン出場はそこまで軽いものではなく、メンターからの手厚いサポートもありますが、大学院に通っている人も参加するようなハードな大会でした。女性も、大学1年もいない中、負けず嫌いなわたしは優勝を目指して、徹夜しながらがんばりました。
毎日通学時にとなえるようにプレゼンを練習し、メンターからのフィードバックをもらったらその日中にブラッシュアップし…動画を作った方がわかりやすいと思ったら友達にお願いし動画に出てもらい、編集もしたことない中で動画を無理やり作ったりしました。当日、緊張はしたものの、練習の甲斐があり、優勝することができました。
途中で諦めるタイミングは何度もあったと思います。チャレンジしたことに悔いのないように…と思って、最後まで走りきれてよかったです。
泣きながらやりきったシリコンバレー研修
ビジコンの優勝特典で、大阪市の開催するシリコンバレー研修に参加させていただきました。それまで、「起業家」と話したことがほとんどなかったのですが、研修の参加者に起業家が多く、身近で話せたことがとてもよい経験となりました。
恥ずかしながらわたしは高校/大学時代は、今の自分が理想に近づいていないときにパニックになってしまい、何度か過呼吸になっていました。そして、シリコンバレー研修の最終日にもなってしまいました。深夜3時くらい、もらったフィードバックをすべて潰せない…英語プレゼンの練習の時間もままならない…と不安が重なりなってしまいました。しかし、落ち着かせて寝ずに頑張ったことで、シルバーをいただくことをできました。
ちなみに、ゴールド(優勝)はまごチャンネルのかじけんさんです。かじけんさんの言葉やひたむきに努力する姿は本当に刺激を受けました。尊敬する起業家の1人です。
(シルバー受賞信じられなかったとき)
起業家がかっこよく、関われるようなバイトをしたいと思っており、East Venturesの太河さんに拾っていただきました。
忍耐力と孤独力がついたシンガポール留学
今まで仲良く家族と暮らしてきて、友達と一緒に遊ぶことも当たり前だったので、友達を作るところからはじめながら、小さな試練が重なる留学は本当につらかったです笑
しかし、海外の友達は、本当に自由で、日本で囚われていた自分に気づきました。選択肢っていっぱいあるし、人と比べなくてよい、自分が楽しい選択をしていいんだな。と知ることができました。
大手でバリバリ働くキャリアウーマンになろうとしていたが、もっと自由でいいのかも、と視野が広がったタイミングでした。
帰国後、就活とCandleでインターン
日本に帰国後、実はバリバリ就活をしており、サマーインターンに参加しまくってました。
サマーインターンはとても楽しく、女性が経営レイヤーにいない会社が多いなという違和感がありつつも、普通に就職する予定ではありました。
しかし、Candleという女性向けメディアを運営するベンチャーでインターンをし、一つのことを目指してみんなで頑張るわくわくに気づき、ベンチャーの魅力にハマりました。会社が買収され、大企業にグループ入りしたとき、もしかしたらこのタイミング以降「起業」はしないのでは…と考え、作りたいサービスもよく考えていたので、起業することにしました。
まとめ
思い出を振り返ってきましたが、共通して「チャレンジ」を大事にしていると思います。
起業したのももちろんチャレンジだけど、一歩目というよりずっと小さいときからいろいろなところでチャレンジを重ねて、自分自身が成長し、チャレンジできる幅が大きくなっているような気がします。
自分の会社のメンバーにもたくさんチャレンジしてほしい。FinTはそんな会社にしていきたいと思っています!
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メンバーと遊びに行くとこんなに楽しくなる…の図
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