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「日本一なわとびに魅了された人」なわとびパフォーマー・藤沢祥太朗さん インタビュー

ナワトビライド代表。なわとび教室BXSkippers講師。
「日本一なわとびに魅了された人」

世界選手権2位、アジア選手権優勝。
高校2年生で初めて小学校のなわとび講師を務め、TV番組『水曜日のダウンタウン』にも出演。

なわとび界で知らない人はいない、なわとびパフォーマー・藤沢祥太朗さん。

誰もが知っているなわとび。だけど誰もが離れていくなわとびに、誰よりも向き合い続け、これからのなわとび界を引っ張っていく藤沢祥太朗さんに、お話を伺いました。

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💡藤沢祥太朗(ふじさわしょうたろう)さんはこんな人

・東京都葛飾区出身
・2015年文教大学卒
・最高6重跳びができる
・小学校のなわとび講師
・世界選手権のジャッジ
・30秒間で2重跳びが94回跳べる
・今も競技者として全日本選手権に出場
・なわとびの次にけんだまが好き


藤沢さんがなわとびに魅了されるまで


誰もが一度はやったことのあるなわとび。藤沢さんも例外なく、幼少期からなわとびに触れていたといいます。

「年長の時にはなわとびに触っていましたね。下駄箱に入っていたと思います」

本人は「なわとびの影響」と話していましたが、小学校に進学してからクラスの中で足が速い方だったといいます。しかし、次第に周りの子の足が速くなり、うかうかしていられないと危機感を感じたようです。

そして、小学校高学年からサッカーを習い始めます。目的は運動しないといけないなという危機感。ここから藤沢さんのサッカー生活が始まりました。

小学校高学年で始めたサッカーは、中学校でも続けます。サッカー部に入部しましたが、「周りの人の足が速くなったから」という理由で始めたサッカーだけに、いまいち熱中しきれません。入部したはいいものの、活動にほとんど行かず、そのまま卒業します。

上野高校在籍時は体操部に入部。アクロバットは好きだったことや、部員が少なくて(1人の時も!)ゆるく練習できる環境が好きなことで、楽しみながら続けます。

サッカーや器械体操。いろいろなスポーツに触れてきましたが、藤沢さんはイマイチピンときていませんでした。そしてその裏で、コツコツ続けてきたものがありました。


それが「なわとび」でした。


中学生の時くらいから、少しずつ縄跳びにのめり込むようになり、文教大学時代に、なわとびが人生の軸になります。大学時代はなわとび仲間を求めて、東京から千葉や茨城に通っていたそうです。

そして藤沢さんは、日本一なわとびに魅了されていくのです。


なわとびパフォーマーになった経緯

藤沢さんは小学校の先生になるために、文教大学教育学部体育専修に進学しました。地元・葛飾の小学校でボランティアを通して小学生と触れ合うなど、少しずつその夢のために行動をしていました。

しかし、藤沢さんの人生の軸はすでに「なわとび」にありました。時に大学の体育館で1人時間を忘れて練習することも。

「もっともっとなわとびがしたい」

そんな気持ちから離れられないことに気づきました。


子どものころから思い描いていた夢は小学校の先生。その夢を諦めてまで、なわとびと向き合っていきたい。藤沢さんは一念発起し、大学4年生の時に進路を変えました。

なわとびには、人生を大きく変えてしまうほどの魅力があるのです。


子どものころと変わらないなわとびの「楽しさ」と変わった「楽しさ」


初めてあやとびができた。
初めて二重跳びができた。
初めてはやぶさができた。

多くの人がおそらく一度は「〇〇ができるようになった」という、なわとびの楽しさを感じたことがあるでしょう。藤沢さんも、その1人でした。

「昔は難しい技ができるようになる楽しさに魅了されて縄跳びを続けていた。今もその気持ちは持っている」

藤沢さんが初めて二重跳びができるようになったのは1年生のころだったようです。1年生の時に1回初めて跳ぶことができ、2年生になったら連続で跳べるようになりました。

「どの技ができた時に最も嬉しさを感じたか?」という質問に対し、
ー覚えていない、逆にいえば特別な一つの技がないくらい、すべての技ができるようになった時嬉しかったー
と語っていました。

なわとびは、ほんの少し実施方法が違うだけで、新しい技になります。藤沢さんも、数えきれないほど多くの技を生み出してきたといいます。

新しい技にチャレンジし、できるようになった時の喜び。それは古今東西、万国共通です。しかし藤沢さんは現在、それ以上の楽しさが生まれてきたといいます。

「子どもたちに教え、その子たちができるようになった時に嬉しさが生まれている」

なわとびは、回して跳ぶという、シンプルな動きです。

だからこそ、手首の角度や姿勢、関節の動かし方、跳躍のタイミングなど、微細な調整が必要です。素人には決して理解できない、職人のような繊細さが求められます。子どもたちに細かなポイントを伝え、できるようになった時に子どもたちと共に喜ぶ。

今も藤沢さんがなわとびに関わり続けている理由が、そこにありました。


なわとびの奥深さ

「なわとびは奥深く、追及のしがいがあります」

前述の通り、ほんの少し実施方法が違うだけで、新しい技になります。新しい技をクリエイトすることも、追及方法の1つですが、その他にもあります。

なわとびは、器械体操やフィギュアスケートのように、採点競技です。採点競技は、難しい技を美しく、より多くできることが、高得点につながります。

なわとびも例外ではありません。

しかし、ただ難しい技をたくさん入れていくと、「競技のコモディティ化」が起こります。どの競技者も同じような技の構成になり、単一化されていき、「差」が生まれなくなるのです。競技者と指導者は、「高得点を取るための構成」と「個性の出し方」を常に天びんにかけているのです。

当然、演技を作る上で、1度や2度の衝突は起きてしまいます。藤沢さんは、「その衝突を乗り越えられるかが大切であり、これもなわとびの魅力」と語ります。


日本でなわとびといえばふっくんと言われるようになることが目標


今は競技者として、時折全日本選手権に出場する程度だといいます。一方で、なわとびの指導者としても活躍しています。

なわとびの「強化」と「普及」。藤沢さんは、「強化」と「普及」を車の両輪ととらえています。

「正直、どちらかに絞れたら楽だけど絞れない。それくらいどちらも大切だと思います」

過去に世界大会で銀メダルを獲得した藤沢さん。これからは「日本で縄跳びといえばふっくんと言われるようになることが目標」と話していました。


夢を叶えたその先に

今はなわとび講師として、全国各地の小学校に教えに行っています。

一度は諦めた小学校の先生。立場は違えど、子どものころからの夢だった「小学生」に「教える」という夢を叶えています。それも大好きな「なわとび」を。

藤沢さんは静かに、しかしアツい想いを持ってこう語りました。

「日本一なわとびに魅了されてしまった人として、全国の子どもたちになわとびの楽しさ・運動の楽しさを伝えるのが私の使命」

日本のみならず、世界でも活躍するなわとびパフォーマー・ふっくん。これからのご活躍をお祈りしています!


🔎藤沢祥太朗さんをもっと知るならこちらから

ナワトビライド公式HP

なわとび技研究科ふっくんのチャンネル(YouTube)

ナワトビライドチャンネル(YouTube)

藤沢祥太朗さん公式インスタグラム

https://instagram.com/nawatobi.fukkun?igshid=YmMyMTA2M2Y=

藤沢祥太朗さん公式Twitter



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